[#表紙(表紙.jpg)] 平岩弓枝 御宿かわせみ33 小判商人 目 次  稲荷橋の飴屋  青江屋の若旦那  明石玉のかんざし  手妻師千糸大夫  文三の恋人  小判商人  初卯まいりの日 [#改ページ]   稲荷橋《いなりばし》の飴屋《あめや》      一  大川端町の旅籠《はたご》「かわせみ」の女中頭お吉《きち》には兄が居る。  八歳の時、箱根塔の沢の泉屋という宿屋の主人だった伯父の許へ養子に行き、その後、女房子に恵まれて幸せな晩年を迎えていた。  江戸の空に鯉のぼりが威勢よく泳いでいる五月晴れの午下《ひるさが》りに「かわせみ」の暖簾をくぐって、 「お初にお目にかかります。すぎと申します。塔の沢の泉屋の娘の……」  と挨拶したのは、三十をいくつか越えているだろうか、どこか面ざしにお吉と似たところのある商家の内儀《ないぎ》風の女であった。  帳場にいた嘉助《かすけ》がすぐに上りかまちへ出て来て、 「それじゃあ、金沢八景へ嫁いでいなさる……若先生から聞いていますよ。まあまあ、よく来なすった」  手を叩いて女中を呼び、すすぎの仕度をいいつけてから、自分でお吉を呼びに行った。  早速、台所からは前掛けで手を拭きながらお吉がとび出して来て、 「おすぎが来たって本当ですか」  年甲斐もないような素頓狂《すつとんきよう》な声を上げ、まだ草鞋《わらじ》の紐も解いていなかった女が、 「叔母さん、お久しぶりでございます」  嬉しそうにお辞儀をした。 「若先生からお話をうかがってね。ずっと待っていたんだよ。あんたが若先生にお頼みした娘さんはどうしたの」  せっかちなお吉の言葉に、姪のほうはおっとりと応じた。 「当人も是非、お願い申したいといいますので、今日、連れて来ました」 「どこにいるの」 「外に待たせています」  奥から戻って来た嘉助が慌てて下駄を突っかけてとび出して行き、小柄な、まだ子供子供した女の子を土間へ招じ入れた。 「ちょいと、おすぎちゃん、この子が……」  入って来た小娘をみて、お吉が絶句したが、おすぎは別になにも感じなかったようで、 「お晴《はる》ちゃん、御挨拶をしなさいよ」  と、うながす。小娘のほうも悪びれず、 「お晴と申します。何分、おたの申します」  いきなり土間へすわり込もうとするのを、嘉助が慌てて止めた。 「いけねえ。いけねえ。そんな所にすわるもんじゃねえ」  とにかく、草鞋を脱いでといっている所へ、この家の女主人である|るい《ヽヽ》が千春《ちはる》と共に出て来て、 「お吉の姪御さんが出て来なすったそうじゃありませんか」  ようこそ、と声をかけられて、お吉は飛蝗《ばつた》のようにとび上り、途方に暮れた目でお晴と名乗った娘を眺めた。      二  神林東吾《かみばやしとうご》が軍艦操練所から帰って来たのは珍しく遅く、ぼつぼつ暮六ツ(午後六時)になろうという刻限で、出迎えたるいが、 「金沢八景からおすぎさんが娘さんを連れて来ていますよ」  と笑いながら教えた。 「どこにいるんだ」  居間へ入って刀掛に大刀をかけながら東吾が聞くと、 「旦那様がお帰りになる前に、旅の汗を流しておいでなさいと、近所の湯屋へ行かせましたの」  もう戻るでしょうと、るいはどこか可笑《おか》しそうな口調でいう。 「この前、おすぎにはえらく厄介をかけたんだよ。今夜はうちへ泊めて充分もてなしてやってくれ」  つい先月、東吾は軍艦操練所の練習船で三浦半島の六浦《むつうら》港へ上陸した。中世には武蔵国六浦荘と呼ばれ鎌倉の外港として栄えたところで、鎌倉時代、金沢北条氏がこのあたりを支配し、幕府の東の要衝でもあった。  なにしろ、海上に大小の島が散らばって居り、入江が変化に富んでいる美しい海岸線を持つ地形なので古くから鎌倉五山の禅僧が訪ねて詩文を詠んだりしていたのだが、江戸時代に入って、元禄七年、中国の杭州西湖出身の心越禅師が、このあたりで最も眺望に秀れている能見堂よりの風景を「洲崎晴嵐《すさきのせいらん》」「瀬戸秋月《せとのしゆうげつ》」「小泉夜雨《こいずみのやう》」「乙艫帰帆《おつとものきはん》」「称名寺晩鐘《しようみようじのばんしよう》」「平潟落雁《ひらかたのらくがん》」「野島夕照《のじまのゆうしよう》」「内川暮雪《うちかわのぼせつ》」の八つの詩に吟詠して以来、金沢八景の名所として多くの人々にもてはやされるようになった。  で、文化文政以後ともなると見物客のために旅籠の数も増え、地元で獲《と》れる魚料理や屋形船での遊覧などが評判になって江戸からも客が押しかけた。  もっとも、東吾が六浦に上陸したのは、そういった行楽のためではなく、船上巡視の一端として江戸湾を廻ってのことで、その折、お吉の縁で姪の嫁入りしたととやという料理茶屋へ顔を出し、おすぎ夫婦は大喜びで下にもおかぬもてなしをしてくれた。  その折に、東吾が昨年、大工の棟梁のところへ嫁入りした女中のお石の話をし、 「なにしろ、あんたの叔母さんは若い女を仕込む名人でね」  江戸へ出て来た時は山出しの猿公《えてこう》とまでいわれたお石を如何に立派な花嫁に育て上げたか熱弁をふるった。  おすぎは自分の叔母のことなので嬉しそうに耳を傾けていたが、 「それで、お石さんというお方の代りの女中は、もう決っておいでですか」  と訊ねた。東吾がまだだと返事をすると、 「少々、心当りの子が居りますが、奉公に上らせて頂けますでしょうか」  と不安そうにいう。酒が入っていたせいもあって、 「いいとも。おすぎが紹介する子なら、お吉は喜んで面倒をみるだろう」  東吾は太鼓判を押した。  その話は「かわせみ」へ帰って来て、早速、るいにも、お吉や嘉助にも告げておいたので、 「大丈夫でございますかねえ、へんてこりんなのを連れて来て、こちら様へ御迷惑をかけるんじゃあ」  などと心配しているお吉はともかく、るいも嘉助も心待ちにしていた。  江戸は慢性的な女中不足であり、殊にこの節はとかく世の中が不穏ということも加わって、娘を江戸へ奉公に出したがらない傾向がある。といって、桂庵《けいあん》なぞに頼むと、すれっからしの女がやって来て悶着を起しがちなので、つい二の足をふみ、余程、忙しい時は堀江町へ嫁入りしたお石が助っ人に来るといった状態が続いている。  お石は「かわせみ」へ手伝いに来るのをむしろ喜んでいるし、亭主の小源も、 「かわせみのお役に立つなら……」  と決して嫌な顔をしないものの、いつまでもそんなことを続けてはならないと、誰よりもるいが気を揉んでいる。  東吾が金沢八景で、おすぎの頼みに胸を叩いてひき受けたのも、そういった「かわせみ」の事情を承知していたからでもあった。 「どんな娘っ子が来たんだ。つとまりそうかい」  着替えをしながら東吾が訊《き》き、るいは茶を運んで来たお吉を目に入れながら、 「愛敬のいい娘さんですよ。明るくて気立てのよさそうな……」  と同意を求めるような言い方をした。 「色がまっ黒けなんですよ」  というのがお吉の最初の言葉で、 「生まれた家が釣り舟屋で、毎日、おてんと様にさらされていたんだから仕方ありませんけども……」  と首をすくめる。 「色なんぞ黒くたっていいじゃないか。お石だってここへ来た当座は洗っても洗っても白くならないと当人が泣いたものだったが、今じゃ色白の器量よしだ」 「かわいそうな身の上なんですよ」  るいが話をひき取った。東吾とお吉のかけ合いは黙って聞いているといつまで経っても終らないからで、 「まだ幼い時分におっ母さんを病気でなくして、お父つぁんも海で歿《なくな》ったそうなんです。ずっと、おじいさん、おばあさんと暮して来て、そのおばあさんが昨年の秋に患って歿り、おじいさんも気落ちがしたんでしょうか、この正月に風邪をこじらせて……歿るまで一人ぼっちになる孫娘さんのことを心配し続けていなさったとか」  声をつまらせた。 「兄弟はないのか」 「一人っ子ですって」 「天涯孤独か」 「それにしては明るくて、じめじめしていないところが立派だと思います」  るいの言葉にはげまされたように、お吉が膝を進めた。 「おすぎは自分の店へ魚をおさめていた関係で、その子のことをよく知っているんですけど、働き者で、けなげな子だと申しているんです」  そこへ女中が来た。  おすぎ達が湯屋から帰って来たという。  お吉が立って行って、おすぎとお晴を伴って来た。  東吾が先だっての礼をいい、おすぎは恐縮して、ひたすらお辞儀ばかりしている。そこで、お吉が、 「こちらがさっき話をした御当家の旦那様ですよ」  とお晴にいい、お晴は平蜘蛛《ひらぐも》のような恰好で頭を下げた。 「あんた、年はいくつだ」  穏やかに東吾が声をかけ、お晴は一瞬、ぴくっと体を慄《ふる》わせたが、 「十四です」  という返事は声に力があった。東吾が続けて、 「おはるというのは、どんな字を書くのだ。仮名か、それとも……」  と訊くと、 「お天気の晴れるという字です」  指で畳に文字を書いた。 「近所のお寺の坊さんがつけてくれたそうです。雨がどんなに続いても、晴れる日は必ず来る。元気に生きて行くようにという意味だとか……」  頬を赤くしていった。 「そりゃあいい名前だ。かわいそうに若い身空でどしゃ降りの雨に遭《あ》っちまったが、これからは晴れの日が続くように、俺達も助っ人をするからな」  東吾がいうと、ぽろぽろっと涙を膝にふりこぼし、こらえ切れなくなったように両手を顔に当てておいおいと声を上げて泣き出した。  慌てて、おすぎとお吉が両側から抱えるようにしてお晴を台所のほうへ連れて行く。 「うちの旦那様はいいことをおっしゃって下さるんだけど、あの子にはまだ早すぎましたよ」  るいが姉《あね》さん女房らしく、ちょっと睨んでみせて、東吾は弱った顔で冷えた茶碗に手をのばした。  けれども、一杯の茶を飲み終り、次の間の机にむかって航海に関する書物を開こうとすると、庭のむこうで、きゃっきゃっという女の笑い声がする。一人は千春のようだが、もう一人はどうもお晴らしい。  おすぎとお吉が廊下をやって来て、 「只今、千春嬢様がお琴のお稽古からお帰りになりまして、お晴がお傍へ行って御挨拶をしようとして、うっかり台所の床の上においてあったお饅頭の包をふんでしまいまして……そうしましたら、千春嬢様が包をあけてつぶれたお饅頭を一つお取りになり、半分に割って一つをお晴に、残りの一つを御自分が召し上って大笑いなさいました。つられてお晴も笑い出して……まだ、お小さいのになんと思いやりのあるお嬢様かと……旦那様にはお優しいお言葉をかけて頂き、お嬢様には早速、お情を頂戴致しまして、お晴は本当に幸せでございます」  おすぎが手拭を顔に当てて泣き、お吉は姪にお株を奪われた恰好で途方に暮れている。  お目見得第一日目にそういったさわぎがあったものの、一夜「かわせみ」へ泊って翌日、おすぎが金沢八景へ帰って行き、お晴はやや心細い表情ながらも懸命に「かわせみ」で働きはじめた。      三 「お晴はちょっとお石に似ています。そそっかしいところもありますが、勘がよくて、ものおぼえが早ようございます。お吉さんが磨き甲斐のある子かも知れません」  と嘉助がいったように、お晴は素直に「かわせみ」の水になじんで行った。  もっとも、当人にとっては毎日が死にもの狂いのようで、寝言で、 「はいっ、はいっ」  と大声で返事をしたり、寝ぼけて布団の上へとび起きて、 「すみません、申しわけありません」  とあやまったりするのも珍しくない。  お吉は自分の姪が紹介して来たからといって躾《しつけ》に手心を加えるような人間ではないし、むしろ、他の女中よりもきびしく錬《きた》えようとしている。 「あんまり、何もかも一度に教えようとしなさんな。叱るよりも時には賞《ほ》めてやって当人に自信を持たせないと……」  と、るいはしばしば、お吉をたしなめるのだが、お吉は全く容赦をしない。  流石《さすが》にお晴は時折、かくれて泣いているが、気を取り直すのも早いらしく、 「あいつは全く変わり身がうまいよ。今泣いた烏《からす》がもう笑っている」  心配して様子を窺って来た東吾がるいに報告することも多かった。  千春は早速、この新参の女中が気に入ったようで、琴の稽古のお供はお晴ということが増えた。  るいにしても、一日中「かわせみ」のなかで働いているばかりでは神経の休まる暇もなかろうし、少しでも外へ出してやれば気分転換になるかと、千春の請いにまかせている。  千春の琴の師匠の住居は八丁堀五丁目、鉄砲洲稲荷の近くであった。  五日に一度の割合で稽古に通う千春について行くと、玄関を入ってすぐのところに待合部屋があって弟子達はそこで順番の来るのを待っている。お供もその部屋にいてかまわないのだが、とかく混雑するのと、正直のところ、お晴は長時間、正座しているのが苦手であった。そのあたりの事情は千春も承知しているので、天気のよい日は外で待つことに決めていた。  八丁堀五丁目の角、稲荷橋へむいたところに小さいがよく出来た鋳物のお地蔵様があって、脇に縁台が一つおいてある。別に茶店というのではなく、お地蔵様に参詣に来た人が休んでいたり、すぐ隣の、おむらという婆さんが一人でやっている形ばかりの飴屋で飴を買った子がそこで食べていたりといった光景がよく見られる。  最初は橋の上からあたりの様子を眺めて、千春の稽古のすむのを待っていたお晴だったが、おむら婆さんが声をかけてくれたのがきっかけでその縁台へ腰を下したり、お地蔵様を拝んだりするようになった。  おむら婆さんの飴屋はお晴がみた限りではあまり繁昌しているふうではなかった。  千春は、お晴が稲荷橋のところで待っているようになってから、そこにお地蔵様と飴屋があるのに気がついたとみえて、お晴と一緒に参詣していたが、或る日、稽古に出かける前にお地蔵様と飴屋の話をして、 「お母様、穴のあいたお金を二枚下さい」  といった。で、るいが、 「何に使うのですか」  と訊くと、 「お地蔵様におまいりしてお賽銭にあげるのです」  という。 「飴を買うのなら、お晴にお金を持たせますよ」  るいが可笑しそうにいってみると、 「いいえ、飴は頂きません」  小さな赤い巾着に穴あき銭を二枚だけ入れてもらって稽古に出かけた。  お地蔵様の前まで来ると、銭の一枚をお晴に渡し、 「お晴もおまいりをしなさい」  真面目な顔でいって、自分も残りの一枚を供えて合掌する。お晴もいわれた通り、一文のお賽銭を上げて手を合せた。  それが稽古に行くたびに続く。  店にいるおむら婆さんの目にもそれは少々奇異に見えたらしい。  或る日、いつものようにおまいりをしてから千春を琴のお師匠さんの家へ送り届け、お晴が橋の袂へ戻って来ると、 「あんた達、なにか心願のことがあるのかい」  とおむら婆さんから訊かれた。 「しんがんって何ですか」  ぴんと来なくて訊き返すと、 「お地蔵様へお願いすることだよ。よくおまいりに来るじゃないか」  といわれた。 「わたしはお嬢さんが病気や怪我などをしないで健やかにお育ちなさるようおがんでいます」 「小さい子は、あんたの御主人の子かい」 「そうです」 「他のことはお願いしないのかい。親のこととか」 「親兄弟はいません」 「じいさん、ばあさんは……」 「二人共、歿りました」  おむら婆さんは、ふうんという顔をして次に、お晴の名前と年齢を訊いた。返事をすると、 「おはるってのは、季節の春って字を書くのかい」  店の中から外へ出て来た。 「その春じゃありません。晴れたり曇ったりの晴という字を書きます」 「そうかね、あたしの孫のお春は春って字だったんだよ」  飴屋の婆さんの孫が自分と同じ音の名前と知って、お晴は少々、親近感を持った。 「お婆さんのお孫さんはお元気ですか」 「死んだよ。四つの年に……今、生きてるとあんたと同じ年だ」  悪いことを訊いてしまったと思い、お晴は頭を下げ、そっとその場を立ち去ろうとした。 「行かなくっていいよ」  声がかかった。 「そこにいていいんだよ。お嬢さんを待ってるんだろう。そこにいるがいいよ」  お晴はいわれた通り、縁台に腰をかけた。しかし、どうにも居心地は悪かった。  そんなことがあったので、お晴はお地蔵様のおまいりに寄るのに気が重くなった。けれども、千春は相変らず一文を供えて合掌して行くことを怠らない。  仕方がないので、千春の背後からそそくさと祈念した。稽古の間もどこか他へ行って過そうかと考えたが、急に変えるのも、なんだかお婆さんに悪いような気がして出来なかった。  お晴にとって幸いだったのは、そのあたりから天気が崩れ、稽古日が雨になったことであった。  雨ではお師匠さんの家の待合部屋でひかえているほかはない。  その日も雨であった。  青時雨《あおしぐれ》といって、青葉、若葉を濡らしてしたたり落ちる雨のしずくを時雨に見立てて呼ぶのだと「かわせみ」で教えてもらったばかりのしとしと降りの中を、お晴が傘をさし千春のお供をして稲荷橋の袂まで来ると、おむら婆さんが竹箒《たけぼうき》をふり廻し、逃げ廻る子供達を追いかけてはその背中を打ち据えているのに出くわした。  子供達はせいぜい三、四歳から四、五歳くらいの年頃で、追われてころんだり、箒で叩かれて泣いたりしているが、おむら婆さんは容赦なく一人一人をなぐりつける。  あまりの凄じさに千春が立ちすくみ、お地蔵様に参詣するどころではなくなって、お晴は千春の手をひいて一目散に琴のお師匠さんの家へかけ出して行った。  二人ばかり先着の弟子がいて、やがて千春の順番がきて奥の稽古場へ行ってから、お晴は外へ出た。  雨は小止みになっている。  飴屋の前まで行ってみると、おむら婆さんは軒下に七輪を持ち出して小鰯を煮ていた。  少し離れて猫が三、四匹、うずくまっている。 「さっきの子供達、なにをしたんですか」  背後から訊くと、おむら婆さんは驚いたようにふりむいたが、その表情はいつもの穏やかなものであった。幼い子供を打擲《ちようちやく》していた時の怖しい雰囲気はどこにも残っていない。 「あいつら、賽銭を盗みに来るんだよ」 「お賽銭をですか」 「まったく悪餓鬼で手に負えない」  猫の一匹が啼き、おむら婆さんがそっちを見た。 「あたしのおまんまが済んでからだよ。骨が欲しけりゃ、じっと辛抱するんだね」  お晴にいった。 「近所の猫どもなんだよ。たまさかに魚を煮るとこうやって集って来るのさ」  千春の稽古が終るといけないと思い、お晴はおむら婆さんに背をむけてお師匠さんの家へ戻った。  その日の出来事をお晴は「かわせみ」の誰にも喋らなかったのだが、次の琴の稽古の日、いつものようにるいが小銭を入れた巾着を、 「はい、お地蔵様のお賽銭ですよ」  と千春にさし出すと、 「もう、いりません」  と目を伏せた。たまたま軍艦操練所から早めに帰って来ていた東吾が、からかい半分に、 「いくらお願いしても、お地蔵さんが千春の頼みをかなえてくれないからか」  笑いながらいったのに対しても、口を結んで返事をしない。 「何か、あったのか」  お供について行くために、部屋の外にひかえていたお晴に訊ねた。お晴はちょっと困ったが、やむなくためらいがちながら、この前の稽古日におむら婆さんが幼い子供達を叩きのめしていたのを千春が目撃したことを打ちあけた。 「おばあさんは子供達がお賽銭を盗んだからといっていましたが、とてもひどい叩き方をしていましたので、お嬢様はきっとびっくりなさったのではないかと……」  るいが眉をひそめた。 「そんなにひどく叩いたのですか」  からっとした調子で東吾がお晴の返事を遮《さえぎ》った。 「賽銭を盗んだのなら仕方がないな。人の金を黙って持って行くのは盗っ人だ」  千春が漸《ようや》く口を開いた。 「でも、とても小さな子供達でした。お地蔵様のお賽銭を取って行くのが悪いと、まだよくわかっていないような……でも、お父様がおっしゃったようにお金を盗むのは悪いことです。ですから、お賽銭が供えてなければ子供達は取りません」 「成程、それで千春は賽銭を上げるのをやめるというわけだな」  手を突いているお晴を眺め、きかない顔の千春へ視線を戻した。 「賽銭が上っていなければ、子供達が盗っ人を働くこともないというのは、ひとつの理屈だ。  しかし、それでいうと、世の中から盗っ人をなくするためには世の中の人みんなが一文も金を持たないのがよいということになる。  たしかに、みんなが一文なしなら金を盗む者はいないだろう。けれども、金がなければものを盗むという奴がいるかも知れない。米屋へ入って金はないから盗めないが米はある。呉服屋へ行って着るものを盗む。饅頭屋で饅頭を盗む。みんなれっきとした盗っ人だ。だからといって、米屋から米を取り上げ、饅頭屋に饅頭を作るなとはいえないだろう」  千春がそっとお晴をみ、お晴は大きく合点してみせた。 「それに、早い話がそのお地蔵さんだが、飴屋の婆さんがお守りしているのだろう。お守りしていれば線香も上げねばならぬし、花も供えなけりゃならない。飴屋は小さくてあまり売れていないようだから、その婆さんにしても余分な銭はないだろう。参詣して賽銭を上げる者がいないと、お地蔵さんは線香も花も供えてもらえない。それでもお地蔵さんは何もいわないだろうが、心中、まことに寂しくないかな」  るいが袂のかげで笑いをこらえ、千春が父親にいった。 「やっぱり、お賽銭を上げようと思います」 「それがいいよ。子供達だって婆さんになぐられて痛い思いをしたんだ。二度とお地蔵さんのお供えをくすねようとは思わんだろう」 「お母様、巾着を頂いて行きます」  千春がお晴と一緒に出かけて行くのを「かわせみ」の暖簾口まで見送ってやってから、東吾は帳場の嘉助をふりむいた。 「八丁堀五丁目の飴屋を知っているか」  鉄砲洲稲荷の近くだというと、 「稲荷橋の手前のでございますか」 「婆さんが店番をしているらしいが、どんな婆さんかな」  嘉助が苦笑した。 「手前は飴を買ったことがございませんので……」 「俺もそうなんだ。あの前は始終、通るんだがね」  軍艦操練所の往復には大体、稲荷橋を渡っているが飴屋にも地蔵様にもあまり記憶がない。 「いわれてみれば、そんなものがあったような気もするのだが……」 「飴屋がどうか致しましたか」 「いや、たいしたことじゃあない」  今日は天気がいいな、と、とってつけたようにいい、暖簾の外へ出てみると、目の前を畝源三郎《うねげんざぶろう》が歩いて来た。 「おい、源さん、素通りかい」  小者もつれず、憮然とした顔で歩いていた源三郎が苦笑した。 「この御時世に、つまらぬことで大さわぎをするものだと思いましてね」  八丁堀の組屋敷に投げ文が入ったという。 「地蔵さんのまわりで遊んでいただけだというのに、耳が聞えなくなるほど撲られたと申すのです」 「そいつは聞き捨てならないな」  立ち話でもあるまい、ちょいと寄れよ、と東吾が暖簾をかかげ、 「あまりゆっくりは出来ませんよ」  源三郎は大刀を腰からはずし、嘉助が上りかまちに用意した座布団に落着いた。 「早々だが、源さんの話の地蔵さんってのは稲荷橋の袂のかい」 「御存じですか」 「隣に飴屋がある」 「地蔵さんは飴屋が鋳物屋に造らせたんだそうですよ」 「婆さんがか……」 「いや、歿った亭主とのことです」 「すると、後家さんなんだな」 「どうも、あまり運のよい生まれではないようですよ」  町役人《ちようやくにん》に聞いたことだが、一人娘が男に欺されて捨てられ、父《てて》なし子を産んだが、産後の肥立ちが悪くて歿り、残された孫娘も四歳で病死したという。 「よくよくがっくりしたんでしょうか、爺さんは地蔵菩薩を孫娘の供養のために造らせ、西国へ巡礼に出かけたきり、とうとう帰って来なかったそうです」 「小さい子供を竹箒で無茶苦茶にぶんなぐったのは、その八つ当りか」 「いや、亭主が巡礼に出たのは八年も前のことでして……」 「乱暴な女房に愛想を尽かして、どこかでいい女と暮しているか」 「七十に手の届こうという爺さんですよ」  源三郎の声を聞きつけたらしく、るいが自分で茶を運んで来た。源三郎が改まって挨拶をし、東吾がいいつけた。 「例の飴屋の婆さんに撲られた子の親が源さんの所へ投げ文で訴えて来たんだとさ」  るいが気の毒そうに頭を下げた。 「でも、お賽銭を盗んだのでは仕方がありませんでしょう」 「それが、盗みなぞ働いていないと申すのです」  東吾が笑った。 「そりゃあ、親に何をしたといわれりゃ盗んだとは答えまいよ」 「自分の子供は鋳物のお地蔵さんが珍しくてちょっと叩いてみただけだというのですがね」 「お地蔵さんを叩いてはいけませんね」 「子供は音の出るものとなると、なんでも叩きたがるさ」 「そういう東吾さんも、その昔、組屋敷の近くの山王さんの御旅所《おたびしよ》に寄進された唐金《からかね》の燈籠を叩いて大目玉を食いましたね」 「つまらねえことをよく憶えているもんだ」  源三郎が茶を喫し終って立ち上った。 「子供が悪戯《いたずら》をしているのですから、親も強いことはいえませんが、耳が聞えなくなるまで叩くというのはやりすぎという気もしますよ」 「はずみだろう」 「前にも、同じような悪戯をした子は頭から血を流して帰って来たといいますので、まあ、それとなく町役人からでも注意をさせようかと思っています」  勿論、子を持つ親は、つまらぬ悪戯をしないよう我が子の躾をするべきだがと片目をつぶってみせ、源三郎はそそくさと帰った。      四  翌日、東吾は軍艦操練所からの帰り道、通りすがりに飴屋と隣の地蔵を眺めた。  身の丈が二尺足らずの地蔵菩薩の像は四本柱に屋根の載っただけの簡単な御堂におさまっていた。台座も鋳物で比較的大きく出来ているのは、安定のためとみえる。  柱と柱の間はなにもないので、小さな子供が像に近づいて触ったり、棒で叩いたりは出来そうであった。  飴屋の店のほうには誰もいなかった。店といっても平土間のむこうに飴の入った箱がおいてあるだけで、のぞいてみると箱の中はからっぽであった。部屋は六畳ひとまだけで押入れもなく、夜具は片すみにたたんであり、その脇に古ぼけた行燈と柳行李《やなぎごうり》が一つ、如何にもわびしげな住居である。  橋のほうに下駄の音がしたので、東吾は歩き出した。下駄の主は飴屋の入口で止っている。さりげなくふりむくと両肩を怒らせた老婆がうさんくさそうにこっちを見ている。手に大きめの鉢を持っていてその上に手拭がかぶせてある。老婆の背後で猫が甘え声で啼いているところをみると、鉢の内身は魚かも知れない。東吾は踵《きびす》をめぐらすと早足で亀島川に架る高橋《たかばし》の方へ向った。  松平越前守の下屋敷のへりを廻って四日市町まで来ると、ばったりお晴に出合った。  大事そうに四角い包を持っている。 「川井屋さんへ卵を取りに行ったところなんです」  お帰りなさいませ、と丁寧にお辞儀をしてからつけ加えた。 「かわせみ」ではすぐ隣町の川井屋で卵や乾物類を買っている。 「ちょうどよかった。お晴に訊いてみようと思っていたんだ」  前後して歩きながら東吾がいい出し、お晴は緊張した表情になった。 「いつも千春の供をして行って、飴屋の婆さんの隣のお地蔵さんにお賽銭を上げているだろう」  お晴は、なにをいわれるのかと目を一杯に見開いている。 「あそこのお地蔵さんは、いつもどっさりお賽銭が上っているのかい」 「そんなことはありません」  はっきりした返事が戻って来た。 「お前達が参詣する時、いくらぐらい供えてあるんだ。日によって違うだろうが……」 「一文も上っていないほうが多いです。せいぜい、銭が二、三枚、それ以上だったことはなかったと思います」 「お前達のを足しても、五枚が限度だな」 「あたしが見た限りでは、そうです。だから、お嬢さんがお供えしないほうがよいのかって……」 「そういうことだったのか」  すると、子供達が賽銭泥棒を働いたとしても、盗んだのは、せいぜい三文程度ということになる。 「二、三文のことで耳が聞えなくなるまでぶんなぐるというのは、気性の荒い婆さんだな」 「普段は、そうでもないみたいです。野良猫にお魚の食べ残りをやったりして……」  優しい声で猫達にいいきかせていたといった。 「あたし、少しおかしいと思います。あのお婆さん、四つで死んだ孫があたしと同じ名前、字は違いますけど、立春の春という字なんです。生きていれば、あたしと同い年だって話してくれた時は涙をためていて……そういう人が死んだ孫と同じ年頃の子をあんなにひどく撲りつけるなんて……とても変な気がします」 「そう聞くと、俺もおかしいと思うよ」  このところ、物価の値上りがすさまじく銭百文で米一合五勺などというとんでもない相場になっている。つい、二、三年前まで一日三百文で暮していた裏店《うらだな》暮しの棒手振《ぼてふり》でも、今は一日五百文稼いでも満足には食えないとさえいわれている。  飴売り婆さんの暮しはきびしいに違いないが、それでも二、三文のことであった。別に毎日のように盗まれているわけではなさそうでもある。 「下手をすると、子供達が親に訴えたように賽銭を盗んだのではなく、地蔵さんをちょっと叩いてみたぐらいのことなのかも知れないな」  鋳物であろうと、仮にも仏さんを叩くのはよろしくないが、ぶちのめすほどのことでもなかろうと、そこは子を持つ親で、つい、子供のほうを贔屓《ひいき》にする気持が動く。 「あの婆さん、よくよく食うに困っているのかな」  お晴が、かぶりを振った。 「お江戸はあたしの育った六浦にくらべると魚がとても高いと思います。でも、あのお婆さんは毎日のようにお魚を食べているみたいです」 「ほう」  あっけにとられて東吾はお晴を眺めた。 「どうして、そんなことを知っている」 「気になったんです。あのお婆さんが一文二文の銭にも困っていて、飴だって毎日作って売っているようでもありませんでしたし、もし飢え死にでもしたら大変だと……お嬢さんがお稽古なすってる間によく見に行きました……」 「成程」 「棒手振の魚屋で魚を買っていました。お婆さんはあたしに安魚《やすざかな》しか買えないって……でも、お婆さんが行ってしまってから、魚屋がいいました。食えない婆さんだって……近所を廻る俺には用心して安いものしか買わないが、京橋の大きな魚屋で、びっくりするほどの値の初鰹を半身も買っている。京橋のほうじゃあどこかの奉公人が主人にいわれて買いに来ていると思っているが、なんのことはない、みんな自分の腹に入れている。案外、小金《こがね》を貯めているんだと話してくれました」  一息に話してしまってから、急にしょんぼりした。 「すみません。死んだ爺ちゃんから人様のことを根ほり葉ほり訊《き》くもんじゃねえ。人には人の事情ってものがあるんだからって、いつもいわれていたのに……本当にすみません」  十四にしては子供子供しているお晴の肩を東吾は軽く叩いた。 「あやまることはない。あんたはあの婆さんを心配して様子をみただけだ。それに、今の話はひょっとすると、えらく大事なことかも知れないよ」  お晴を「かわせみ」の前まで送って、東吾はまっしぐらに八丁堀の組屋敷へ畝源三郎を訪ねて行った。  源三郎は奉行所から退出して来たばかりだったが、黙って東吾の話を聞き終えると、 「東吾さんは、飴屋の婆さんが小金を貯めていて、そいつを鋳物の地蔵さんのどこかにかくしているといいたいのですか」  いささかあきれ顔をした。 「仮にそうだとしても、それがお上にとがめられるものではないでしょう。あの婆さんは元気ですが、もう六十のなかばなんです。亭主は何をしていたのか聞き洩らしましたが、夫婦でこつこつ働いて質素な暮しをしていれば少々の金は貯まるかも知れません。それをどこにかくしておこうが、どう使おうが、とやかくいう筋はないと思いますよ」  東吾が子供のように鼻の頭をこすった。 「亭主が西国三十三カ所の札所《ふだしよ》廻りに出かける前に地蔵さんの像を造らせてるんだぜ。あれだって決して安かねえ」 「としても、婆さんが魚を買うぐらいのへそくりを残しておくことは……」 「源さん、みみっちい話をするようだが、今年、初鰹いくらしたと思う」 「鰹も文化文政の頃から見ると値が下ったと古老はいいますよ。この節は水戸様の川から上る初鮭のほうが余っ程、高値だとか」 「久しぶりに二両って値のついた初鰹を、あの婆さん、一人で半身買ったと魚屋がいっていたそうだぞ」  江戸っ子の初鰹好みは女房を質に入れてもと川柳に詠まれるくらいのものだが、米の値段が上下すること激しい昨今でも、一両あれば八斗から五斗前後といわれている時に、鰹一匹二両はやはり法外であった。  源三郎が太い眉を寄せた。 「俄《にわ》かには信じられませんね」 「京橋の魚屋だそうだ。調べてみればわかるだろう」  それでも苦笑している源三郎へ、東吾は珍しく食い下った。 「初鰹のことだけじゃねえ。俺はどうも、うさんくさいというか、あの婆さんのやり方がひっかかってならねえんだよ」  遂に源三郎が押し切られた。 「わかりました。とにかく、おむら婆さんについて調べさせましょう」  あのあたりは常吉という御用聞の持場になっているが、 「あまり、機転のきく奴ではありません。誰彼というより、長助《ちようすけ》のほうが顔を知られていないだけやりやすいと思います」  という源三郎の返事を聞いて、漸く、東吾は腰を上げた。      五  それから五日、軍艦操練所の勤務を終えて東吾が退出して来ると、本願寺の橋の袂に長助が突っ立ってこっちを眺めている。  俺を待っていたと気づいて、東吾は走って行った。 「若先生のお見込み通り、えれえことになりましたんで……」  勇み立っている長助に近づくと、 「畝の旦那はまだ御奉行所でございますが、神林の殿様はお帰りになっておいでで、お屋敷のほうへ寄るようにと……」 「兄上がか」  吟味方与力の所にまで達するような事件になったのかと、東吾は少々、驚いた。  そういえば、今朝、軍艦操練所へ出仕する際、稲荷橋を通ったが、地蔵さんのある場所は葭簀《よしず》が廻《めぐ》らしてあったので、なんだろうと気になっていた。 「あの婆さん、叩いてみたら埃が出たか」  長助がにやりと笑った。 「神林の殿様がお話しなさると思いますんで、あっしはその手前のことをお知らせ申します」  まず、京橋の魚屋を調べたところ、初鰹の件はともかく、三日に一度はおむらが魚を買いに来て、それも到底、飴屋の婆さんが口に出来そうもない高級魚だったといった。 「あの婆さん、主人が大の魚好きで、この店の魚が新しくっていいからと気に入って買いに来させられているってな嬉しがらせを魚屋に喋りゃあがって、魚屋は疑いもしなかったようです」  稲荷橋詰の家へ引越して来たのは、神田に大火のあった年の秋で、ちょうど十年前。亭主は季節のものを売り歩く行商人だと近所の者にはいっていたらしい。 「ですが、あそこへ来て二年かそこらで亭主の姿をみかけなくなったんで婆さんに訊くと、西国へ巡礼に出かけたってんで、どうもそういった話は当人から聞いたこともなく、なんだかおかしいような気がしたって奴が居りました」  それっきり、亭主は帰って来ない。 「まあ、お遍路《へんろ》さんってのは、けっこうきびしいものなんだそうでして、途中で野垂れ死にするのも珍しくないとか。いつまでも帰って来ねえんで、婆さんは江戸を出て行った日を亭主の祥月命日にしているなんていってたようですが、旅先で何かあったら、当人は無筆でも、人に頼んで知らせの文をよこしそうなもので、そのあたりもいい加減な感じが致します」  とはいえ、婆さんは近所づき合いをせず、従って親しくなる者もない。 「あっしが聞いて歩いた限りでは、地蔵さんを造って供養をするほど、孫娘をかわいがっていたというのに、先立たれたのは気の毒だといった程度のことでございました」  二日前に、鉄砲洲稲荷の近く、本湊町に住む鳶《とび》職の幸吉というのが、酒の勢いを借りておむら婆さんの地蔵さんをかつぎ出し、亀島川へ放り込みそうになったのを知っているかと訊かれて、東吾は首を振った。 「知らんぞ。そんなことがあったのか」 「へえ、幸吉といいますのは、普段は気の弱い奴なんですが、酒が入ると人が変っちまうんだそうで、そいつの餓鬼が、こないだ地蔵さんに悪戯してこっぴどく仕置をされた一人なんです」  顔が紫色に腫れ上るほど撲られたあげく、逃げるはずみにころんで足の骨まで折ってしまった我が子に、幸吉は逆上した。 「仲間の話では、地蔵さんってのは子供を守る仏さんじゃねえのか。その仏さんを祭っている婆あが、なんてえ非道なことをしやがる。そんな仏さんは川にぶち込んでやるってんで、押しかけたようで……」 「地蔵は川へぶち込まれたのか」 「ぶち込む前に近所の衆が止めたんですが、そのはずみに地蔵さんの台座がはずれて、そこから小判がざくざく出ました」 「なんだと……」  東吾が目をむいた時、八丁堀の兄の屋敷がみえて来て、 「畝の旦那からうかがったことですが、実は小判だけじゃなくて、奇妙なものがみつかった。それがきっかけで旦那がお調べになって、えれえことがわかったんだそうでございます。あっしが知っていますのは、ここまでで、いずれ、旦那からお話があると思います」  今から畝源三郎の屋敷のほうへ行って、 「旦那のお帰りを待つよう申しつかっていますんで……」  嬉しそうに頭を下げて去った。  神林|通之進《みちのしん》はすでに着替えをすませて居間にいた。  麻太郎《あさたろう》と話をしている声がまことに優しく機嫌がよさそうである。  安心して東吾は出迎えてくれた兄嫁のあとから居間へ通った。 「叔父上、お出でなさいませ」  麻太郎が手をつかえて、通之進が、 「来たか。腹はすいて居らぬか」  女房子のある弟に昔ながらの気遣いをみせた。 「空腹でないこともありませんが、それよりも、地蔵さんの台座の中から小判と一緒に何が出たのですか」  兄が弟を眺めて笑い出した。 「其方はメキシコ・ドルラルを知って居ったのう」  傍で麻太郎が目を輝かしている。  以前、麻太郎と畝家の長男、源太郎《げんたろう》がひったくりを追いかけて行き、その男が投げ捨てて行った包の中から小判と一緒に洋銀が出た。それがメキシコ・ドルラルと呼ばれるアメリカ人が持ち込んだ通貨であった。 「また、あれですか」  横浜あたりではよく見かけるが、禁制ということもあって江戸では滅多に庶民の手には渡らない。 「表に鳥のような絵の打ち出してある銀貨でしたが……」  それが、地蔵さんの台座の中にかくしてあった小判に、 「一枚だが、まじって居った。しかも上に穴があけてあって、そこにこよりが通してあったのじゃ」  と通之進は東吾と麻太郎を等分にみながら話した。 「畝源三郎がこよりを開いてみると、室町、大和屋さま、と書いてあった」  室町で大和屋といえば、もともとは中国から運ばれて来る陶磁器や美術品を扱う老舗《しにせ》であったが、近頃は横浜にも出店をし、イギリスやフランス、アメリカなどの商人とも取引をしてめきめきと頭角を現わしている大店《おおだな》で当主は景右衛門という。  畝源三郎が大和屋を訪ねて、景右衛門に洋銀とこよりをみせると、 「これは、八、九年も前に、手前が芝の骨董屋にあずけたものに間違いございません」  といった。  景右衛門はたまたま知り合いから入手したメキシコ・ドルラルを根付《ねつけ》にしてみようと思い立って出入りの骨董屋に細工を依頼したところ、その骨董屋が帰りに掏摸《すり》に財布ごと掏られてしまった。 「自分で穴を開けてみましたが、素人ではうまく行かず職人にやらせようとしたのでございますが……」  という景右衛門の説明で、源三郎は芝の骨董屋芳兵衛を調べた。 「大和屋の旦那様のおっしゃる通りでございます。おあずかり致します際に紙にあちら様の名前を書き、こよりにして穴に結んだのは私でございまして……」  掏摸に遭ったのは尾張町の通りで、 「いきなり男がぶつかって参りまして、手前は慌てて懐中を押えたのでございますが、もぎ取るように紙入れごと盗《と》られまして、追いかけたのですが、姿を見失いました」  奪われたのは景右衛門からあずかった洋銀と他に売り上げ金の十両ばかりで、 「金はともかく、おあずかりした物は取り返しがつきませんので、早速、お詫びに参りますと掏摸にやられたのでは仕方がないと……たまたま、お気に召した根付がございましたのでそれを、お詫びにさし上げることでお許しを頂きました」  と申し立てた。  通之進の話に、東吾が大きく体を乗り出した。 「すると、兄上、掏摸の掏った金が、地蔵の台座にあったと申すことは……」  通之進が目許を笑わせた。 「急ぐでないぞ、東吾。畝は八、九年以前の掏摸のお届けを調べて面白いものをみつけ居った」  八年前、両国橋の近くで、直参旗本、増田孝治郎というのが、掏摸を斬り捨てた事件である。 「畝は増田孝治郎どのを訪ねて、改めてその折の事情を訊いたものだが、やはり、乱暴にぶつかって来て、懐中の紙入れに手をかけたので、その手をふり放し、逃げる相手にむかって止れ、止らぬと斬るぞと声をかけたが止る様子もないので抜き打ちに一太刀浴びせたそうじゃ」 「掏摸は死んだのですね」 「増田どのは一刀流の手練《てだ》れだそうじゃ。ひとたまりもあるまい」 「掏摸の身許は……」  通之進がまた笑った。 「盗人が殺されたとて、仲間や縁者が名乗って出て来ると思うか」  ぼんのくぼに手をやって、東吾もつい笑い出した。 「それはそうです」 「畝は増田どのより聞いた掏摸の人相、年恰好、掏り方なぞから、芝の骨董屋、芳兵衛を襲った掏摸と同一ではないかと推量致したそうな。しかも、東吾、増田どのが掏摸を斬り捨てたのと、飴屋の老婆が亭主は西国巡礼に出かけたと近所に申したのが、全く同じ時期であった」  東吾が大きく膝を叩いた。 「やりましたな。流石《さすが》、畝源三郎ですよ」 「畝は只今、飴屋の老婆を取り調べて居る。なかなかの強情者のようじゃが、洋銀の出所を追及されて顔色を変えたと申す故、間もなくおそれ入るのではないか」  通之進がいったように、翌日、畝源三郎が「かわせみ」へ来た。 「東吾さんのおかげで、手前は大いに面目をほどこしました」  おむらが白状したと報告した。  おむらの亭主は掏摸で、おむらも時折は手伝いのようなことをしていたらしい。 「源さんのねばり勝ちさ。やっぱり餅は餅屋だな」  一件落着でめでたいと東吾は喜んだが、るいは、 「悪い人には違いありませんけど、六十のなかばを過ぎて、どのようなおとがめを受けるのでしょうか」  と案じていた。  けれども、やがて決ったのは大島へ流罪ということで、島送りの舟まで送って行った源三郎の報告では思った以上に元気だったという。 「島は気候もいいし、魚が豊富で旨いといってやりましたら、ひどく喜んでいました」  という。  そして、東吾はその親友にそっと告げた。 「そもそもはうちのお晴があの婆さんはおかしいといったんだよ。あいつ、けっこう捕物の勘が冴えているんじゃないのかな」  だが、お晴は「かわせみ」で働きながら、時折、大川のむこうに広がる海を眺めていた。  自分がどうも変だといろいろ調べはじめたのがきっかけで一人の老婆の旧悪が露見し、島送りになったことを後悔するような気持がある。といって、かくした金がばれるのではないかと怖れて、いたいけな子供を撲りつけ、賽銭泥棒の濡れ衣を着せたおむらを許す気にもなれない。  ひっそりと一人だけ胸の中に悩みを抱えているお晴の表情は、江戸へ出て来た時より少しばかり大人びたようであった。 [#改ページ]   青江屋《あおえや》の若旦那《わかだんな》      一  日本橋で水引きなどの、慶事の祝物や結納物などの調製を営んでいる「琴吹屋《ことぶきや》」という老舗の娘のおちかが、大川端の旅籠「かわせみ」へ来たのは商売物を届けるためであった。 「かわせみ」へ滞在している客が取引先の隠居の喜寿の祝に持参する必要があって、その調製を「琴吹屋」に依頼した故である。  おちかは手代と一緒に藤の間の客の許に祝物を運び、やがて「かわせみ」の帳場へ戻って来た。 「おかげさまで大層、気に入って頂けました。ありがとう存じました」  と、帳場に出ていたるいに挨拶したのは、客を「琴吹屋」へ紹介したのが、るいだったからである。 「それはようございました。琴吹屋さんなら間違いないと申し上げましたので、お気に召したとうかがって、私も安心致しました」  おちかに答えているるいの前には客用の大小の椀がおいてあり、それをお吉が女中に命じて台所へ運ばせていた。  宿屋商売では、塗物の食器は必需品であった。毎日のように使うので瀬戸物同様、丁寧に扱っていてもけっこう割れたり、傷んだりする。  殊に塗物は古くなって来ると傷がついたり、塗りがはげて来る。通常は丈夫な輪島塗を使っているのだが、るいは趣味で絵柄の美しい京塗のものなどを二の椀に用いたりする。  そうした高級品を註文するのは、日本橋の「青江屋」と決っていた。  おちかの「琴吹屋」と「青江屋」は目と鼻の先の距離である。  で、おちかが女中達の運んで行く椀などをなんとなく眺めているのに気がついて、その一つを取り上げていった。 「青江屋さんに註文しましたの。大ぶりで使い勝手がよさそうでしょう」  おちかが少しうろたえて、赤くなった。 「本当に、波に千鳥が、とても美しゅうございます」  どこか上の空で答えてから、ちらと入口のほうをみた。  おちかについて来た手代は一足先に土間へ下りて暖簾の近くにいた老番頭の嘉助と世間話をしている。 「あの……」  小さく、おちかがいい出した。 「青江屋の成太郎さんが、弟さんに店をゆずってどこかへ行くというのは本当ですか」  るいは、あっけにとられた。  成太郎というのは、青江屋の跡取りの若旦那のことである。 「いったい、どうして……」 「お耳に入っていませんか」 「いいえ、全く……」 「そうですか」  蚊のなくような声でつけ加えた。 「あちらの奉公人が、うちの者にいったと聞いたので……申しわけありません。変なことをいってしまって……」  改めて丁寧に頭を下げ、そそくさと上りかまちを下りて行く。  るいがそのまま見送っていると、嘉助に挨拶をし、手代と一緒に「かわせみ」を出て行った。 「琴吹屋のおちかさん、奇妙なことをいいましたね」  るいが手にしたままの、最後の一つのお椀をそっと受け取りながら、お吉が待っていたとばかりにいった。  聞えないような顔をしていて、ちゃんと小耳にはさんでいる。 「成太郎さんの弟というと、好吉さんのことでしょうけど、あの人、昨年、江戸へ出て来たばっかりで、よっぽど江戸が珍しいのか、毎日毎日、盛り場をほっつき歩いて、ちっとも腰が落着かないって、あそこの番頭さんがこぼしてましたよ。なんで、そんな人に店をゆずらなけりゃならないんですかね」 「そんなこと、あたしが知るものですか」  るいが帳場から奥へ入ると、お吉はめげずについて来た。 「青江屋さんは、家の中が複雑らしいですよ。なにしろ、大旦那の仁兵衛さん、今でこそ好々爺《こうこうや》ぶっているけれど、その昔は女に手が早くて、成太郎さんも好吉さんも他へ産ませた子で、三、四年前に歿《なくな》った御本妻の子じゃないそうですから……」  女主人が眉をひそめるのもかまわず続けた。 「本当かどうかは知りませんが、好吉さんのおっ母さんってのは、どこだかの岡場所の女だっていいますよ」 「およしなさい」  遂にるいが強い声を出した。 「よくも、そうべらべらと他人様《ひとさま》の家の内証事を喋りまくれるものですね。どこのお宅だって世間へかくしておきたい事情の一つや二つはあるものなのに……」 「こちら様にはございませんです」  お吉が首をすくめた。 「若先生は青天白日、御立派でございますから、御新造様はお幸せでございますです」  嬉しそうな顔で居間を逃げ出して行った。 「本当に、もうお吉ったら……」  怒り切れないで、るいは長火鉢の前へすわって埋《うず》み火《び》をかき起した。  この二、三日、天気がぐずついて夏だというのにどこか肌寒い。  それにしても、琴吹屋のおちかは何故、青江屋の若旦那である成太郎のことをあんなに気にしていたのかと思う。 「おい、何を考えているんだ」  だしぬけに庭のほうから東吾の声が聞えて、るいは腰を浮かした。  沓脱《くつぬぎ》石のところに立って、右手に大刀を下げた東吾がこっちをみて笑っている。 「お帰りなさいませ。どうしてこちらから……」  訊いてしまってから、るいは気がついた。  帰宅した時、玄関が客で混雑していると、東吾はさりげなく裏木戸へ廻って枝折戸《しおりど》から庭伝いに居間へ戻って来る。  宿屋稼業をしていると、どうしてもこういうことが多いので、夫婦になって以来、別に内玄関をつけましょうと何度か提案してみたが、その都度、 「殿様じゃああるまいし……」  東吾が笑って取り合わないので、ずるずるとそのままになっている。 「表、ごたごたしていましたの」  大刀を受け取って訊くと、 「千客万来というほどでもないがね、四、五人がいっぺんに着いたらしいんだ。嘉助に気を使わせたくなかったんでね」  どうも、また降り出しそうだといいながら縁側へ上った。 「千春はお習字か」 「はい、お晴がお供でついて行きました」 「それじゃ手が足りないな。るいが出て行かなくていいのか」 「お吉が馴れていますもの」  乱れ箱を運んで来て着替えを手伝い、長火鉢の前へ戻って茶の仕度をしていると、 「さっき、何を考えていた。心配事でも出来たのか」  麻の座布団へどっかと胡座《あぐら》をかいて女房の表情を窺った。 「まるで夜逃げの思案をしているって顔だったぜ」 「馬鹿ばっかし……」  湯呑茶碗を猫板の上へおきながら、おちかの話をした。 「成太郎さんが弟さんに家督をゆずるって話もですけれど、なんで、おちかさんがそんなことをいったのかと……」  湯呑茶碗を手にした東吾があきれたようにるいを眺めた。 「決ってるじゃねえか。おちかって娘は成太郎に惚れてるのさ」 「やっぱり、そうでしょうか」 「やっぱりもさっぱりもねえ。他に考えようがあるかい」 「成太郎さんのほうは、どうなんでしょう」 「そいつはわからねえが、成太郎って奴、出来はどうなんだ。評判の極道者かい」 「とんでもない。そんな噂は聞いたことがありません」  炭箱を持ってお吉が入って来た。 「お帰りなさいまし。お出迎えも致しませんで申しわけございません」  神妙に頭を下げてから、 「青江屋の成太郎さんなら、そりゃあ評判のよい若旦那でございます」  早速、夫婦の話にとび入りした。 「若先生ほどじゃございませんが、ちょいとした男前で人柄はよし、腰は低し、商売熱心で、青江屋は若旦那の代になってからお得意先を二倍にもしたって、あそこの番頭さんがいってます」 「父親は歿ったのか」 「いえ、まだ生きてますけど、二年前に軽い中風を患って、それからってものは御商売も何もかも、成太郎さんにまかせっぱなしだとか……」 「母親は……」 「大旦那さんのお内儀さんは三、四年前に歿ってますけど、成太郎さんの本当のおっ母さんは生きてなさいますそうで、ただ、成太郎さんは六つの時から本妻さんの子として育てられなすったって話です」 「つまり、妾の子か」 「左様でございます」 「弟がいるんだな」 「好吉さんです」 「そいつは……」 「お妾さんの子ですけど、成太郎さんのおっ母さんとは違う人です」 「青江屋の主人は、そっちのほうを可愛がっているのか」 「そんなことはないと思いますけど……」 「しかし、成太郎は弟に店をゆずりたいといっているんだろう。つまり、父親がそれを望んでいるのに気がついたから身をひくってことじゃあねえのか」 「そんなの、あんまりですよ」  お吉が憤然とした。 「好吉さんってのは、昨年江戸へ出て来た人なんですよ。六つの時から生《な》さぬ仲の母親に仕え、商売をおぼえて来た成太郎さんが、なんでそんな弟に店をゆずらなけりゃあならないんですか」  お客様がお着きになりました、と女中が呼びに来て、お吉が慌てて出て行ってから、東吾がるいを見て首をすくめた。 「驚いたな。あいつ、いつから塗物屋の若旦那を贔屓にしてたんだ」  長火鉢に炭を足していたるいが、少しばかり、つんとした。 「御存じでしょう、あの人が男前に弱いのは……」  廊下を手習草子を下げた千春が走って来て、夫婦は忽《たちま》ち、穏やかな親の表情を取り戻した。      二  それから四日ばかりが経って、東吾が軍艦操練所の帰りに寒さ橋を通りかかると、橋のむこうで若い男が二人、何やらいい争っているのが目についた。  寒さ橋は築地明石町と南飯田町をつなぐ橋で、正式には明石橋だが、冬は海から大川へ吹きつける風にさらされて、呼び名の通りえらく寒い。  その代り、夏は炎天下を歩いて来た者がここでふっと川風に一息入れて涼んで行く。 「それじゃ、兄《あん》ちゃんは俺に青江屋の店をやって行けというのか」  という声が耳に入って、東吾はさりげなく橋の袂で足を止め、海を眺めるような恰好で二人の男の様子を窺った。  二人共、縞の着物に角帯という似たような恰好だが、着方がまるで異っていた。  年かさのほうは如何にも商家の若旦那らしくきっちりしているのに対し、弟はみるからに野暮ったかった。  兄は色白で、弟は浅黒い。しかし、目鼻立ちはよく似ている。 「冗談じゃねえよ。田舎育ちの俺にあんな大店《おおだな》、背負って行けるわけがねえじゃねえか」  殆ど叫ぶような声で弟がいい、兄がたしなめるように落着いた口調で制した。 「心配することはない。お父つぁんもいらっしゃる。番頭の忠兵衛だってお前がその気になればその昔、わたしに教えてくれたように、塗物のいろはから丁寧に教えてくれる。最初は途惑うかも知れないが、何事も勉強だ。きっと、立派な青江屋の主人になれる」 「兄ちゃんってものがあるのに、どうして俺があの店を継がなけりゃならねえんだ。俺がみた所、兄ちゃんは塗物屋の主人に生まれついて来たような人だ。なんでもよく知っているし、職人につける註文だって番頭さんが感心するほどしっかりしている。俺は江戸へ来て、兄ちゃんが出来上って来た塗物をみている目をみて、なんて優しいんだ、なんて凄いんだと、つくづく驚いた。こんな人が俺の兄ちゃんなんだと思うと、江戸へ出て来て本当によかったと……」 「好吉……」  兄が弟の肩に手をかけた。 「お前のいう通り、わたしは塗物が好きだ。第一、わたしをここまで仕込んでくれたお父つぁんや忠兵衛に対しても、今、店を出て行くのはすまないと承知している。けれど、人にはどうしてもしなけりゃならないことがある。どうか、わかっておくれ」 「しなけりゃならないことって何なんだ。教えてくれないか、兄ちゃん」 「駄目だ。それをいうわけには行かない」 「どうしてだ、どうしてなんだ。一人っきりの弟にもいえねえことなのか」 「ああ、いうわけには行かない」  寒さ橋へ向って数人が歩いて来た。それに気がついて兄が弟をうながし、急ぎ足に南飯田町のほうへ去って行く。 「東吾さん」  背後から声をかけられる前に、東吾は彼がそこに来ているのに気がついていた。 「今のは青江屋の兄弟ですね」 「源さん、あの二人を知っていたのか」 「昨日、店の前を通って、それとなく二人の顔をみて来ました」 「ほう」  肩を並べて、兄弟の去った方角へ歩き出したのは、東吾の帰る「かわせみ」もそっちだったし、畝源三郎の役宅のある八丁堀も同様だったからである。 「まさか、御用の筋じゃないだろうな」  正面をむいたまま東吾がいい、源三郎は強い日ざしに目を細くした。 「今のところ、なんともいえません」 「今のところだと……」 「東吾さんは、なんであの兄弟の話を盗み聞きしていたんですか」 「人聞きの悪いことをいうなよ」  兄弟のみえなくなった道のむこうへ視線を向けながら「かわせみ」でるいとお吉から聞いた話を受け売りした。 「お吉のいうところによると、成太郎と好吉はどちらも妾腹だということだが……」 「その通りですよ。成太郎の母親はおとしといって、青江屋へ女中奉公に来ていて仁兵衛旦那のお手がつき、成太郎が生まれたそうですが、当時、本妻も妊《みごも》っていたので、仁兵衛は手切金をはずんで、おとしを子供もろとも実家へ帰したようです」  大川のむこうに佃島がみえていた。  漁師が干してある網を取り込んでいる。 「本妻が産んだのも男の子だったといいますが、これが五歳の時に病死しまして、それ以前から本妻は体が弱く、もう子供を産むのは無理だと医者がいったとかで、仁兵衛は成太郎をおとしから取り返して本妻の子として育てさせた」 「源さん」  黙って聞いていた東吾が口をはさんだ。 「成太郎と好吉はいくつ違いだ」 「兄が二十七、弟が二十三の筈ですよ」 「四つ違いなら、本妻の子が死んだ時、好吉はもう生まれているな」 「ですが、順からいえば成太郎が跡取りでしょう。それに好吉の母親は赤城山の麓の村から売られて江戸へ来て岡場所で働いているのを、仁兵衛から請け出されたのでして、こちらも好吉を産んで間もなく、金をもらって赤城村へ帰っているんですよ」  その当時は、まだ本妻の子が健在であった。 「仁兵衛というのは養子なのか」 「いや、青江屋の先代の一人息子です」 「それにしちゃあ、随分と女房に気を使っているようだな」  青江屋ほどの大店の主人なら妾の一人や二人といいかけた東吾に源三郎が笑った。 「案外、女房に惚れていたんじゃありませんかね」 「二人も女を泣かせておいてか」 「まあ、女に手は早いが、面倒みはいいほうなんじゃありませんか」  二人の女に渡した金ははんぱなものではなかったと当時、近所の評判になったらしいという。 「金で片はつくまいが……」 「仁兵衛の考えは妾で肩身せまく暮すより、故郷《くに》へ帰って嫁入りしたほうが幸せということでしょう。実際、好吉の母親は再縁したようですよ」  結局成太郎は本妻の子として青江屋へ入り、好吉のほうは、 「母親が歿って、養父からお前の本当の父親は江戸の青江屋だといわれて出て来たそうです」  昨年の春のことだと源三郎はいった。  波除《なみよけ》稲荷の前の橋を渡った。  橋の袂には先月、事件のあった飴屋と地蔵堂があったが、今はもう取り払われて空地になっている。 「源さんがそれだけ青江屋について調べさせたということは、やっぱり只事じゃないな」  いい加減に教えろよ、と友人を肘《ひじ》で突ついた。 「青江屋だけではありません。このところ、内々にですが、日本橋から室町にかけて、大店の若旦那を根こそぎ洗っているのです」  高橋《たかばし》の上で源三郎が足を止めた。  いい風が吹き渡っている。手拭を出して額の汗を押えながら源三郎が打ち明けたのは、たしかに奇妙な事件であった。  れっきとした大店の若旦那が自分の身分をあかした上で質屋へ品物を持って行き多額の金を借りて行く。 「口実は似たりよったりです。お出入り先の大名家から早急に金の要ることがあるので家宝の品を売りたい。買ってくれないかと依頼されて、つい父親に内々で金を用立ててしまった。今、ばれると大目玉を食うので話すわけには行かないが、とりあえず帳尻を合せるために五十両は必要なので、この品物でなんとか融通してもらいたい。なにしろ、大名物《だいみようもの》なので売るとなればその二倍、三倍でらくに買い手がみつかるし、父親も話せばわかってくれる。ほんの四、五日、あずかってくれればよいというようなことを、言葉巧みに持ちかけるわけです」  質屋のほうは相手が名の通った老舗の若旦那であり、ざっとみたところ、如何にも大名家から出たらしい立派な美術骨董の類なので、つい、うっかり金を貸す。だが何日経っても相手は取りに来ない。心配になってその大店へ訪ねて行くと、そこの若旦那は自分の店へ来たのとは似ても似つかない別人だし、そうした大名家に知り合いもなく、家宝を買ってくれなぞと頼まれたこともない。そこで持ち込まれた品物を調べてみると、とんだ偽物で二束三文の値打もないとわかって始めて詐欺だと気づくのであった。  それが先月あたりからたて続けに五、六件起っていると源三郎はいった。 「無論、持ち込まれる質屋は全部、異りますし、どこそこの若旦那という店の名も変えていますが……」  被害に遭った質屋は、みな日本橋や室町とは遠い土地で、しかも、近くに大名家の屋敷が少くない。 「その詐欺野郎の名乗った店の名の中に青江屋もあるのか」  東吾が訊き、源三郎が否定した。 「東吾さんらしくもありませんね、詐欺を働く者が本当に自分の素性を名乗ると思いますか」 「しかし、源さんは青江屋に目をつけているんだろう」 「人相が似ているのですよ」  被害に遭った質屋の申し立てる若旦那の年恰好、容姿、顔形はみな同じだったのだが、それが、どうも青江屋の成太郎と共通するという。 「それだけで成太郎に疑いをかけるわけに行きません」  実際、質屋達を別々に、それとなく成太郎をみせたのだが、 「間違いない、と申したのは二人で、残りの三人は似ているような気もするがとすこぶる曖昧でした」  それでも、二人が間違いないといったことで、成太郎を捕えて吟味してみては、と主張する同心もいると源三郎はいささか憂鬱そうに語った。 「とにかく、大名家の名前が出ているだけに厄介なのです」 「大名家のほうはどうなのだ。家宝を売ったかどうか……」 「聞いたところでいうわけがありません」 「そりゃあそうだな」  それでなくとも、町方の調べに非協力的な大名家が家の恥辱となる話を打ちあける筈がない。 「当分、長助を青江屋に張り込ませようかと考えています」  前方に亀島橋が見えて来たところで、畝源三郎は別れを告げ、東吾は大川端町へ帰った。      三  源三郎から聞いた話を、東吾はるいにも「かわせみ」の誰にも喋らなかった。  青江屋の成太郎の件は、なにかわかれば畝源三郎が長助を使によこして知らせるだろうと思っていたし、自分から深川へ行って長助に様子を訊いてみようかとも考えていたが、源三郎からはそれっきり音沙汰なしで、東吾自身もなにやかやと雑用に取りまぎれて機会がなかった。  その日、東吾がるいに付き添って四谷塩町まで出かけたのは、るいの母方の叔父の法要のためであった。  大川端町から四谷塩町となると、かなり遠いので、あらかじめ駕籠を頼んでおいて、るいを乗せ、千春を間にして見送っているお吉と嘉助に留守をまかせて朝の中《うち》に「かわせみ」を発った。  途中、二度ばかり小休みしたのは、日頃、あまり駕籠に乗り馴れないるいのためを考えたからで、それでも法要の行われる長善寺へ着いたのは巳《み》の刻《こく》(午前十時)より早かった。  親類ばかりのごく内輪の法要で、集った人数もそう多くはなく寂しげなものであった。  型通りに僧の読経がすみ、打ちそろって墓へ参ってから寺の方丈で精進の午飯がふるまわれる。  参会者は東吾を除くと老人と女ばかりで酒も進まず、早や早やと飯が終って散会となった。 「かわせみ」からるいを乗せて来た駕籠屋にはあらかじめ少々の銭を渡して勝手に飯をすませておいてくれと頼んでおいたので、寺の門前へ行ってみると、ちょうど近くの飯屋から戻って来たところであった。 「少し、塩町の通りを歩いてもようございますか。千春にお土産を買って参りたいので……」  と、るいがいい、東吾はるいと並んで表通りへ出た。駕籠屋は空駕籠をかついで後からついて来る。  るいが立ち寄ったのは素朴な麦藁細工を商う店で、女の買い物はどうしても長くかかるから、東吾は店の前でなんとなく往来を眺めていた。  四谷見附からまっすぐに続くこの道はやがて大木戸を通って新宿へ出る。  新宿は甲州街道の玄関口だし、柏木のほうへ行けば青梅あたりで取れる石灰を江戸へ運ぶために開かれた青梅街道へ出る。  で、道行く人々の中には旅姿の者も少くはなかった。強い日ざしを笠で避け、足ごしらえも厳重に急いで行く。  ふと、東吾はその中に長助の姿を見た。思わず往来へ出て行って声をかけると、仰天して立ち止る。 「若先生、いってえ、なんだってこんな所に……」  といいながら、目は前方から離れない。 「ひょっとすると、成太郎を尾《つ》けているのか」  東吾の勘が当って、長助はとび上りそうになった。 「いきなり裏口から出て来やがったんです。おまけにその後を弟の好吉が尾けて行く。あっしも夢中で追っかけて来たんですが、こんな遠出をするとは思いもしねえで……」  という長助は尻っぱしょりこそしているが、笠もなく、草鞋もはいていない。如何に追跡が急だったかを物語るような恰好であった。 「長助、先へ行ってくれ。俺はすぐ追いつく」  素早く店へ入ってるいに急な用で長助と行くから適当に駕籠で帰ってくれといい、駕籠屋には余分の酒手を与えて、間違いなく大川端町まで送るよういいつけて表通りを大木戸へ急いだ。  さりげなく肩を並べて来た東吾に、長助がちょっと涙ぐんだような顔で頭を下げたのは、余程、嬉しかったらしい。 「内儀《かみ》さんの親類の法事で、そこの寺まで来ていたんだ。よもや、長助が通りかかるとはな」  足をゆるめず東吾がいい、長助がうなずいた。 「地獄で仏でござんす」  目でかなり先を行く若い男を教えた。  長助と同じく縞の着物の裾を帯の後に挟《はさ》んでいるが、笠も杖も持たず、下駄であった。 「好吉で……」 「あいつなら知っているよ。寒さ橋で兄弟をみかけたことがあるんだ」 「成太郎は、だいぶ前を歩いています」  その姿も、やがて遠目ながら確認出来た。  こちらは小さな風呂敷包を背負い、どこかで調達したのだろう真新しい笠をかむって、草鞋ばきであった。 「あの恰好だと、けっこう遠くまで行きそうだな」  甲州街道へ出るのかと思っていたのだが、成太郎は柏木から青梅街道へ入った。  こちらは正しくは甲州裏街道と呼ばれているように甲州街道にくらべて道幅も狭いし、人通りもぐんと減る。  茶店をみつけて長助が笠と草鞋を買って来た。  午下りの日ざしが暑すぎるからであったが、先を行く二人に顔を見られない要慎《ようじん》の故でもあった。  長助は草鞋に履き替えたが、東吾はそのままで二人はつかず離れず前後して歩いた。  通行が少いので、前を行く二人を見失うおそれはなくなったが、尾けているのを感づかれる危険は大きい。  けれども、好吉も成太郎もまるでふり返らなかった。日本橋から歩き続けて来たというのに、休む気配もない。 「長助、午飯は……」  東吾が気づいて訊ね、長助は漸《ようや》くゆとりを取り戻したように笑った。 「ちょうど若え奴と交替で蕎麦をたぐり込んで戻って来た矢先だったんで……」 「俺も精進だが、たらふく食って来た」  空腹の心配はないが、この道は茶店も少く、両側は田畑ばかり、炎天を避ける並木もなかった。 「それにしても、あいつら、どこへ行くんだろうな」  東吾が呟き、長助が声をひそめた。 「お上の手配が廻ったのに気づいて、江戸を逃《ず》らかろうってんじゃありませんかね」 「好吉は……」 「兄貴の様子がおかしいってんで、追いかけて来たのか」 「だったら、いい加減に声をかけそうなもんだろう」  道の傍の田では三、四人の男女が横並びになり、脛《すね》まで水につかりながら草取りをしていた。 「うちの内儀さんやお吉の話だと、青江屋の成太郎の評判は悪くねえんだが……」 「日本橋界隈でも、人気者でございます」  畝源三郎に命じられて調べたものだが、 「まず、悪くいうものはございませんので……」  青江屋の都合で、物心ついた頃から実母とひき離され、生《な》さぬ仲の母親に育てられたのだから寂しくも悲しくもあっただろうのに、 「あんまり、じめじめしたところがねえようで、青江屋の番頭なんぞは、子供の頃からいじらしいほど周囲に気を使っていたといいますが、成太郎とつき合っている大店の若旦那連中は、からっとして明るい奴で、面倒みがよく、おまけに思慮深いんで頼りになると口を揃えて申します」 「女のほうは、どうなんだ。けっこう、もてるんじゃねえのか」 「おっしゃる通りですが、浮いた噂がありませんで……」 「青江屋の隣の琴吹屋の娘が首っ丈らしいよ」 「成太郎に岡惚れって娘は何人もいるそうで……ですが、成太郎のほうが相手にしねえんだと」 「罪な野郎だな」  話しながら行くと、一軒だけ、ぽつんと茶店がみえて来た。前を歩いていた好吉がよろよろと茶店の横の井戸のほうへ入って行く。眺めていると、釣瓶《つるべ》で汲み上げた水を飲んでいたのが、急にへたり込んでしまった。  東吾と顔を見合せた長助が心得てとんで行き、 「おい、どうした」  と声をかけ、抱き起していろいろ訊いている。やがて戻って来て、 「どうも午飯抜きで歩き続けたんで目が廻ったようでございます。ちょいと茶店で休ませてやろうと思うんですが……」  苦笑しながらいう。 「成太郎を尾けなくていいのか」  遠くなっている後姿に目をやりながら東吾が訊くと、 「兄ちゃんの行く先はわかっていると申していますので……」  という返事であった。  好吉を茶店へ連れて行き、とりあえず茶と饅頭を頼むと、何度も礼をいってがつがつと食いはじめた。 「一文なしで店をとび出したそうでして……」  好吉のための笠と草鞋を買って来た長助が茶を飲んでいる東吾へささやいた。  二人が眺めていると、好吉は五個もあった大きな田舎饅頭をペロリと平らげ、土瓶の茶を残らず流し込んで漸く人心地がついたようである。  そこで、東吾が、 「お前、兄さんの後を追いかけて行くそうだが、成太郎はどこへ行ったんだ」  と訊くと、 「中野村の孫兵衛という人の所です」  昨夜、父親に話をしていたから間違いないという。 「俺は江戸がよくわからねえんで、こんな遠くとは思わなかった」  と恥かしそうに嘆息をついている。 「俺は大川端のかわせみという宿屋の亭主でね。こっちは深川の長寿庵の亭主だ。少々、用事があって中野村の宝仙寺という寺まで行く途中なんだが、よかったら近くまで一緒に行こう」  東吾の言葉に、 「何分よろしゅうお頼み申します」  神妙に頭を下げた。  長助は東吾が何を考えているかおおよその見当がついたらしく、黙って草鞋の紐を結び直している。 「ところで、あんたの兄さんは中野村へ何をしに行ったんだ。江戸からはけっこう遠い所だが、知り合いでも訪ねて行ったのか」  日頃、喫《の》みもしない煙草を、長助の煙管《きせる》を借りて一服しながら東吾が訊き、好吉は軽く首をひねった。 「俺もよく知らねえんですが、兄ちゃんにとって大切な人がそこにいる。この前、江戸の店に使が来て、その人が重い病気で兄ちゃんに会いたがっていると知らせて来たんで、兄ちゃんはその人と出かけて、十日ばかり留守にしたんです。今日、行くのも、その人の家らしいんですが……」 「すると、病気見舞か」 「へえ」 「いつだったんだ。この前、出かけて行ったのは……」  好吉が指を折った。 「先月の十五日だったと思います」 「そうかい。病人がよくなって来ているといいがなあ」  好吉が茶碗や饅頭の鉢を茶店の奥へ返し、ついでに裏の手水場《ちようずば》へ行くのをみて、東吾が長助にいった。 「おい、先月の十五日から十日の間だ」  長助はすでに懐中から書きつけを出して調べていた。 「十五日には品川の質屋がやられています。雪舟の掛け軸が持ち込まれて五十両、次は二十二日で本郷の質屋が唐獅子の香炉で三十両……」  十五日も二十二日も、成太郎は中野村へ病人の見舞に行ったままで、江戸の店にはいなかった。 「若先生、こいつはひょっとするかも……」  中野村へ行ったとみせかけて江戸のどこかに潜伏し、諸方の質屋を荒らし廻る。  好吉が戻って来る姿をみて、長助は書きつけをしまい、東吾も何食わぬ顔で笠へ手をのばした。      四  親切ごかしに好吉について中野村へ行き、そのあたりの田で働いている百姓に教えてもらって孫兵衛の家へ行った。  藁葺屋根の大きな家で、馬や牛、鶏なども飼っていて広い庭には小作人らしい姿もみえる。その一人に長助が声をかけ、江戸から好吉が来たと成太郎に伝えてもらいたいと頼むと、奥へ入って行った小作人と入れ違いに成太郎がとび出して来た。 「好吉、お前、なんだってこんな所に……」  好吉と一緒にいた長助と東吾をみて、ぎょっとして立ちすくんだ。 「兄ちゃん、俺はこちらさんに世話になったんだ。金も持たずに兄ちゃんの後を尾けて来て……」  好吉が話し、成太郎は改めて東吾と長助に頭を下げた。 「弟がお助け頂きましたそうで、ありがとう存じます。まだ江戸に馴れて居りませず、道中、なにかあってはとんだことでございました。御親切にここまでお送り下さいまして、なんとお礼を申してよいかわかりません」  長助に立替えてもらったのはどのくらいかと訊いている。 「立替えというほどのものじゃござんせん。それよりも、これから、こちら様のお供をして宝仙寺まで行くのだが、その前に水を一杯飲ませてもらえませんか」  長助がいい、成太郎は、 「お安いことで……少々、お待ち下さい」  夕顔棚の下の涼み縁に案内して、弟をうながし母屋のほうへ去った。  待つほどもなく、品のよい老婆が麦湯の入った茶碗二つに笹餅と土瓶を添えて運んで来た。 「孫が御厄介になりましたとか、かたじけねえことでござります」  腰をかがめて丁寧に挨拶をした。で、長助が、 「青江屋さんの悴さんは、こちらのお孫さんで……」  と水をむけると、嬉しそうに目を細めた。 「成太郎は六つの年に江戸へ参ったんであんなに立派になって、爺様もびっくらしたですよ」  庭のむこうの母屋の縁側に慈姑《くわい》頭の医者の姿がみえた。 「御病人がおあんなさるってえことでしたが、お具合は如何で……」  長助がさりげなく訊いてみると、 「おかげさんで随分とよくなったですよ。一時は医者がもういかんかも知れんといいなさったで、爺様が江戸まで孫を迎えに行ったがね。二十年ぶりに成太郎の顔をみて急に元気が戻ったか、医者が仰天するほどよくなって来て……成太郎も本当によく看病してくれたですから……」 「そいつは、先月十五日から十日ばかり、成太郎さんがこっちへ来なすっていた時のことで……」 「左様でございます。朝から晩まで母親につきっきりで、孫は夜もろくに眠っちゃ居らんかったです。わたしは孫が倒れるんじゃねえかと心配で、心配で……」 「そりゃあたいした親孝行をなさいましたねえ」  手拭で涙を拭いている老婆を眺めて、長助と東吾は今日、何度目かの顔を見合せた。  行きがかりで、孫兵衛の家を出て、宝仙寺へ向った。 「若先生はなんだって宝仙寺なんて名前を口実に持ち出したんですか」  青梅街道に面して藁葺屋根の二王門がある。  参道は杉木立に囲まれていて、その先に又、門があって左右に垣が廻らされている。  境内は広く、本堂は堂々と立派なものであった。 「長助はここへ来たことはなかったか」 「今日が始めてでございます」 「俺もそうなんだが……」  江戸近郊の名刹《めいさつ》としては、かなり名が知れていると東吾はいった。 「享保の頃、有徳院様の時代だが、交趾《こうち》国から雄雌の二頭の象が献上されてね。長崎から京都へ来て天子様にお目通りした後、江戸へ連れて来られて、将軍家にも拝謁したそうだ。もっとも雌象のほうは長崎へ上陸してすぐに病気で死んじまったんで、雄象一匹だけだがね。そいつが中野村の名主の所で養われて、最後にその骨がこの宝仙寺へ葬られた」  長助が手を打った。 「象の話は聞いたことがございます、今でも山王祭の山車《だし》に出ます」 「中野村と聞いてその象を思い出し、宝仙寺と口に出たんだが……」  それにしても、孫兵衛の家での老婆の話だと、江戸から来た成太郎は母親の看病で十日の間、つきっきりだったらしいな、と東吾は苦笑した。 「田舎の人だ。嘘はいうまい」  十五日から十日間、成太郎が中野村にいたとすると、品川の質屋も本郷の質屋の件も、成太郎の犯罪ではあり得なかった。 「こいつはふり出しに戻ったな」 「畝の旦那はがっかりなさるでしょうが、あっしとしては、ここんとこ、ずっと成太郎を見張っていて、どうも、成太郎じゃねえような気がしてましたから……」 「あいつは、いい目をしているよ」  幼い日から人の悲しみを知り、それに耐えて来た目だと東吾はいった。 「ああいう目をした男が、質屋を欺して大金を詐取するとは、俺も思えねえ」  ここまで来たついでだからと、近くの三重塔を見物し、茶店で一休みしていると好吉がきょろきょろしながらやって来た。 「やっぱり、ここに居なすったか」  宝仙寺へ探しに行ったら、本堂にいた坊さんから御武家と町人の二人連れなら三重塔のほうへ行ったと教えられたのだといった。 「今日はこれから江戸までお帰んなさるのかね」  と訊かれて、東吾がそうだと返事をすると、 「それなら、兄ちゃんを一緒に連れて行ってもらえねえですか」  ぼつぼつ日が暮れて、夜道になるので成太郎一人では心配だという。 「成太郎は江戸へ帰るのか」 「俺が兄ちゃんと話をして、なんとか納得してもらったです。俺がこっちへ残って兄ちゃんの代りをします」 「おっ母さんの看病か」 「病気はもう随分とよくなっていて心配はねえんだが、爺ちゃんが年をとって、小作人やなんかを上手に使うのが難しくなって来ているそうだ。俺も赤城山の麓の百姓の家で育ったからよく知っているが、小作人はやとっているほうが先に立って働かねえとすぐに足許をみるもんだ。爺ちゃんはもう七十、それをさせるのは気の毒だよ」  俺は田畑で働くのが一番、性に合っているといった。 「俺にはおっ母さんも、かわいがってくれた爺ちゃんも婆ちゃんも、みんな死んじまって誰もいねえ。あの家にいると、おっ母さんも爺ちゃん、婆ちゃんも生き返って来たみてえで、俺は嬉しくなっちまった……」  若い男の目が赤くなっていた。  成太郎は孫兵衛の家の前で待っていた。 「好吉、たのむぞ。無理はするな。俺はもう一度、お父つぁんに話してみる」 「心配するな。兄ちゃん、おっ母さんも爺ちゃんも婆ちゃんも必ず俺が守ってみせる」  兄弟がふっと手を取り合い、それから弟のほうが東吾と長助へ頭を下げた。 「兄ちゃんを、よろしくお願い申します」  夕陽の中を、兄は弟をふり返り、ふり返り、弟はいつまでも兄へ向って手を上げている。  青梅街道をかなり戻って来たところで、暮六ツの鐘が聞えて来た。 「手前は生まれてすぐに母に伴われて中野村へ来ました。父は本妻の手前、そうするしかなかったそうですが、中野村へ来て母の親達に詫びを入れ、かなりまとまった金をおいて去ったといいます」  改まった声で、成太郎が東吾に話し出したのは柏木へ出てからで、 「弟から、貴方様がかわせみの御主人で、若先生と呼ばれていなさるお方だと聞きました。若先生ってお人の噂は手前も何度か耳にしたことがございます。剣道《ヤツトウ》が強く、ざっくばらんで弱い者の味方をして下さる。そういうお方なら手前の話も聞いて下さるんじゃねえかと思いました」  おずおずと切り出されて、東吾は笑い出した。 「噂半分というだろう、買いかぶられても困る。俺はみたところ、そのまんまの人間だ」 「話を聞いて頂けませんか」 「聞くだけでよけりゃ聞こう」 「お願い申します」  中野村で育った時分は子供のことで、あまりよくおぼえてはいないが、祖父母はやさしく、母と四人暮しは幸せだったと成太郎はいった。 「六つの時に、江戸から父が迎えに来ました。本妻さんの産んだ子が歿って跡取りがなくなったからと畳に頭をすりつけて、手前を江戸へ連れて行くことを、母と祖父母に頼んだように記憶しています。手前はどうしようもなくて、ただ泣いている母と祖父母に、大きくなったら必ず帰って来るからと叫んだことだけは忘れていません」  江戸での暮しは、それまでとは全く変った。 「手前は、自分が江戸の人々に笑われるようなことをしたら、中野村の母と祖父母がどんなに悲しむだろうと、そればっかりを考えていました」  それでも月日は流れ、江戸の水になじみ、青江屋の商売にも馴れた。 「教えられて塗物のよさもわかり、商いの面白さにも気づきました」  中野村を忘れたことはなかったが、行きたくても行けなかった。父親が許さないとわかってもいた。 「先月十五日に、突然、祖父が迎えに来て、母が重態で手前に会いたがっているといい、父も手前が中野村へ行くことを許してくれました」  中野村へ着いて、いっぺんに子供の頃の思い出が甦って来たといった。 「夢中で母親を看取り、祖父母と話をしました。二十年余り、母も祖父母も手前が帰って来る日を必死で待ち続けていたのです。祖父は老い、手前を頼りにしていました。手前は中野村へ帰らねばと気がつきました」  胸にあふれる感情を抑えかねて、成太郎が口を閉じ、東吾はこの男独得の明るく、思いやりのこもった声でそっといった。 「あんたは、それで弟に青江屋を継いでもらいたいと考えたんだな」 「弟は凄い男でございます。二十二年もの間、赤城の山里で貧しい暮しをし、母親と祖父母を次々と失い、一人ぼっちになって江戸へ出て来ました。あいつが汗と埃でまっ黒になった顔で店先にいた手前をみて、兄ちゃんと呼んだ声を手前は今でも耳の中にしまってございます。その時、手前ははだしで土間へとび下りていました。赤城に弟がいるのは聞いていましたが、会ったのはそれが始めて、それなのに始めての気がしませんでした。ずっと前から弟を知っていたような……弟も同じことを後になって申しました。兄ちゃんに始めて会った気がしないと……」  東吾の心に温かいものが流れていた。  形は違っても、この兄弟の間にあるのは、自分と兄、通之進との間にあるのと全く同じものだと思う。  すっかり夜になった江戸の町は昼の温気《うんき》が嘘のように、涼しい風が吹きはじめていた。  成太郎を送り、長助と別れて「かわせみ」へ帰って来た東吾を畝源三郎が待っていた。 「長助とお出かけだったそうで、大方、青江屋の成太郎でも尾けていらしたと思いますが……」  何かいいかけるのを遮って続けた。 「お骨折り下さったのに、まことに申しわけありませんが、例の質屋荒しが捕えられました」  今日の午すぎ、飯倉の質屋へ現われたのを、あらかじめお上からの注意があったので気をつけていた主人が相手に知られないよう奉公人を番屋へ走らせ、たまたま近くを通りかかった定廻《じようまわ》り同心の中村修右衛門というのがかけつけてお縄にした。 「中村どのは吐かせの名人でして、あっけなく、これまでの数々を白状させまして、そいつの部屋の天井裏から三百両近くの金が出て来たのです」  犯人の男は室町の海産物問屋三浦屋の手代で、この春、吉原見物に出かけて振袖新造の小花というのにぞっこん惚れて、なんとしても身請けをし、所帯を持ちたいと叔父の古道具屋を仲間にひき込んで詐欺を働いたものであったと源三郎はあっけにとられている東吾を前にして立て板に水で喋った。 「そこで、可笑しい話なんですが、その男、作太郎と申す奴ですが、年頃はまあ青江屋の成太郎と似たりよったりですが、容貌はまるっきり違いました」  少くとも、男前はかなり落ちるという。 「およそ、人の目なんぞはあてになりませんな」  とにかく、一件落着なので、お骨折りまことにありがとう存じました、と源三郎が帰ってから、東吾はお吉をはじめとする女中軍団に白い目で睨まれた。 「若先生と来たら、御用の筋か何かは存じませんが、御新造様を四谷くんだりに置き去りになさいますなんて、男の風上にもおけませんです」  御新造様は泣いていらっしゃいましたよ、と大袈裟にお吉がいい、慌てて居間へとんで行く東吾を、帳場の嘉助が気の毒そうに見送った。  そして、六月。  長助が「かわせみ」へ報告に来た。  青江屋では兄弟が話し合って、結局、好吉が望むように、中野村のほうの跡を継ぎ、青江屋は今まで通り、成太郎がやって行くことになったという。 「なにせ、好吉さんは中野村じゃ水を得た魚のようでして、小作人はあっという間に手なずける、爺さん婆さんは好吉、好吉と下にもおかない、おっ母さんまですっかり元気になっちまったてえんですから。成太郎さんはまだ、なんとなく途惑っていなさるようですが、やがて落着くでござんしょう。まあ、めでたし、めでたしってところでございます」  話し終って、そそくさと長助が帰ったのは、四谷の一件以来、長助も亦《また》「かわせみ」の女達の顰蹙《ひんしゆく》を買っているからで、大きなくしゃみをたて続けにしながら大川端を去って行く長助の後姿に「かわせみ」の台所から女達の威勢のよい笑い声が響いていた。 [#改ページ]   明石玉《あかしだま》のかんざし      一  この四、五日、江戸は梅雨に入ったようで天気が悪い。  もっとも、今年の梅雨はしとしとと、とめどもなく降り続くのではなくて、突然のように激しく降ってはからりと上り、晴れるのかと思っていると再び豪雨になるといった按配で、 「こういうのを男梅雨《おとこづゆ》って申すそうでございますよ。しとしと降りのほうが女梅雨だとか……」  深川長寿庵の長助が永代寺の坊さんから聞いたという受け売りを、女中頭のお吉が得々としてるいにいいつけた。  るいは髪道具の手入れをしていた。  この季節、日頃、用いない髪飾りをしまいっぱなしにしておくと黴《かび》が出たり、銀かんざしが黒ずんでしまったりする。  鼈甲《べつこう》の櫛や笄《こうがい》から始めて一つずつを丹念に柔らかな布で拭いて行く中に、珊瑚《さんご》の玉かんざしに行きついた。  亡母の形見で、濃い紅色の大粒の玉は町奉行所の同心の女房の髪飾りには少々、目立ちすぎるというので、亡母がそれを髪に挿すのは正月ぐらい、平素は布にくるんで桐の小箱に納めてあった。  実をいうと、その珊瑚玉のかんざしは夫婦になった時、父が母に贈ったものだとるいが知ったのは、母が病に倒れて間もなくであった。 「これは、母様が庄司家へお嫁に来て、父様から頂いた大事な、大事なお品ですから、くれぐれも粗末にしないで、あなたが身につけて下さるように……」  まだ幼かったるいに噛んで含めるように何度も繰り返した母の声が、このかんざしを手に取ると、いつも耳の中に聞えて来るような感じがする。  るいが十五になった初春に、これを取り出して、父に、 「お母様から頂きましたけれど、私が用いてもよろしゅうございますか」  と訊いたところ、嬉しそうに、 「よいとも……」  と答えてくれて、暫く、そのかんざしを眺めていた。そして、いささか照れくさそうに、このかんざしを買い求めた時の話をしてくれた。  日本橋本石町に珊瑚屋という老舗がある。父は間もなく嫁に来る母への、身分相応のかんざしを求めるためにそこへ行き、いろいろとみせてもらっている中に、色といい、大きさといい、実に見事なこの珊瑚玉のかんざしが目に入った。 「大名物という奴なのだろうな。とても我々の身分にはふさわしくないと承知しながら、このかんざしをそなたの母が髪に挿したら、さぞかし似合うだろうと思うと矢も楯もたまらず欲しくなった」  店では相手の身分を承知していて、随分と安くはしてくれたものの、それでも、父親は嫁をもらう時のために貯えておいた金のあらかたを使って、これを入手した。 「おかげで年越しの金がなくなって、どうしたものかと弱っていたら、知り合いの商人達が嫁をもらった祝だと申してな」  米屋は米を、炭屋は炭や薪を、餅は餅屋が、酒、味噌、醤油と各々が届けてくれて、常よりも豊かな正月を迎えることが出来たと笑った亡父の顔も、るいには忘れられない。 「御新造様、住吉屋さんからの御紹介のお客様がお着きになりました」  女中が知らせに来て、るいは手にしていた珊瑚玉のかんざしを何気なく髷《まげ》に挿して部屋を出た。  住吉屋というのは大坂の廻船問屋で、主人の総兵衛というのが、もう、五、六年、江戸へ出て来る度に「かわせみ」を贔屓《ひいき》にして泊っている。  その住吉屋総兵衛が、つい先月、持船で江戸へ出て来て「かわせみ」へ泊った折に、自分の知り合いが近く江戸へ来るので、何分よろしくと頼んでいた。  多分、夫婦で子供連れの東下りの筈だと聞いていたので、るいは嘉助と、庭に面した藤の間がよいだろうと相談していた。  帳場へ出て行くと、もう女中達がすすぎの水を運び、客の荷物を受け取って、てきぱきと働いている。 「住吉屋さんからうかがいまして、お着きをお待ちして居りました。どうぞなんなりと御遠慮なくお申しつけ下さいまし」  るいの挨拶に、先に足を洗った亭主のほうが、 「ありがとう存じます。子連れで何かと御厄介をおかけすると思いますが、どうかよろしゅうお頼み申します」  と丁寧に頭を下げ、続いて女房が慎ましく両手をついてお辞儀をした。  つれている子供は三歳ぐらいの男の子で、なかなかきかない顔をしているものの、愛敬があって世話をしている女中のお晴に何が嬉しいのかきゃっきゃっと笑っているのが、なんとも可愛らしい。  嘉助が宿帳を持って、女中達と客を藤の間へ案内して行くのを見送ってから、るいが居間へ戻っていると、間もなく嘉助が報告に来た。 「御亭主は珠太郎さんとおっしゃいまして、御商売は明石玉《あかしだま》を商っているそうで……」  宿帳を開いて、るいに渡しながらいった。 「明石玉ですって……」  どこかで耳にしたことがあったような気がしたが、思い出せないままに、るいが訊き、嘉助が苦笑した。 「手前も存じませんで、お訊ねしたところ、練物《ねりもの》の一つで、上方では煙草入れの緒締《おじめ》に珊瑚玉の代用としてよく使われたり、お女中衆の玉かんざしにも細工されて居りますそうで、お内儀さんのお光さんの親父様はその職人だとのことでございました」  年齢は珠太郎が三十六歳でお光が二十八歳、悴の珠吉が三歳と宿帳に記されている。 「御夫婦とも上方のお方ですか」  嘉助が僅かに口許をゆるめた。 「御新造様もお気づきのようでございますが、お内儀さんのほうは生まれも育ちも上方に間違いございますまいが、御亭主は手前と話をしている中に、どんどん江戸言葉が出て来るようで……江戸へ出て来なすったのも、親御さんの墓まいりのためだとおっしゃってお出でなので、おそらく江戸生まれ、その後、上方へ行かれたように存じました」  なんにしても、他ならぬ住吉屋の紹介ではあるし、みたところ、夫婦揃って実直な様子だから別に心配なことは何もなかろうと嘉助はいい、帳場へ去った。  気がつくと、午《ひる》には上って陽がさしていたというのに、また、降り出している。  神林東吾が帰って来たのは雨が夕立のような勢いになり出した最中で、高々と袴の股立《ももだち》を取って来たものの、けっこう濡れそぼって、女中達が手拭を持ってとび出して行く。  居間へ入って、袴から着物から姉さん女房が手ぎわよくはぎ取ってお吉に渡し、さっぱりと単衣《ひとえ》を着せかけられてから、東吾がるいの髪の玉かんざしに気がついた。 「墓まいりにでも行って来たのか」  ええっと首をかしげたのに、 「お袋様の形見のかんざしなんぞ挿しているからさ」  当ったろうと笑われて、 「違います。ちょっと手入れをしたついでに挿してみただけなんですよ」  るいは髪から抜いて鏡台の上へおいた。 「いつ見ても、立派な胡渡《こわた》りだな」  炭の入っていない長火鉢の前へすわって東吾が鏡台のほうを眺めた。 「いつもいうことだが、あの謹厳なお義父上《ちちうえ》がどんなお顔をされて珊瑚玉のかんざしを求められたか、まず想像がつかないな」  るいがわざとつんとしてみせた。 「それだけ母をお好きだったということでしょう」 「俺は珊瑚玉だけは買わないよ。有り金はたいたところで、あれには及ばないからな」  たまたま、麦湯にまくわ瓜のよく冷えたのを形よく切ったのを添えて運んで来たお吉がいった。 「若先生は明石玉っていいますのを御存じですか。みたところは珊瑚そっくりで、おあしのほうは、半値どころか、珊瑚一つの価《ね》で同じようなのが十個も二十個も買えるそうでございますよ」 「俺に明石玉を買えってか」 「若先生は明石玉を御存じで……」 「知ってるよ。以前、軍艦で上方へ行った時、仲間が土産に買って来たのを見せられたんだ。上方じゃ随分と流行っているらしい」 「若先生はお買いになりませんでしたか」 「内儀さんが胡渡りの紅珊瑚の大玉を持っているんだぜ。明石玉なんぞ買って来たら目もあてられねえや」 「もったいないことを。若先生が質屋へ持ち込んだら、どうみても本物の珊瑚でございます。すぐに五十両や百両は用立ててくれましたでしょうに……」 「よい加減にしなさい」  遂にるいが堪忍袋の緒を切った。 「かわせみは旦那様に質屋通いをして頂くほど困っては居りません。冗談もほどほどにしなさい」  慌ててお吉が逃げ出し、東吾が肩をすくめた。 「いいじゃねえか。本気でいったわけじゃなし……」 「あの人は、明石玉に舞い上っているんです」 「お吉が明石玉を知ってるのか」 「お泊りになっているんですよ。明石玉を商いになさる方が……」 「お吉が買わされたのか」 「まさか……でも、きっと見せて頂いたんですよ。あの人は本当に好奇心が強いから……」 「るいが欲しいんなら買ってやるよ。明石玉というのは練物なんだ。赤く染めれば珊瑚だが、青だの紫だのにも染められる。かんざしに作らせたら、けっこう面白いんじゃないのか」 「私は、けっこうです」 「じゃあ、お吉に買ってやろう」 「もう、あなたときたら、お吉に甘いんですから……」  わあわあと夫婦が年甲斐もなくさわぎ合って明石玉の一件はそれで終ったかに見えた。      二  翌日、東吾が軍艦操練所から帰って来ると「かわせみ」の帳場格子の所で、るいが嘉助と話し込んでいる。  暖簾を分けて入って来た東吾に、 「お帰りなさいませ。お早かったのですね」  といいながら立って来て、ついでのように外を眺めた。 「すっかりいいお天気になって……傘がお邪魔になりましたね」  昨日から降り続いた雨が、今朝、東吾が出かけて行く時は相変らずのどしゃ降りだったのが、午近くなって止み、八ツ(午後二時)に近い今は青空が広がって陽がさしている。  土間へ下りていた嘉助が東吾の傘を受け取り、 「まあ、この分なら夕方まで保《も》つんじゃございませんか」  と、るいにいった。で、東吾が、 「どこかへ出かけるのか」  と訊くと、 「いいえ。珠太郎さん御夫婦がお墓まいりにいらっしゃいましたのでね」  朝からの大雨でどうしたものかと迷っていたのが、いい具合に上ったので、早速、親子三人で出かけて行ったのだという。 「御縁があるのですよ。あちらの菩提寺も浅草の浄念寺さんですって」 「庄司家と同じじゃないか」 「はい。お出かけの時、偶然、お聞きして驚きましたの」  ふっと東吾が考える目になった。 「千春はどうした」  と訊く。 「今しがた、お晴がついて八丁堀の畝様へ。お千代《ちよ》ちゃんと御一緒にお琴の稽古ですから……」 「夕方まで、帰らないな」  このところ、千春はすっかり琴の稽古に夢中で、やはり、琴が大好きというお千代と共に誘い合せて師匠の許へ行き、帰りは必ず畝家へ寄って、お千代と二人で好きなだけお復習《さらい》をして来る。  なにしろ、琴の前にすわったら一刻でも二刻でも平気という二人のことなので、畝家でも母親のお千絵《ちえ》が心得て、師匠の家への送り迎えは「かわせみ」に頼むが、その代り、帰りは必ず畝家のほうで送って行くからと双方の母親同士、とりきめが出来ている。 「久しぶりに墓まいりに行かないか」  だしぬけに東吾がいい出し、るいはあっけにとられたが、考えてみればこのところ、御無沙汰でもあった。それに、昨日、亡母の形見の珊瑚玉のかんざしの手入れをしていて、なんとなく盆の前に一度、詣でて来たいと思ったばかりである。  夫婦は以心伝心というが、自分の気持が東吾に通じたのかと嬉しくなって、 「では、参ります」  と返事をした。  せっかちな東吾のことで、どうせならこのまますぐに行こうという。改めて着替えをするほどのことでもないので、るいは部屋へ戻って鏡をのぞいただけで、すぐ戻って来た。  嘉助が知らせたらしく、お吉や女中達も出て来て、 「思い立ったが吉日と申しますですから……御機嫌よろしゅうお出かけなさいませ」  陽気なお吉の声に送られて外へ出た。  豊海橋《とよみばし》の袂から舟を頼んで大川を上って行くと雨上りの川面は涼風が出ていてこの季節にしてはさわやかである。  幕府の米蔵である浅草御蔵の前を通って御厩《おうまや》河岸の渡し場へ舟をつけてもらい、蔵前の広い通りを元旅籠町二丁目で折れると浄念寺の門前町がみえて来る。  方丈へ寄って顔見知りの寺男に声をかけ、庄司家の家紋の入った閼伽桶《あかおけ》に水を汲んで線香をもらい、墓地へ入った。  墓石は今朝まで降った雨に濡れて黒く光っている。  東吾とるいが揃って墓まいりに来るのは二カ月ぶりだが、日頃は嘉助とお吉が各々に暇をみつけて墓の掃除にやって来ているので、雑草の生えることもなく、墓は少しも荒れていない。  寺の門前の花屋で求めて来た花を挿《い》け、線香を供えて合掌していると、足音が近づいて来た。この寺の住職で、もう七十を越えている筈だが相変らず矍鑠《かくしやく》として声が大きい。  挨拶をかわしてから、東吾が訊いた。 「今日の午すぎ、こちらに中年の夫婦者が幼い子供を伴って墓参に来た筈ですが、御存じありませんか」  住職が合点した。 「左様、左様、拙僧はあいにく檀家へ出かけて居ったのじゃが、戻って来て留守の者から聞いて居る。永代供養をということで大枚の御喜捨をおいて行かれてな」 「その者の墓は、どちらですか」 「三左衛門どのの墓は、あちらじゃが……」  住職が指したのは、墓地の西側の一角で、東吾は早速、大股に歩いて行った。  あとからるいと住職がついて来る。 「それそれ、その墓じゃよ」  と住職が教えるまでもなく、その墓はつい先程、詣でた者があると一目瞭然であった。  墓石はきれいに磨かれているし、花立には真新しい花が供えられ、線香をともした跡はきちんと拭ってある。 「御住職、この墓はどなたのもので……」  東吾の問いに、住職は無造作に答えた。 「日本橋本石町の珊瑚屋の御主人、三左衛門の墓じゃが、早いもので昨年が三十三回忌であった」 「珊瑚屋さんのお墓でございますか」  るいが驚いた声を出し、改めて墓をみつめた。 「昨年が三十三回忌と申しますと、歿《なくな》られたのは何歳の時ですか」 「歿られたのは、三十なかばであったか、なにしろ、お若かった」  住職の視線が墓石の脇へ動き、東吾もそこに刻まれている文字を読んだ。  珊瑚屋の主人、三左衛門は今から三十三年前、三十七歳でこの世を去っている。 「不躾《ぶしつけ》なことをうかがいますが、三左衛門どののおつれ合いは……」 「お内儀《ないぎ》はまだ御健在じゃ。三左衛門どのとは十七も年が離れて居ってな、それでも、もはや五十のなかばかのう」 「跡つぎは……」 「男の子が一人。ただし、行方知れずじゃ。十五、六の時に家を出てしもうて、それきりなんの音沙汰もない」 「理由は……」 「さて、昔のことで確かな話ではないがな。母親の再婚話が気に入らなかったとか……」 「三左衛門どのの後家は再婚したのですか」 「いやいや、ずっとお独りじゃ。再婚話は立ち消えになったのであろうなあ」  住職がしげしげと東吾の顔を眺めた。 「神林様には、この墓にえらく関心がおありのようじゃが、なんぞありましたか」  東吾が軽く頭を下げた。 「いや、未だしかとしたことは……いずれ御報告に参るかも知れませんが……」 「左様か」  寺男が呼びに来て、住職は墓に合掌し、東吾とるいに会釈の上、方丈へ去って行った。 「あなた……」  住職の姿が見えなくなってから、るいがささやいた。 「お墓まいりに行こうとおっしゃったのは、珠太郎さんの素性をお調べになるためだったんですね」 「しかし……瓢箪から駒が出たな」  珊瑚屋の名が出た時はびっくりしたといいながら東吾は庄司家の墓へ戻って、改めて手を合せた。 「墓の中で、義父上が笑っていらっしゃるような気がするよ」  るいが亡母の形見の珊瑚玉のかんざしを取り出した日に、それを亡父が買った珊瑚屋の悴かも知れない男が「かわせみ」へ宿を求めた。 「珠太郎さんが江戸へ戻って来たのは、親御さんに詫びるお心算《つもり》だったのでしょうか」  帰り道に、るいがいい、東吾は暮れかけた空へ目をやった。 「おそらくそうだろうとは思うがね」  珠太郎が家出をしてから、ざっと二十年が過ぎている。 「珊瑚屋のほうは、いったい、どうなっているのかな」  すんなりと珠太郎を迎え入れる状態か、どうか。  御厩河岸から乗った舟で豊海橋の袂へ戻り、そこから東吾は一人で深川へ向った。  長寿庵の店の外に縁台を出して、長助は一人で詰将棋をしていた。  東吾を見ると嬉しそうに立ち上ってお辞儀をする。 「どうした。馬鹿に所在なさそうじゃないか」  長寿庵は客があふれている感じであった。  御用のない時の長助は蕎麦屋の主人として釜場で立ち働いている筈である。 「悴が邪魔っけにしやがって。もう年齢《とし》なんだからのんびり外で涼んで来いなんぞとぬかしやがったんです」 「それで、すねて縁台将棋か」  東吾の声を聞きつけたらしく暖簾を分けて長助の女房のおえいがとび出して来た。 「お出でなさいまし。若先生、いい按配に雨が上りまして……」  仏頂面《ぶつちようづら》の亭主をちらと眺めて弁解した。 「なにも邪魔っけにしたんじゃありません。悴はうちの人がここのところ、町内の揉め事を片付けるのに大骨を折ったもんですから、少し、休ませてやりたいと思ってああいったので……本当に子の心、親知らずで困ります」 「何をいってやがる。それをいうなら、親の心、子知らずだい」  まあまあと東吾がなだめ、おえいに目まぜをして縁台に腰を下した。心得て、おえいは店へ戻って行く。 「町内の揉め事ってのは何だったんだ」  長助が、ぼんのくぼに手をやった。 「つまらねえ話でござんす。当主が急にぽっくり逝っちまって遺言もなんにもねえと、とかく相続に揉め事が起りますんで、まあ総領がしっかりしてりゃなんてこともねえんですが、ごたごたするのは子供の出来の悪い証拠のようなもんで……」 「大店で一人っ子がとび出しちまったなんてのは、厄介だろうな」 「親御さんが達者でいなさりゃあともかく、ぽっくり逝かれたりすると難儀でござんすねえ」  親類が口出しをしたり、奉公人が細工を始めたり、 「それが事件のはじまりってことも珍しくはございませんので……」  おえいが徳利と盃、肴に鉄火味噌を添えて運んで来た。 「こんなところでなんでございますが……」 「なに、すぐ帰らなけりゃならねえんだ。気を使わないでくれ」  一杯だけお酌をして、おえいがひっ込んでから、東吾はざっと珊瑚屋の話をした。 「そんなわけで、今、かわせみに泊っている珠太郎ってのが、十中八九、珊瑚屋の悴に相違ないと思うんだ。当人がもし家へ帰りてえと思っているなら、お節介だが、当人の話を聞いてやってもいいと思っているんだがね、肝腎の珊瑚屋がどんなふうかわかっていねえと話にならねえだろう」  よもやとは思うが、養子なんぞを迎えていると、とんだことになると東吾がいい、長助が大きく合点した。 「そういうことなら、あっしが早速、調べてめえります」 「何かというと長助の所へ厄介を持ち込んですまねえと思っているんだが……」 「とんでもねえことで……面白くもねえ詰将棋で暇つぶしをしているより、余っ程、有難てえ」  張り切った長助に万事を托して、東吾は大川端町へ帰った。      三  珠太郎が話を聞いてもらいたいといっていると取り次いだのは番頭の嘉助であった。 「実は、あちらさんから相談があるといわれまして、手前が話を聞きかけたのでございますが、すぐにこれは手前の裁量ではどうもならない大事だとわかりまして、旦那様、御新造様にお願いしてみたらどうかと申しました所、是非共ということでして……」  遠慮がちな嘉助の言葉に、東吾とるいは顔を見合せたが、すぐに東吾が承知した。 「そういうことなら、ここへ連れて来いよ」  すでに晩餉《ばんげ》もすんで、千春は奥の部屋で眠っている。  東吾は横浜で和訳されたというイギリス人の航海日誌を広げたところ、るいは縫い物にとりかかっていたが、どちらも早急にという仕事ではない。  嘉助に案内されて入って来た珠太郎は不安そうだったが、東吾から、 「今日、親の墓まいりをして来たそうだな」  と声をかけられると、畳に両手をついて深く頭を下げた。 「たった今、番頭さんからうかがいましてございます。こちら様のお墓も浄念寺さんの墓所とか……」 「あんた、日本橋の珊瑚屋の悴かい。いったい、なんで家出なんぞしたんだ」  ざっくばらんにいわれて、珠太郎はまだ敷居ぎわにいた嘉助をふりむいた。 「申しわけございませんが、お光を呼んで頂けますまいか。珠吉はもう眠って居ります。夫婦して話を聞いて頂きとう存じます」  るいが嘉助にうなずいて見せ、嘉助がお光を迎えに行った。  待つほどもなくお光が部屋へ入って来る。  それを見てから、珠太郎が口を開いた。 「今にして思いますと、あの時の手前は馬鹿というか、浅はかと申しますか、自分で自分が情ない。我が身の愚かさをどれほど後悔したか知れません」  十五になったばかりの春、親類から母親に再婚の話が持ちこまれた。 「お袋は二十そこそこで、まだ赤ん坊の手前を抱えて後家になりました」  先代からの忠義者の番頭が店を取りしきっていたし、舅《しゆうと》に当る大旦那も健在だったので珊瑚屋の商売に障りはなかったが、その大旦那が珠太郎が十四の年に病死した。 「お袋は気丈で、しっかり者でしたから、祖父に教えられて珊瑚屋の女主人がつとまるまでになっていたのですが、親類は心配したのか、手前が一人前になるまでの後見人として、亡父、三左衛門の従兄弟に当る者と母とを夫婦にしようと話を進めました」  自分は母親っ子であったと珠太郎は恥かしそうにいった。 「親父の顔は憶えていません。物心つく以前から母一人子一人、手前にとって母親は唯一無二でございました。その母親が他の男と夫婦になると聞いて手前はどうしてよいかわかりませんでした。情ないというか腹立たしいというか、急に何もかもが嫌になって遊び仲間と吉原へ居続けしてみたり、大酒を飲んだり、荒れまくったあげく、母親の小言が気に入らないと、店にあった二十両をかっさらってとび出しました」  どこへ行くというあてもなく、ただ、母親を困らせてやろうとぐらいにしか考えていなかった。 「品川で飯盛女と遊んでいる時に知り合った男に箱根へ湯治に行くので一緒にどうかと誘われてついて行ったのが間違いで、さんざん箱根で遊んだあげく、身ぐるみはがれて置き去りにされました」  宿の借金を返すために人足となって働いたのがきっかけで東海道から中仙道と、旅人の荷をかつがせてもらっていくらかの駄賃をもらう。悪い商売ではなかったが、人足には仲間組織があるので、素人に仕事を荒らされたとわかると半殺しの目に遭った。 「とても、きまりが悪くてお話し出来ません。いかがわしい連中の仲間に入って盗みの見張りをさせられたことも、博打打《ばくちう》ちの所で下働きをしていた日々もあります」  たまたま、北国街道を流れ歩いていた時に伏木《ふしき》の港で知り合った船頭から水夫《かこ》の一人が病気になって手が足りないので船で働かないかと誘われたのがきっかけで北前船の水夫となって、あっという間に十年が経った。 「なにしろ、金は働いただけ入って来ますが、飲み食いで使ってしまい、とうとう体をこわして船を下りました」  行き倒れ同然で明石の浜に寝ているところを助けてもらったのが、お光の父親であった。 「あの時のことは、なんと話してよいか」  生まれて始めて人の情が身にしみたと珠太郎はうっすらと涙を浮べた。 「体がよくなるまで面倒をみてくれて、折に触れ、意見をしてくれました。人の一生はどう生きようと勝手かも知れないが、自分が木の股から生まれて来たとは思っていないだろう。母親というものは時としてお産で命を落すことがある。いわば命がけで産んでくれて、ものを食わせ、着るものを着せ、抱いて育ててくれた親の恩を思ったら、どんな命でも粗末には出来ない筈だ。貧しくとも、あの子を産んで本当によかったと親が喜ぶような生き方をしないことには親の罰が当ると叱られまして……」  夢から覚めたような目に映ったのがお光の父親の作っている明石玉だった。  天保の頃、江戸の鼈甲職人で岩三郎という者が讃岐の金比羅神社に参詣に来た帰り道に明石に滞在して、たまたま思いついて鶏卵から出来る素材を原料にして一種の練玉を作り出し、苦心の結果、それに着色して作り出したのが明石玉であるという。 「お光の父親はその業を受け継いで、工夫を凝らし、親父様の作った明石玉は上方でも評判になって居りましたので……」  もともとが、珊瑚屋の悴であった。  紅色珊瑚にそっくりな明石玉に心惹かれ、乞うて技術の教えを受けた。 「申し遅れました。お光の父親は弥之助と申します」  岩三郎と同じく元は鼈甲職人であったが、明石玉を作るようになって、忽ち、師匠を上廻る見事な仕事をするようになった。 「長話になって申しわけございません。手前は弥之助親方に命を救われ、明石玉職人となりまして甦りましたので……」  東吾がこの男らしい情のある声でいった。 「一人前の職人になって、親方の娘と夫婦になったというんだな。そりゃあいい人に廻《めぐ》り合った。あんたはなかなかの強運の持ち主だよ」 「弥之助親方がおっしゃって下さいました。自分の力じゃねえ、お前のことを日夜、神仏に祈り続けている親のおかげだと……」  お光との間に珠吉が誕生し、始めて珠太郎は弥之助に自分の本当の素性を打ちあけた。 「親父様からすぐ江戸へ行けといわれました。お袋がどれほど心配しているか、ともかく顔をみせ、親不孝を詫びろと……」  しかし、珠太郎はなかなか決心がつかなかったという。 「江戸へ行くからには女房子を伴って行きたい。ですが、お袋がお光や珠吉をどう思うか。仮に気に入ってくれて、みんな一緒に暮そうということになったら、明石の親父様は一人ぽっちになってしまわれます。大恩受けた親父様に、手前は……それだけは……」  たまりかねたように珠太郎が涙を膝にこぼし、お光がそっと訴えた。 「父が申しました。女子は嫁に行っては夫に従うものやと。珠太郎はんのお母《か》あはんに気に入られるよう、一生けんめいお仕えせなあかんと……けど、うちも一人っ子や……」  夫婦で迷いに迷い、遂に決断したのは珠太郎の母親の年齢を考えての上であった。 「ともかくも、親子三人、江戸へ行って、不孝を詫びようと思い切って出て参りました」  けれども、父親の墓まいりをすませた今、どうやって母親に会ったものか途方に暮れているといった。 「二十年も放ったらかしにして、今更、只今戻りましたとは、いくら手前が厚かましくても、よう、いえまへん」  語尾がふっと上方言葉になった。  東吾が二人を等分に眺めて微苦笑を浮べた。 「お前達、俺達夫婦に口ききをしろってことか」  してやってもいい、とまずいった。 「うちの内儀さんの家の菩提寺があんたの所のと同じだったって縁もある。それに、うちの内儀さんが母親の形見として大事にしている珊瑚玉のかんざしは、あんたの店から、内儀さんの父親が買ったものなんだ」  やっぱり、と珠太郎が口走った。 「昨日、挿してお出でのかんざしは珊瑚屋でお求め下すったものでございましたか」  最初に、るいに挨拶した時、すぐ目に入ったといった。 「なにやら、ひどくなつかしく……珊瑚玉のかんざしを扱う店は、珊瑚屋ばかりではございますまいに……」  るいが箪笥のひき出しに納めてあった桐箱を取り出して来た。開いて見せた紅色珊瑚の玉を、珠太郎は食い入るようにみつめた。 「美しゅうございます。長いこと海の底に眠っていたものの持つ、神々しさは明石玉にはないものでございます」  東吾が笑った。 「菩提寺の縁と、そのかんざしの縁、もう一つ、あんた方がこの宿に泊ったという縁を含めて三つ。これだけ縁が重なったら、口をきかざあなるめえさ。ただし、その結果がどうなるのか、そこまでの保証は出来ねえぜ」  珠太郎夫婦が頭を畳にすりつけた。 「有難う存じます。かたじけないことでござります」  何度も礼をくり返して珠太郎夫婦が藤の間へ戻ってから、るいがかんざしをしまいながら首をすくめた。 「全く、うちの旦那様と来たら、私のことをなにかというと女長兵衛だと冷やかすくせに、御自分が絵に描いたような長兵衛さんじゃございませんか」 「違《ちげ》えねえ。俺もたった今、そう思ったところさ」  似た者夫婦が大笑いしている部屋の外に、いつ降り出したのか激しく大地に叩きつける雨音が聞えていた。      四  軍艦操練所から東吾が退出して来たら、揃って日本橋本石町へ行こうという手筈になっているというのに、昨夜からの雨はどしゃ降りのままで、一向に雨足が衰えない。 「よい加減にやんでくれないものでしょうかね。若先生は駕籠がお嫌いだというのに、困っちまうじゃありませんか」  お吉が苦情をいいながら「かわせみ」の暖簾口から空を仰いでいる時、雨の中を走って来た町駕籠が「かわせみ」の前に止って、老女が慌しく下り立った。 「もし、おうかがい申します。こちら様に珠太郎と申す者が御厄介になって居りませんでしょうか」  お吉がはっとし、嘉助が帳場から立って来た。 「失礼でございますが、誰方《どなた》様で……」  と丁寧に訊ねたが、嘉助にはその老女が何者か、およそ見当がついていた。  決して華美ではないが、品のよい江戸小紋の単衣に献上の帯、そして髪には見事な大粒の紅珊瑚の玉かんざしが挿してある。 「申し遅れました。手前は日本橋本石町の珊瑚屋から参りました。お浅と申します。浄念寺の御住職よりお知らせを受け、もしやと参上致しました」  お浅の背後に人影が立った。 「やっぱり、お寺さんから足がついたか」  つぼめた傘を嘉助に渡しながら東吾が突っ立っているお吉にいった。 「こちらを藤の間へ御案内しろ。さぞかし、夫婦が喜ぶだろう」  慌ててお吉がお辞儀をし、足駄を脱いで上りかまちに立ったお浅を導いて行く。それを見送って東吾が足を洗っていると、るいが小声でいった。 「長助親分が台所に来て居りますの」  東吾は大刀をるいに渡し、そのまま、台所へ行った。  長助は土間に立って手拭で肩先を拭いていたが、東吾をみると小腰をかがめた。 「珊瑚屋の女主人が訪ねて来たそうですが……」  濡れているのでここでお話し申します、と上りかまちに膝を突いた。 「珊瑚屋には養子が入って居ります」  近所の話だと五年前に親類が強引に押しつけたもので、歿った三左衛門の妹が嫁入り先で儲けた末っ子だという。 「こいつがえらく出来の悪い男で、奉公人は誰も若旦那とは呼びません。かげじゃ馬鹿旦那で通用するとか」 「そんなにひどいのか」 「へえ、威勢のいいのは吉原へ繰り出す時ぐらいのもので、家にいても店には顔を出さず、仕入れの帳面も見ねえそうで」 「何をしているんだ」 「清元に凝っていやがるんだとか。だいぶ、師匠に入れあげているって話です」  東吾について来たるいがいった。 「そんな人はさっさと離縁したらいいじゃありませんか、本当の悴さんが帰って来たのですもの」 「ですが、当人も相当しぶとい男のようでございますし、親類はあと押しをしているので、厄介じゃねえかと町役人《ちようやくにん》もいって居りました」  台所へお吉がかけ込んで来た。 「まあ、親子っていいものでございますねえ。入って行ったとたんに、おっ母さんには悴さんがわかったようで、そのまま、敷居の所へすわり込んじまうのを、珠太郎さんとお光さんが抱えるようにして部屋へ入れて……」  暫くはそっとしておくほうがいいだろうから、お茶も運ぶなと女中達に指図をしている。  長助が間が悪そうにお辞儀をした。 「どうも、お知らせに参るのが遅くなっちまいまして……」 「いいんだ。雨の中をすまなかった」  東吾にねぎらわれて、長助はがっかりした顔で帰った。  居間で東吾が着替えをすませ、るいのいれた茶を飲んでいると、やがて、嘉助が来た。 「おそれ入りますが、珊瑚屋さんのお内儀さんが御挨拶をなさりたいとのことで……」  入って来たお浅はひどく陽気な顔をしていた。後に続く珠太郎と珠吉を抱いたお光が途惑っているのがよくわかる。  お浅は東吾とるいに対して丁重に礼を述べた。 「おかげさまで死んだと思っていた悴にめぐり合え、苦労話を聞くことが出来ました。御親切なお方に助けられ、その娘さんと夫婦になって、こんな愛らしい子まで恵まれて本当に幸せ者だと存じます。これでもう思い残すことはございません」  どことなく歯車の食い違ったような感じだったが、東吾はお浅の気持が昂ぶっているせいだと解釈した。で、珠太郎に、 「これからのことは話し合ったのか」  と訊ねると、悴より先にお浅が答えた。 「こうして廻り合えたのだから、江戸見物でもして、明石へ帰るよう申しきかせました」 「珊瑚屋の店の跡取りに戻すのではないのか」  あっけにとられて訊ねたのに、 「それは出来ません。珠太郎が大恩受けた明石の弥之助どのに対しても相すまぬことでございます。それに、珠太郎は明石玉作りの職人をして居りますとか。れっきとした珊瑚屋の主人が偽物作りをしているのでは、店の信用にかかわります」  びしっと返事をした。 「おっ母さん、それは違います」  流石《さすが》に珠太郎が膝を乗り出した。 「明石玉は偽珊瑚ではございません。明石の親父様がよくおっしゃることでございますが、胡渡りの珊瑚にせよ、土佐の海や肥前の五島で獲れる珊瑚はいずれも深い海の底にあって、しかも、数は少のうございますとか。それを獲るためには命を失う人も少くないとなれば、価は当然、高く、それを求められる人はごく僅かの大金持に限られましょう。それでも、あの美しい紅色の珊瑚を髪に挿してみたい、煙草入れの緒締にして腰に下げてみたいと思う人は決して少くはない。そうした人々に、明石玉は大層もてはやされて居りますので、親父様も手前も偽の珊瑚を作るのではなく、あくまでもより美しい明石玉をこしらえて喜んで頂きたいと……」 「それは珊瑚屋では通用しません。店においてある胡渡り珊瑚が明石玉だと噂が立ったらとり返しがつきません」  お光が泣きそうな目で、夫の母親をみつめた。 「珠太郎さんに明石玉作りをおさせしてしもたのは私どもの間違いでござりました。二度とおさせは致しません。そやから、どうぞ、珠太郎さんをお傍においてあげて下され」  お浅の表情は変らなかった。 「なりません。珊瑚屋の店の主人が以前、明石玉を作っていたと評判になったら……人は一度しでかしたことは生涯、消えないものでございます。珠太郎を店へ入れるわけには参りません」 「おっ母さん」  珠太郎が母の膝に自分の膝をぶつけるようにして向い合った。 「手前は珊瑚屋へ這い込みに戻って来たのではございません。たかが明石玉かも知れませんが、明石の親父様や手前の作る明石玉は京大坂で何軒もの店が下《おろ》させてくれて居ります。よう売れて少々でも貯えも出来て居ります。金めあて、財産めあてに帰って来たのではございません」  お浅が少し笑った。 「それはなによりですね。親子三人、幸せにお暮しなさい。お光さんの親御さんを大事にしてあげることですよ」  ふっとお浅の声が変った。 「会えてよかった。気立てのよい嫁と、かわいい孫と……」  お光の手から珠吉を抱き取ると胸に抱きしめた。驚いた様子ながら、珠吉は泣きもせず、にこにこと笑っている。 「珠吉……いい子に育っておくれ」  頬をすりつけるようにしてからお光の手へ戻した。 「どなたさまも有難う存じました。悴夫婦のこと、何分よろしくお頼み申します」  素早く立ち上ると、さっさと部屋を出て行った。  茫然としている珠太郎夫婦の代りにるいが後を追った。  上りかまちで、お浅は足駄を履いている。 「よろしいのですか」  必死でるいは叫んだ。 「折角、悴さんが戻って来られたというのに……あなた、それでもよろしいのですか」  お浅がるいを見上げた。目と目が絡み合い、お浅はそのまま、何もいわずに外へ出て行く。外には乗って来た駕籠が待っていた。 「お気をつけて……」  という嘉助の声が聞え、暖簾をくぐって戻って来た。 「お帰りになりました」  とるいにいう嘉助の表情にも、憤懣がのぞいている。  居間はお通夜のような雰囲気になっていたが、るいが入って行くと、珠太郎が気を取り直したように挨拶をした。 「すっかり御迷惑をおかけ申しましたが、これで心が決まりました」  明日、親子三人で江戸を発ち、明石へ帰るといった。 「珊瑚屋には養子が入っていると、こちらの旦那様からうかがいました。店を守る人がいるなら安心でございます。おっ母さんの顔も見ることが出来ましたし……江戸へ出て来た甲斐がございました。お光に形見も頂きましたし……」  珠太郎の言葉に、お光が思い出したように自分の髪から玉かんざしを抜いてるいに見せた。濃い紅色の大粒の胡渡り珊瑚である。 「先程、藤の間でお光が挨拶を致しましたところ、お光の挿していた明石玉のかんざしをおっ母さんがみせてくれと申しますので、手前の作った明石玉だと打ちあけました」  すると、お浅は仮にも珊瑚屋の嫁が明石玉なんぞを挿しているのはみっともない、と自分の挿して来た胡渡りをお光の髪に挿し、抜いた明石玉のほうを懐中に突っ込んでそのまま持って行ってしまったのだという。 「あたしは明石玉でも、珠太郎さんが作ってくれはったのが大事やったのに……」  口惜しそうにお光がいい、珠太郎は優しい亭主の顔になった。 「あんなもん、明石へ帰ったら、また作ってあげる」      五  翌日、珠太郎夫婦は珠吉を伴って「かわせみ」を発った。  いい具合に梅雨の晴れ間で陽がさしている。 「お袋の身に万一、何かありましたら、どうか明石までお知らせ下さいまし。なんと申しましても、手前にとってたった一人のお袋でございます」  最後に、見送ったるいにくれぐれも頼んで珠太郎はそれでも未練を残さない足取りで去って行った。  親子三人の後姿がみえなくなるまで店の前に立っていて、お吉がそっとるいにいいつけた。 「正直なもんですねえ。明石へ揃って帰ることになって、お光さん、嬉しそうでしたよ」  それにうなずきながら、るいはどうもすっきりしなかった。  明石玉作りの職人をしていた悴を、珊瑚屋へは戻せないというお浅の言い分はもっとものようだが、よく考えると合点《がてん》が行かない。  どんなに精巧に出来ていても明石玉は明石玉で、本物の珊瑚と並べれば必ず見分けがつく筈なので、素人ならともかく珊瑚屋の女主人がいう言葉ではない。  胸にものがつかえたような気持でるいは重苦しい梅雨空を眺めていた。  男梅雨だといわれた江戸の長雨が漸く上って、今度は油照りの日が続いた朝に長助が「かわせみ」へやって来た。  日本橋本石町の珊瑚屋が倒産したという。 「随分前から店が左前だったなんて、あの近所でも誰も気づいて居りませんで、みんなびっくり仰天していますんで……」  資産全部が借金の抵当になって居り、店に残された品物もおよそ珊瑚屋らしくない粗悪品ばかりであったという。 「店を閉める二日前にお内儀さんが奉公人を集めて給金にそれぞれいくらか上乗せしたものを渡し、一人一人に礼と詫びをいって暇を出したんだそうでございます」  長助の話を、るいは夢中で遮った。 「お内儀さんは、お浅さんはどうなすったんですか」 「そいつが……前から段取りがしてあったとかで、身一つで鎌倉の尼寺へ入りなすったとのことで、尼さんの修行をしながら歿った旦那の後世を弔うんだと、こいつは浄念寺の御住職がいってなさいました」  思いがけない老舗の倒産で笑い話がたった一つあった。 「例の出来の悪い養子さんですがね。なんにも知らないで、吉原の馴染みの妓の所へ居続けをしてやがって、色惚け面で帰って来やがったら店は閉って誰もいねえ。うろうろしているのを町役人がひっぱって行って、奴さん腰を抜かしたと申します」  ひとしきり長助が喋りまくって帰ってから、るいは縁側に立って風鈴の音を聞いていた。  珠太郎達が旅立って行って以来の胸のつかえがすとんと落ちた感じであった。  お浅は間もなく店が潰れるのを承知していた。  二十年ぶりで帰って来た悴に借金まみれの店は継がせたくなかったに違いない。どんなに珠太郎が働いたところで、あれだけの老舗が倒産にまで追い込まれている状態から建て直すのは難しい。  そんな苦労を我が子にさせたくなくて、あんなにもすげなく明石へ帰れといい放ったのだと今はわかる。  母親は我が子の気性を承知していた。  店の状態がこれこれだと打ちあければ、珠太郎は明石で作り上げた僅かな資産を残らず注ぎ込んでも珊瑚屋の暖簾を守ろうとするだろう。借金まみれで火達磨になって遂に力尽きて倒れるような悲惨な生涯から我が子を守るためにお浅は冷たく珠太郎を突き放した。  るいの瞼に浮ぶのは、可愛らしい盛りの珠吉をひしと抱き締めた時のお浅の燃えるような目の色であった。  あの炎の色は、孫を嫁の手へ返した時に、もう消えていた。 「かわせみ」を出て行ったお浅の背中にあったのは、母親の満足か、それとも悲痛な諦念だったのか、るいには知る由もない。 「お母様、只今、帰りました」  千春の声が聞えて、るいはいつもの母親の顔に戻って風鈴の傍を離れた。 [#改ページ]   手妻師千糸大夫《てづましせんしだゆう》      一  両国広小路の高座に、この夏から出ている手妻師千糸大夫の評判を「かわせみ」に持ち込んだのは、例によって深川長寿庵の主、長助であった。 「なにしろ、江戸じゃあここんところ滝の白糸ってえ芸は、ふっつり出て居りませんところに、千糸大夫ってえ手妻師の白糸のたぐり具合がなんとも巧妙でして、文字通り、滝の水のような白糸の中から、ひょい、ひょいと唐傘を取り出す。おまけに最後は本物の鯉の滝上りと来ますんで、見物は拍手喝采、そりゃもう大喜びでございます。一度見た者が二度、三度と押しかけるそうで、この暑いのに朝っぱらから小屋の前に行列が出来る騒ぎでして……」  喋っているだけで額から汗が流れる午下《ひるさが》り、「かわせみ」の帳場で長助の相手になっているのは老番頭の嘉助と、麦湯を運んで来たきり、そこに根が生えてしまったような女中頭のお吉の二人である。 「たしかに、昔っから滝の白糸の芸をやる手妻師はそう多くはなかったね。あいつは仕掛に手がかかるし、大夫と後見の息が余っ程、ぴったりしていないと面白くもなんともない。その上、大夫に華《はな》がないとお客がわあっと来ねえ、手妻師の誰でもが出来る芸じゃねえからなあ」  嘉助が昔をなつかしむ口調になり、お吉が訊いた。 「滝の白糸って手妻の名前なんですか」 「そうだよ」 「どんな手妻なんです」 「こりゃ驚いた。お吉さんは見たことがないのかえ」 「口惜しいけど、ありませんよ」  お吉が口をとがらせ、長助が得意顔になった。 「実はあっしも今度が初めてなんですがね、要するに糸の手妻なんでさあ」  大夫の手の中から細く白い糸が無数にたぐり出されて、高座一面に滝のような流れが現われる。 「おまけに大夫が扇であっちこっちをとんと叩くとそこからも糸の滝が吹き出して来る。その中から大夫がいろんなものを取り出して、後見が舞台に並べて行くんですがね。なんてったって、白い糸だから、そこんところに何か仕込んだら、客に見えないわけはねえ。大夫が手にしているのは白扇一本だけでさあ。それで唐傘が十本、高張提灯なんぞが続々と出て来たあげくに、白い蝶々が十も二十も波の間から飛んで来て、そりゃあ見事に舞うんでさあ。どうしたってありゃあ幻術に違えねえと思っていると最後は天井から大きな滝が幾筋も落ちて来て、その上を生きてる鯉が威勢よく上って行くんですから……」 「よして下さいよ。長助親分、いくらなんだって、そんな馬鹿な……」 「嘘だと思ったら、お吉さん、その目で確かめてお出でなさい。なんでも千糸大夫の一座は江戸へ来る前、横浜でも興行をして、異人までがびっくり仰天したてえ話ですから」  わあわあ騒いでいる所へ、千春と出かけていたるいが帰って来て、帳場はまた一しきり盛り上った。 「滝の白糸だかなんだか知らないがね、その手妻師の話は横浜で聞いたことがあるよ。本所の宗太郎《そうたろう》の知り合いの、千種屋の番頭が南蛮手妻のやり方を、今までの白糸芸に取り入れているらしいとかいっていたな」  千種屋というのは日本橋に本店のある大きな薬種問屋で、本所の名医、麻生《あそう》宗太郎なぞは親の代から昵懇《じつこん》にしている。その縁で何年か前に横浜見物のお供をしたことのあるお吉はいよいよ鼻をうごめかした。  夕刻、軍艦操練所から帰って来た東吾が一風呂浴びて青々とした枝豆の皿を前に盃を取り上げながらの話で、長助はすでに帰っていたが、代りにお吉が仰々しく、滝の白糸の手妻の話を持ち出した。 「もう、お吉ときたら、ずっとその話ばっかりで、板場も女中達も仕事が手につかなくて困っているんですよ」  るいは少からずおかんむりだが、東吾は相変らずのお吉贔屓で、 「長助が面白いというんだから、満更でもないんだろう。話の種にのぞいて来たらどうなんだ」  比較的、宿屋稼業の暇な時にでも、若い女中を連れて行って来るとよい、などといってくれて、お吉はすっかりその気になったが、肝腎のるいは、 「この暑い時に人ごみに出るのはまっ平」  と取り合ってくれない。  で、深川まで出かけて行って、長助の女房のおえいに話を聞いてみると、 「そりゃ大層な人気だって噂は聞いていますけど、その分、大入満員で押すな、押すなって騒ぎだそうですから、とても千春嬢さまなんぞをお連れ出来ないと思いますよ」  うちの人がつまらない話をお耳に入れて本当にすみませんと、逆にあやまられてしまった。  で、がっかりして永代橋を渡って戻って来ると、神林麻太郎と畝源太郎が各々、書物が入っているとみえる風呂敷包を抱えて歩いて来るのに出会った。 「お吉さん、どうかしたのか」  麻太郎に声をかけられて、お吉は慌てて笑顔をとりつくろった。 「いいえ、どうも致しません。若様方はこれからお稽古でございますか。お暑いのに御立派でございますね。お気をつけて行ってらっしゃいまし」  丁寧にお辞儀をして、あたふたと「かわせみ」へ帰って行くお吉を見送って少年二人は永代橋を渡って本所へ向った。  今日は月に六日、本所の麻生家で、宗太郎の友人から英語を学ぶことになっている、その当日であった。  麻生家では、当主の宗太郎に二人の子供、それに、この節は隠居の源右《げんえ》衛|門《もん》も加わって、神林麻太郎、畝源太郎の二人と共に英語の勉強をする。  およそ二刻、読み書きから日常の話し言葉までを学んで、七重《ななえ》の心尽しのおやつが出、それを頂戴すると二少年は帰途につく。  大川沿いの道を今日、習った日常会話の復習をしながら戻って来て豊海橋のところまで来ると、千春が「かわせみ」の脇の空地のところに立ってこっちを眺めていた。麻太郎と源太郎の姿をみると大急ぎで走って来た。 「千春、何かあったのか」  麻太郎がかけよって訊ね、千春は大きな目を一杯に見開いて訴えた。 「麻太郎兄様が、今日は本所のお稽古に行かれる日だと思って……」 「わたしを待っていたのか」 「お吉が、かわいそうなのです」  たどたどしく、しかし懸命に千春が両国広小路の手妻の話をし、二人の少年は熱心に聞いた。 「つまり、滝の白糸という手妻をお吉がみたがっているのだな」 「お吉は千春にみせたいと思っているのです」 「千春も見たいわけだ」  麻太郎にいわれて、千春は恥かしそうにうなずいた。 「でも、お母様はお出かけになりたくない御様子ですし、お父様は今朝から横浜へお仕事で行かれて、お帰りは明日か明後日か」  源太郎が笑顔でいった。 「それなら、わたしが広小路へ行って様子をみて来てあげますよ。どのくらい混雑しているのか。女ばかりでも大丈夫なのか。場合によっては長助に相談してみましょう」  麻太郎が源太郎に同意した。 「それがいい。千春は心配しないで、わたし達の報告を待っていなさい」 「ありがとうございます」  いそいそと千春が「かわせみ」へ戻って行くのを見て、二人の少年は八丁堀のほうへ歩き出した。 「源太郎君は、いつ、両国広小路へ行くつもり……」  麻太郎の問いに、源太郎が少し悪戯《いたずら》っぽい表情を浮べた。 「早いほうがいいから、明日にでも……」  やや、声をひそめてつけ加えた。 「滝の白糸の手妻のことは、長助から聞いていたし……」 「源太郎君は手妻をみたことがあるのか」 「一度も、ない」 「わたしもだ」  そこで二人は二人にだけ通じる表情になった。 「明日、わたしも行くよ。源太郎君はなんといって屋敷を出る」 「うちの母上は、麻太郎君と一緒だといえば、どこへ行くとはおっしゃらないから……」 「わかった。わたしもそうする」  組屋敷の道へ入って別れるまでに二人の打ち合せはすみやかに終っていた。      二  翌日、午食《ひる》をすませると二人の少年は何食わぬ顔で各々の屋敷を出て、日本橋川の岸辺で落ち合った。  肩を並べて大川沿いを両国橋へ向う。  どちらも少々、心が浮き立ったような感じなのは、親に内緒でささやかな冒険をするという気持の故で、目に入るものを次々と英語でいってみたり、この頃、二人の間で凝っている万葉集の歌を思い出せる限りそらんじたり、時には肩をぶつけ合い、笑い合いながら早足で歩いて行く。  空は晴れていて、蒸し暑く、すれ違う人々は申し合せたように気息奄々《きそくえんえん》としていたが、二少年はまことに元気であった。どちらもやましい顔はしていない。  それでも、大川の神田側の道を行くのは、本所深川側には長寿庵や麻生家があって、万一、誰かとばったり会ってしまって、どこへ行くのかと問われて返事に窮するのを避けるためで、只一度、源太郎があたりに要心の目をくばったのは浅草御蔵前を通り抜ける時で、この町には源太郎の母の実家である札差の江原屋の店があるからであった。  が、そこも無事に過ぎると間もなく両国橋の西岸の広小路、ずらりと並んだ水茶屋の手前に大小の見世物小屋が建ち並び、葭簀《よしず》張りの商い店や床見世《とこみせ》がごった返している。 「麻太郎君、他見《よそみ》をしていると掏摸《すり》にやられるから気をつけて……」  源太郎が先に立って人をかきわけ、蕎麦屋だの居酒屋、鮨の屋台へつい物珍しい目が行きがちの麻太郎を牽制《けんせい》しながら前へ進んで行く。  見世物小屋は種々雑多であった。  綱渡りや軽業《かるわざ》、或いは傀儡《あやつり》、猿芝居などの仮小屋があるかと思うと、けっこう大きな歌舞伎芝居の小屋もある。  浄瑠璃寄せ場や子供芝居などが続くむこうに寄席の小屋があって、数多くの幟《のぼり》の中に「滝の白糸、出世の滝上り」「手妻師千糸大夫 江戸御目見得」などの文字をみつけた時、源太郎と麻太郎は片手をぶつけ合って大喜びした。  その小屋の前は長い行列が出来ていた。  派手な太鼓の音に下座《げざ》の三味線、それに呼び込みの声が重なって、耳許で大声を出さないとおたがいの声が聞えない。  それでも二人はなんとか木戸銭を払って札をもらい、行列に並んだ。 「どのくらい待てば入れるんだろう」  麻太郎の独り言に、すぐ前に並んでいた職人風の若い男が教えてくれた。 「なに、今日はこれでも行列が短いほうさね。ぼつぼつ、前のが終るから、間《ま》なしに入れますぜ」  その言葉通り、小半刻も並んでいると、出口になっているほうの莚《むしろ》が上ってどやどやと客が出て行き、入れかわりにこっちの柵のようなものを木戸番がはずして並んでいた客を、 「さあさあ、順に入った、入った……」  と流し込んだ。  ぞろぞろと人波に押されて二人の少年がもぐり込んだのは、けっこう高座に近い平土間で、この小屋には二階もなければ、枡《ます》の仕切りも取り払われている。 「麻太郎君、ここがあいているぞ」  源太郎が客の間のすきまに麻太郎と並んですわり込んだ。目の前が高座で浅黄幕が閉っている。  客席はあっという間に埋まって立錐の余地もないが、それでも懐中から餅や饅頭を取り出して食う者もいるし、土瓶ごとぶら下げて来たらしい茶を注ぎ口からじかに飲んでいるのも見える。  小屋の中は思ったほど暑くはなかった。どこからか、川風が吹き通るらしい。それでも見物人は額から汗を流し、手にした団扇《うちわ》を盛んに動かしている。  賑やかな囃子が聞えて、幕の外に後見の男が出て来た。木綿の黒紋付に小倉の裁付《たつつけ》袴をはいている。年齢は若く、せいぜい三十前後と見えた。 「本日はお暑い中を、ようこその御出かけ、まことにかたじけのう存じ上げ奉ります」  という口上の声に、忽ち小屋の中のざわめきが消えた。  後見がひとしきり喋ってひっ込むと幕が開いた。  高座にはやや色の褪せた緋毛氈《ひもうせん》が敷かれ、中央に小机があり、その左右に一尺ほどの木箱がおいてあった。その隣には百目蝋燭の燭台がすえてあって、高座をほの明るく照らし出している。  麻太郎が固唾《かたず》を飲み、源太郎が両手を握りしめた。ひとしきり、太鼓と三味線が鳴って奥から千糸大夫が登場した。  目も鮮やかな大振袖に裃《かみしも》をつけ、高島田に結い上げている。  白扇を手に客席へむかって挨拶をする姿がなんとも優艶であった。 「畜生、いい女だなあ」  などという声が背後に聞え、麻太郎と源太郎は顔を見合せて微笑した。  やがて、口上が終って、千糸大夫は裃の片方をはずし、懐中から白紙を取り出した。  客の視線がいっせいに、千糸大夫の手許に集中する。  異変が起ったのは、その時で、どこから入って来たのか、着流しの若い男がふらふらと高座に現われた。  なにやら、ぶつぶつと口の中で呟きながら、千糸大夫に近づいて行く。  最初に気づいたのは、麻太郎であった。 「源太郎君、あれは、なんだ。おかしいぞ。目付が変だ」  源太郎が男に注目したのと、高座にいた後見が男に走り寄るのが同時であった。 「もし、あんた……」  肩へ手をかけた後見が、きゃっと叫んだのは男の手に出刃庖丁があったからで、どっと後へ下ったとたんに尻餅を突く。そこへ凶刃が襲いかかった。千糸大夫の手から白い小さな玉が飛んだ。それは空中で千筋の糸に分れて男にからみつく。続いて、もう一発、蜘蛛の糸のように広がって、男の攻撃を遮った。  その間に辛うじて後見は逃げる。  観客は途惑っていた。あまりに鮮やかな千糸大夫の挙措《きよそ》に、これも手妻の一つかと錯覚を起した者が多かったのだ。  しかし、麻太郎と源太郎は欺されていなかった。  出刃庖丁を持った男が下座の人々に襲いかかったからで、二人は躊躇なく高座へとび上った。  下座の人々が先を争って逃げ、出刃庖丁の男はまだ中央に立ったままの千糸大夫へ向った。千糸大夫の手から三つ目の玉が男へ投げられたが、男はひるみもせず躍りかかって行く。そこへ、源太郎がとび込んだ。右手で男の出刃庖丁を持つ利き腕を掴み、瞬時に左手で叩き落す。そのまま、男を突きとばした。  男のよろけて行った先には千糸大夫をかばって立った麻太郎がいた。  衿髪《えりがみ》を掴んで腰を沈めると男の体は鞠《まり》のように宙を飛んだ。  蛙が潰れたような声が聞えて、男は高座にぶっ倒れ、動かなくなった。  外から役人がかけつけたのは、その後であった。  二人の少年は無言で高座からとび下り、右往左往する客にまぎれて脱兎の如く、小屋から遠ざかった。  走りに走って、途中、水売りをみつけて白玉入りを一杯ずつ飲み、やや落着いて、あまり人通りのない道をえらんで八丁堀へ帰って来た。  組屋敷が見えて来た時、麻太郎がそれまで考えて来たことを口に出した。 「わたしは今日の出来事を父上に申し上げ、お詫びをしようと思うが、源太郎君はどうする」  源太郎が眩しそうな目で友人を眺めた。 「わたしもそれしかないと思っています」 「そうだな」  二人はちょっとみつめ合い、うなずき合って別れた。  神林家へ帰って来て、麻太郎が驚いたのは、奥から父、通之進の声が聞えていたことであった。いつも、奉行所から退出して来る時刻よりも、早い。  出迎えた用人が、 「お帰りなさいませ。旦那様はほんの今しがたお戻り遊ばしたところでございます」  という。麻太郎は大きく深呼吸をしてから居間へ行った。  通之進は着替えをすませたところであった。  敷居ぎわに手を突いて頭を下げた麻太郎をみると、 「どうじゃ。両国広小路の盛り場は面白かったか」  なんでもない調子でいった。先を越されて絶句した麻太郎に続けた。 「どこも怪我なぞは致して居らぬであろうな。母が心配して居る。正直に申せ」  麻太郎は大いに慌てた。 「怪我なぞ致しては居りません。父上、母上、申しわけございません」 「申しわけないとは、盛り場へ行ったことか」 「はい。お許しもなく……。それに、見世物小屋へ入りました」  通之進が笑いをこらえた顔で平伏している麻太郎を眺めた。 「滝の白糸とやら申す手妻をみせる小屋へ参ったのであろう」 「はい」 「胡乱《うろん》な奴が、高座へ入って来て、出刃庖丁をふり廻したのを、取り押えたのが畝源太郎、投げとばして気絶させたのが其方とか」 「申しわけございません」 「芳造と申す船頭であったそうな。この春以来、奇矯な振舞が多く、昨日あたりからはわけのわからぬことを口走っていたらしいが、まわりの者は暑気当りでおかしくなったと思っていたとか、只今は御牢内で医師が調べて居る」 「あの……」  麻太郎が少しばかり顔を上げた。 「父上には、どうして手前共のことが……」 「麻太郎は、天知る、地知る、人知ると申すことを知らぬのか」  麻の座布団に座って、香苗《かなえ》のいれた茶を一口飲んだ。 「はっきり申せば、小屋にかけつけた役人は定廻《じようまわ》りの木下と申して、古参の同心じゃ。そなたの顔も源太郎も存じて居る」  がっかりしたような麻太郎に香苗がにじり寄った。 「ほんに怪我なぞして居られませんでしょうね。どこぞ、痛むところは……」 「大丈夫です、母上」  用人が取り次いで来た。 「畝源三郎様父子と、東吾様がおみえになりました」 「これへ通せ」  用人と入れかわりのように、東吾が顔中を汗にして入って来た。 「兄上」  といいかけるのに、通之進が笑った。 「畝源三郎が参るのはわかるが、東吾が来たのは何事だ。まさか、別件とは思わぬが……」  東吾が手に握っていた手拭で顔を拭いた。 「実は……手前、横浜へ行って居りまして、今しがた戻りました」 「それは御苦労」  兄は余裕たっぷりで、弟は顔をまっ赤にしている。 「かわせみに長助が来て居りまして、麻太郎と源太郎が広小路の小屋でいささか気のふれた男を取りおさえたと申します。いやその……長助が案じてかけつけて来ましたのは、二人が双方の親からきびしく叱責されるのではないかと申すことで、手前はこの際、思う存分、叱られるがよいと申しましたところ、傍にいた千春が俄かに泣き出しまして、二人が広小路へ出かけたのは千春の頼みによるものだから、神林の伯父上には千春がお詫びに行く、麻太郎にも源太郎にも罪はないと申します。何分、子供の申すことでよくわかりませんが、取りあえずやって来ると、そこで源さんに会いまして……」  心配そうに廊下にひかえていた用人がぷっと吹き出し、慌てて下って行くのを眺めて、通之進が苦笑した。 「やれやれ。子供と申す者は、とかく親に似るものじゃな」  源太郎を手招きして、麻太郎の隣に座らせた。 「二人に訊くが、盛り場へ参って、どう思った」  源太郎が少しためらい、麻太郎がそれを見て、先に答えた。 「不思議な所のように思いました。さまざまの人が見物したり、ものを食べたり、みな楽しそうに見えましたが、得体の知れぬ者共もいて、油断は出来ぬようにも感じました」 「源太郎は……」 「はい、たしかに楽しげな場所に違いありませんが、いかがわしい者の姿も少くなく、まして、今日のような出来事がございますと、女子供はあまり近づかぬほうがよいかと……」 「では、あのような盛り場は、お上がきびしく取り締ったほうがよいと思うか」  二人の少年が顔を見合せた。それを見て通之進が言葉を続けた。 「盛り場にはよからぬ者共が徘徊致す。乱暴狼藉を働く者も少からず、喧嘩口論も絶えぬ。掏摸《すり》やひったくりが横行し、いかさま賭博にひっかかって虎の子を失う者も居る。それ故、お上においてはしばしば盛り場の取締りをきびしくして居るが、それについてどのように考える」  麻太郎が視線を上げた。 「父上の仰せ、ごもっともかと存じます。盛り場に悪をはびこらせてよいわけはございません。ただ、盛り場へ集って来る多くの人々の、まことに楽しげな顔をみて参りました。毎日を額に汗して働く人々が、たまさかの楽しみを求めてやって来るのが盛り場であるとしたら、それをなくしてしまうのは、如何なものでしょうか」  源太郎もいった。 「手前も盛り場に罪があるとは思いません。盛り場を悪人どもの巣にせぬよう、お上の目が行き届き、女子供も安心して遊びに行ける場所となればよいかと……」  通之進が哄笑《こうしよう》した。 「二人の意見、よく聞いておこう。御苦労であった」  廊下にひかえていた東吾と源三郎が大きな体を縮めて汗を拭き続けているのを眺めて、通之進は二人の少年を等分に見た。 「さて、二人が本日、見世物小屋にて、たまたま乱入した男に立ち向い、千糸大夫とやらをはじめ、芸人共を凶刃より救いたる段、まことに見事な働きであったとか。賞《ほ》めてとらす。二人の働きなくば、千糸大夫は命を失ったかも知れず、男も亦《また》、殺人の罪を犯したことになろう。場合によっては他に怪我人も出たかも知れぬ。大事を小事にて食い止めた働きは大人も及ばぬと申してよかろう。但し、二人の親がそれを知った時の気持はどのようなものであったと思う。親は誰しも、我が子の無事を最上と心得て居る。怪我もなく病気もせず健やかに成人するを無上の喜びとするものじゃ。我が子が病にふせば、おのれの命と代えても助け給えと神仏に祈り、外に出て行く姿を見送る時は、怪我もなく、つつがなく家へ戻って来るよう心中に合掌するものじゃ。  本日の一件につき、二人の母がどれほど心を痛めたか、ゆめ、忘れるでないぞ」  源太郎と麻太郎が、はじかれたように両手を突き、深く頭を垂れた。 「源太郎は帰って、母に詫びるがよい」  改めて、源三郎と東吾へ苦笑した。 「そこで汗を流している者共、一件落着じゃ。帰ってよいぞ」  麻太郎が立ち上った。香苗の前へ改めて正座し、今にも泣き出しそうな目で香苗をみつめた。 「母上、どうかお許しを……」  声がかすれ、そのまま、両手を突いた麻太郎に、香苗はにじり寄ってその手を取り上げた。 「御無事で……よう御無事で……母はそれだけで……」  香苗が自分の両手を麻太郎の手に重ね合せて合掌するのをみて、麻太郎の目から一筋、こらえ切れなくなった涙が糸をひいた。 「源さん」  東吾が友人をふりむいた。 「俺達は帰ろう」  そっと兄のほうをみて、お辞儀をし、そそくさと逃げて行く。源三郎と源太郎が揃って通之進に平伏し、東吾の後を追って行くのを通之進は可笑しそうに眺めて、麻太郎にいった。 「ところで、お前達、千糸大夫の手妻は見ることが出来たのか」  麻太郎が泣き笑いの表情になった。 「いいえ、手妻が始まる前に、狼藉者が入って来て……」 「では、見て居らぬのか」 「はい」 「それは残念なことを致したな」  神林家の庭に、蜩《ひぐらし》が鳴きはじめた。      三  両国広小路の見世物小屋に出刃庖丁を持った男が侵入した事件は瓦版になった。  もっとも、版元は町役人から肝腎の二少年は、どうも奉行所の役人とかかわり合いのある者らしいと耳打ちされて、下手に書いておとがめでも受けると厄介だと、その部分は大きく手抜きをした。  そのかわり主役になったのは千糸大夫で、刃物をふりかざす凶漢に、ひるむところなく千筋の糸を投げかけ、投げかけ、遂に男は蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされた昆虫同然、あっけなく、かけつけた役人の縄にかかったと派手な絵入りで紹介された。  俄然、千糸大夫の人気は倍増し、客は連日、小屋のまわりに長蛇の列を作った。  哀れをとどめたのは長助とお吉で、そもそも、両国広小路の見世物の噂なんぞを「かわせみ」へ持ち込み、早速、その尻馬に乗って大さわぎをした結果、麻太郎と源太郎が出かけて行ったのだと、誰かが長助とお吉を責めたわけでもないのに、二人共、自ら省みて大いに恥入り、以来、両国広小路は二人にとって鬼門のようになっている。  そんな二人を、東吾は気の毒だと思っていたが、 「長助親分はともかく、お吉にはよい薬ですよ、いい年をしてお先っ走りのおっちょこちょいなんですから……」  当分、放っておいて下さいとるいにいわれて、なんとなくそのままになっている。  その日、東吾は公務で品川まで出かけ、翌朝早めにむこうを発って来た。  初秋になっても暑さが衰えなかったのが、流石《さすが》にこのところ、朝夕は涼しさが戻って来た。  それでも汐留橋を渡って掘割沿いに南八丁堀が近づくあたりまで来ると、日ざしはかなり強くなって、商家の続く通りでは小僧がしきりに往来へ水撒きをしている。  弾正橋のところまで来て、東吾は橋の袂に六、七歳の女の子を伴った田舎風の女がこっちをみているのに気がついた。  縞の着物に地味な帯を締め、丸髷に結った髪に陽よけの手拭をかぶっていたのを、東吾の姿を見て、その手拭をするりとはずした手つきが、風体に不似合いなほど粋であった。 「あんた、お秋じゃないのか」  東吾の言葉に、女の顔が輝いた。 「若先生、憶えていて下さったんですか」 「姿《なり》が変っているんで見違えたよ。菊花亭秋月のお秋だろう」 「お久しぶりでございます。こんな所で若先生にお目にかかれるなんて……」 「八丁堀を訪ねて来たのか」 「娘に、母親が子供の頃、育った場所をみせてやりたくて、ぐるりと一廻りして来たところなんです」  少女の頃、八丁堀の組屋敷の中にある医者の家で暮したことのある女であった。  東吾が知り合ったのは、彼女が女浄瑠璃講釈師、菊花亭秋月と名乗って両国広小路の高座に出ていた時である。 「あんた、芸人はやめたのか」 「ええ、若先生に助けて頂いたあと、師匠の一座に入って上方へ行きましてね。それから間なしに足を洗いました」  芸人だった頃の気の強さが消えて、穏やかな中年の女房になっている。 「よかったら、俺の家へ来ないか。そこの大川端町のかわせみっていうちっぽけな宿屋なんだが……」  お秋が目を伏せた。 「ありがとうございます。ですが、我儘《わがまま》をいわせて頂きますと、どこか、お宅ではない所で、ほんの少しだけ、話をさせて頂けませんか」 「そうだな」  うなずいて、東吾は母子を水谷町の鰻屋へ連れて行った。  午《ひる》には少し早いが、店は開いていて顔馴染の主人が小座敷へ招じ入れてくれる。 「鰻は好きか」  お秋の娘に訊いてみると、はっきりした声で、 「大好きです」  悪びれない返事が戻って来た。 「そりゃあいい。ついでに卵焼とか、子供の好きそうなものをみつくろってくれ」  酒はいらない、と板場へ念を押しておいて、お秋母子と向い合った。 「勝手をいってすみません」  あやまりながら、お秋は嬉しそうであった。 「若先生とは鰻屋に御縁があるんですね」  最初に、お秋の頼みをきいてやったのが、横山町の鰻屋だったと東吾も思い出していた。  高橋良典という女癖の悪い医者に、相棒の三味線弾きの娘が手ごめにされ、みごもったあげく、堕胎にしくじって危く死にかけた。 「おていとかいったな。あの三味線弾きは達者か」 「おかげさまで、今も上方の高座に出ているそうです」 「婆さんになったろうな」 「あたしも婆さんになりました」 「俺より、たしか二つ上だったっけな」 「いやですよ、数えないで下さい」  あれから十年、と顔の前で手を振った。 「随分、いろいろなことがありましたけど、過ぎてしまえば、あっという間……」  卵焼が運ばれて来て、東吾はお秋母子に勧めた。 「かまわず食べなさい。俺は甘いのは苦手でね」  お秋が礼をいって、娘の前へ皿を近づけてやった。娘は素直に箸を取る。 「この子、お伊乃っていうんです。父親の名が伊太郎というものですから、父親の父親、あたしには舅に当る人がつけてくれました」  川越の雑穀問屋で武蔵屋という店の主人がお秋の夫だという。 「上方の大店へ修業に来ていて、むこうで知り合ったんです」  武蔵屋では代々、当主になる男は大坂の万石屋という店へ奉公して商売のいろはを学ぶことになっているのだと、お秋は話した。 「万石屋っていうのが、お主筋に当るんだとか。うちの人も十五で大坂へ来て十年間、働きました」 「菊花亭秋月を見初めたんだな」 「最初はそうでしたけど、万石屋の大番頭さんが心配して、あたしに会って下さいまして、幸い、気に入られたかして、本気で苦労する決心があるのなら、芸人をやめろ、万石屋に女中奉公出来るよう、旦那様にお願い申してやるといわれましてね」  そのかわり奉公している中《うち》は伊太郎と口もきいてはいけない、他人のままで辛抱するようにと命じられた。 「あたし達、丸一年いいつけを守りました」  伊太郎が十年の奉公を終え、川越へ帰る時、つれられて武蔵屋へ行った。 「すんなり行ったわけじゃありませんでしたけど二年目に姑《しゆうとめ》さんが舅さんを取りなしてくれて祝言をあげ、翌年、この子が生まれました。あとは信じられないほど順調で……」  さりげなく話しているお秋の目のすみに涙がたまっているのを見て、東吾はお秋の苦労が想像出来た。 「あんただから出来たんだな。あんたはいつも死にもの狂い、一生懸命の女だったから……」  鰻が運ばれて来て、お秋はそっと袖口で涙を拭いた。 「実をいうと、万石屋の大番頭さんは、あたしの師匠の乾坤坊玄斎《けんこんぼうげんさい》を贔屓にしていて下さって、その筋から道がついたんですけどね。玄斎師匠からいわれたんです。人間死ぬ気になれば辛抱出来ないことはない、江戸でお前を助けて下すった若先生や麻生宗太郎先生、お役人の畝源三郎旦那のお顔を潰さないよう、しっかりやれと……」  東吾が渡してやった山椒の粉を鰻にふりかけながら、また、涙声になった。 「あんたが、川越の大店のお内儀《かみ》さんになっていると知ったら、源さんも宗太郎も大喜びするだろう。俺も満足だ」 「本当に、そう思って下さいますか」 「思うとも……但し、菊花亭秋月ほどのいい女に、それほど苦労をさせて女房にした、あんたの御亭主が、いささか面白くないがね」 「また、そんな嬉しがらせを……」  恥かしそうに鰻飯を食べはじめた。 「ところで、江戸へ出て来たのは、なんでなんだ」  東吾も箸を取り上げながら訊いた。 「すみません、肝腎のことがあとになっちまって……」  玄斎師匠の一周忌の法事が、谷中《やなか》の寺で催されるのだといった。 「玄斎は歿《なくな》ったのか」 「昨年から仕事をやめて。弟さんが谷中の寺の住職さんなんです。そりゃいい人で、みよりたよりのない芸人の子をひき取って面倒をみてくれたり、親なし子に里親を探してくれたりしているんですけど、そのお寺へ身を寄せて子供達の遊び相手なんかをしてなさるってお文を頂いてましたんですが、一年前の今日、眠っている中に大往生を遂げたそうです」  その時は知らせをもらった折に、姑が患っていて、どうにも江戸へ出られなかった。 「お姑さんが一周忌には必ずお詣りに行ってくるようにといってくれたので……」  娘と十年ぶりに江戸の土をふんだという。 「昨日からお寺さんに厄介になっているんです」 「そういうことなら、俺も線香を上げさせてもらいに行くよ。満更、知らない仲じゃない」 「もったいない……。でも、師匠がどんなに喜びますことか」  鰻を食べ、東吾は谷中の寺の名を教えてもらってお秋母子と別れた。      四  麻生宗太郎と畝源三郎に声をかけてみようかと、東吾は各々の屋敷へ寄ってみたが、あいにく二人とも他出していて、帰りの時刻はわからない。  谷中の蓮長寺での法要は暮六ツからと聞いていたので、東吾はそれに間に合うように大川端を出た。  夕風はすっかり秋めいて、大川の岸辺には尾花が穂を出している。  蓮長寺は小さな寺だったが、境内は広く樹木がほどよく茂っていて池もある。子供が遊ぶには究竟《くつきよう》で、実際、東吾が行った時も、そこここで大きな子供が小さな子供を遊ばせていた。  方丈には、すでに十人ばかり、如何にも芸人といった顔ぶれが集っていて法要の仕度を手伝っていたが、その中から一人の老女がすっと出て来て東吾の前に手を突いた。 「不躾ながら、貴方様が神林先生でいらっしゃいますか。先程、お秋さんよりお名前をうかがいまして、間もなくお見えになるとか。私は両国広小路の高座に出て居ります千糸大夫と申します」  あっけにとられて、東吾はまじまじと相手をみつめた。  噂に聞いている手妻師千糸大夫と目の前の老女が結びつかない。  奥からお秋が出て来た。 「若先生、本当に来て下さいましたんですね。千糸お師匠さんが是非、お礼を申し上げたいとお待ちかねだったんですよ」  老女が更に一膝前へ出た。 「先頃は危い所をお助けをたまわり、まことに有難う存じました。町役人様より、決してお名前は出してはならぬ、お屋敷へお礼を申し上げに参るなど、もっての外ときびしく申し渡されまして、それでも、なんとか一言お礼をと……」  当惑して東吾は口ごもった。 「いや、それは俺ではない」 「承知して居ります。私をお助け下さいましたお一方は貴方様の甥御様、もう一方は貴方様の御友人の御子息様、お二方とも貴方様に剣術をお習いになっていらっしゃるそうで、お名前は口に出せずとも、小屋の者はみな承知して居ります。一言、御礼を申し上げたく……」  坊さんが本堂のほうへお越し下さいと呼びに来て、東吾はなんとか老女の前から逃げ出し、神妙に仏前へ参進した。  法要が終って、 「若先生、せめて一口召し上って行って下さいまし」  というお秋の勧めをふり切るわけにも行かず、膳の前へ落着くと、先刻の老女が若い男に助けられて手水《ちようず》に行くらしいのが見えた。  で、徳利を持って近づいたお秋に、 「野暮なことを訊くようだが、千糸大夫というのは、いくつなんだ」  小声で聞いた。お秋が黙って東吾の掌に自分の指で還暦と書いた。 「なんだと……」  それにしては若かった。髪は染めているのかも知れないが、肌の色はまだ艶やかさを残している。 「お師匠さんはお若い筈ですよ。いつも、お若い恋人がついているんですもの」  東吾の耳に、お秋がささやいた。その視線が千糸大夫の介添《かいぞえ》をしている若い男へ注がれている。 「あちら、勘吉さんといって、高座では千糸師匠の後見、家へ帰ると旦那様……」 「嘘だろう」 「仲間内は、みんな知っています。千糸師匠も隠しゃしませんもの」  再び、絶句し、東吾は悪酔いしそうな気がして慌てて大盛りになっている握り飯へ手をのばした。  翌日、「かわせみ」へ畝源三郎が来た。 「実は長助の所へ、東吾さんも御存じの菊花亭秋月、つまりお秋が取り次いで来たのですがね、千糸大夫が麻太郎君と源太郎に自分の芸をみてもらいたいといっているそうです」  一般の客が帰った後に内々で「滝の白糸」の芸だけを披露するというもので、 「橋筋の者も承知しているのです」  両国橋の東岸、西岸の盛り場を仕切っているのは、昔から橋のたもとの水べりにたむろする船頭や水夫、人足、船主などで、いつの間にか、その連中による仲間組織が出来上っていた。  見世物小屋を定めの時間外に開けるなどというのは、彼らの許しなくしては出来ない。 「むしろ、千糸大夫の申し出を、彼らが後押しをしている按配でして……」  それだけ、麻太郎と源太郎の人気が高いということらしい。 「内々で神林様に申し上げたところ、この際、蓮長寺のような寺が育てている不幸な子供達も招いてやることにしては如何かと仰せられました」 「なんだと……」 「無論、東吾さんも世話人の一人ということになります」 「驚いたな」  半ば、冗談として聞いていた東吾だったが、畝源三郎や長助が走り廻って、結局、月の終りの夕刻から半刻ばかり、千糸大夫の「滝の白糸」の手妻をごく内々で見せることになった。  当日は麻太郎と源太郎も、長助達と一緒になって、諸方から連れて来られた子供達の世話をするやら、町の世話役などが金を出し合って用意した弁当や菓子をくばるなど大活躍をした。勿論、東吾も小屋の内外の警護という名目で駆り出され、「かわせみ」からは千春がお吉を供にしてやって来た。  定めの時刻が来て合図の太鼓が鳴らされ、下座の三味線と共に幕が開いた。  娘高島田に大振袖、裃を着用して現われた千糸大夫を客席から眺めて、東吾は内心で舌を巻いた。  どうみても三十なかばであった。  それほどの厚化粧とも思えないのに、花のような美貌がなんともあでやかで、艶のある声が冴え渡っている。 「東西《とざい》、東西《とうざい》、まず最初にお目にかけますのは、お子様衆が手習にお使いなさる半紙、ただの白紙にござります。斜めに折って、御神前に供えまする御神酒徳利《おみきどつくり》、傾けますれば、あら不思議、とろりとろりと御神酒が流れ落ちまする」  後見の渡す朱塗の大盃に、白い折紙の間から水か酒か、みるみる大盃を一杯にしたかと思うと、千糸大夫の左手の白扇がひらめいて白い折紙は一瞬の中《うち》に千筋の白糸と化して大盃からあふれ出る。  子供達は息を飲んでみつめていた。  千糸大夫の白扇がひるがえる度に幾筋もの白い糸はまさに滝になり渦になって高座に広がり、やがて千糸大夫はその中からさまざまの品物を取り出しはじめた。  絵日傘、人形、種々の形の独楽《こま》、竹馬に凧に、羽子板に羽根。  それらは後見によって客席の子供達の手に渡されて行く。  最後に千糸大夫が滝の中から取り出したのは二匹の蝶であった。  白い紙の蝶は、どういうからくりがあるのか、白扇の動きと共に自由自在に高座を舞い遊び、千糸大夫の体もまるで蝶の化身のように軽やかに踊っている。  二匹の蝶はやがて四匹になり、八匹になり、高座は無数の蝶の乱舞に変った。  麻太郎も源太郎も、幼い子供に戻ったように、無心に蝶の行方を目で追っている。  それは、後方にいる大人達も同様であった。  誰も言葉を発することなく、千糸大夫の手妻が創り出す夢幻の世界に恍惚となっている。  圧巻だったのは、再び千糸大夫の両手から白い糸が次々と繰り出され、高座の天井から滝のような白糸が落下し、その中から生きた鯉がとび跳ねながら滝を上って行くもので、 「これよりは滝の白糸、出世の滝上りにござりまする。御意にかないますれば、これにてお暇《いとま》申し上げます」  という口上と共に、白糸の滝の中に千糸大夫自らの姿がかき消すように見えなくなるという幕切れには、しばし喝采が鳴りやまなかった。  子供達が各々の世話人につれられて帰り、源太郎や麻太郎も長助を供に家路についてから、東吾は後見の男に案内されて楽屋へ行った。  あらかじめ、千糸大夫から是非そうしてもらいたい、とことづけがあっての上である。  下座の芸人達はみな帰って、楽屋の化粧前には千糸大夫が一人、縞の着物に博多帯といった恰好で東吾を迎えた。 「今日はまことに面白かった。滝の白糸の芸というもの、はじめて見たような気がするよ」  丁重に礼を述べた東吾に、にっこり笑った千糸大夫の顔は、すでに白粉《おしろい》を落し、素顔の老女に戻っていた。 「そうおっしゃって頂けて、嬉しゅうございます。これで冥土の土産が出来ました」 「芸人に年齢はないとつくづく思い知ったよ。それにしても、あんたはたいした人だ」  楽屋見舞に提げて来た大徳利を渡すと、千糸大夫は自分で湯呑を二つ持って来た。 「こんなもので、御無礼ですが、おもたせで一杯、おつき合い下さいまし」  徳利の酒を湯呑に注ぎ、東吾が一つを手に取るのをみて、会釈をし、いい呼吸で飲み干した。 「おいしい。こんなおいしいお酒は何年ぶりでございますかねえ」  二杯目は東吾に注いでもらって、今度はゆっくり味わうように飲んでいる。 「お秋ちゃんから随分、若先生のことは聞かされていたんですが、あたしはなんでも話半分にしか聞かないから……でも、お目にかかって、お秋ちゃんはよい御方に廻り合ったものだと羨しゅうございました」  東吾が笑った。 「それをいうなら、伊太郎って奴のことだ。あれだけの芸をもっていたお秋がすっぱり芸人の足を洗って嫁に行った。受け止める男も並じゃあるまいよ」 「お秋ちゃんは幸せ者ですよ。大変な苦労をしたようですが、苦労がみのってようございました。女の幸せはよい御亭主を持って、かわいい子供に恵まれるのが一番かと、お秋ちゃんをみてつくづく思いましたよ」 「あんたのような芸を持って、客席のみんなをどよめかせ、生涯、忘れられない思い出を作ってやれる立派な芸人が、そんなことをいうのは可笑しいんじゃないか」 「人の生き方は人それぞれでござんすし、後悔したところで、やり直しは出来ない。あたしはあたしだと覚悟は出来ていますけど、時には秋の風が身にしみる夜もあるもんですよ。それはそれで悪かありませんがねえ」  白扇を取り出して、僅かに開き、そこから蝶を取り出した。  千糸大夫の指の先で、一匹の蝶が二つになる。一つを東吾へ差し出した。 「思い出にさし上げます。客席にお出でだった、かわいいお嬢さんにお土産に……」  外は星空であった。  夜更けまで賑う広小路も、この時刻は流石に人通りが少くなっている。  両国橋の袂に、源三郎が待っていた。  猪牙《ちよき》の用意があるという。  白い、小さな紙の蝶を懐に、東吾は友人の後から舟着場の石段を下りて行った。 [#改ページ]   文三《ぶんぞう》の恋人《こいびと》      一  江戸に大風が吹いて、家々の屋根瓦が吹きとばされ、千代田城の吹上《ふきあげ》の松が三本も倒れるなどの被害が出た翌日、東吾が八丁堀の神林家へ行ってみると、すでに職人が入っていて庭の手入れをはじめていた。  兄の通之進は奉行所へ出仕して居り、麻太郎は畝源太郎と一緒に金春《こんぱる》屋敷の近くに住む高山仙蔵の所へ大風見舞に出かけた後であった。  高山仙蔵というのは、かつて勘定奉行をつとめていた水野筑後守|忠徳《ただのり》に奉公していた男で外国の通貨の知識にかけては当代一といわれる実力者だが、相当の変り者で、水野忠徳が田安家の家老を命じられた時、 「もはや、手前の出る幕はございませんので……」  と、さっさと辞任してまだ還暦には間のある年齢というのに隠居暮しをしている。  長崎生まれの長崎育ちということもあって、舶来の文物に精通して居り、語学も達者で今も時折、ふらりと横浜まで出かけては外国船を訪ねたり、外国の書物などを入手して来る。  以前、メキシコ銀貨にかかわる事件の際に通之進から指示されて、東吾が麻太郎と源太郎を伴って、洋銀に関する教えを受けに行ったことから、二人の少年はどうやら偏屈な老人に気に入られたらしい。 「好きな時に遊びに来い」  といわれ、以来、師礼を取っている。 「かわせみは如何でした。東吾様のお気に入りの梅の木など、無事でしたか」  女中に指図をしていた香苗が、庭の東吾に気づいて縁側へ出て来た。 「梅はなんということもなかったのですが、藤棚が少しばかりやられました。まあ他は屋根に穴があくこともなく、やれやれという所です」 「うちは袖垣が倒れてしまって、旦那様ががっかりなさったのですけれど、すぐ彦右衛門が来てくれましたので……」  香苗の視線の向けられた所に、白髪頭をした男が職人に何かいっている。  千駄木村に住む庭師で、紀州家の庭園を手がけたこともある腕を持っているにしては、腰が低く、仕事熱心で、決して弟子まかせにしない。  神林家には古くからのお出入りで、無論、東吾も顔は知っていた。 「とうとう倒れましたか。あの袖垣は相当に古いですからね」  その袖垣は武士の家には少々、珍しい鶯垣と呼ばれるものであった。  黒文字《くろもじ》の木を使った柴垣のことで、枝の中に鶯が巣でも作りそうだというので、この名がついたという。  本来は茶室などに使われるものだが、どこで見たのか通之進が彦右衛門に頼んで作らせたもので、黒文字は楠科の木で樹皮に芳香がある。子供の頃、東吾はそれが面白くて垣の枝を折って友達に嗅がせ、彦右衛門に大目玉をくらった思い出がある。 「とうとう、やられたな」  はずしてある袖垣に東吾が近づくと、彦右衛門がふりむいて目を細くした。 「あの大風ではたまりますまい」  傷ついた我が子をいたわるように結んである紐をはずしている。それを見物しようとして、東吾は彦右衛門の脇で、はずされた黒文字の木を一本一本広げている若い男の顔を見た。 「なんだ。文三じゃないか」  若い男がばね仕掛けの人形のようにとび上った。 「その節は御厄介をおかけ申しました」  丁寧にお辞儀をして、すぐまた自分の仕事を続ける。  彦右衛門が何かいうかと思ったが、そ知らぬ顔でこちらも黙々と作業を続けている。  仕事の邪魔だといわれているような気がして、東吾は早々にその場を去った。  縁側から居間に上って、東吾のために茶をいれている香苗に訊いた。 「彦右衛門が今日、連れて来た若い奴は新入りですか」  湯呑を東吾の前へおきながら、香苗がおっとりと反問した。 「文三と申す者のことですか」 「やはり、あいつは文三ですね」 「御存じでしたの」 「だいぶ前ですが、少々……」 「新入りといっても、彦右衛門が連れて来るくらいですから、昨日今日の弟子ではありませんでしょう。彦右衛門は随分、きびしく教えているようですよ」  彦右衛門という庭師は弟子をとって三、四年は外の仕事に伴って行かないし、彼がきびしく叱りつけるようになったら、その弟子はかなり仕事が出来るのだということは、東吾も聞いていた。 「あいつ、二年前は水売りをしていたんですがね」  兄嫁が不思議そうな顔をしたので、東吾は慌てて茶を飲み、早々に兄の屋敷を出た。  その足で向ったのは深川であった。  永代寺門前も、大風の後始末で人々が総出で走り廻っている。  このあたりの商店も布看板が吹きとんだり、葭簀《よしず》が倒れたりで、往来はまだ惨憺たる有様であった。  富岡八幡の前で小文吾に会った。  江戸で指折りの侠客といわれる文吾兵衛の悴である。  若い衆と一緒になって、諸方から吹き寄せられた塵《ごみ》を掃除している。 「ちょうどよかった。今、お前の所へ行くつもりでね」  若先生、とかけよって来たのにいうと、小文吾が困った顔をした。 「親父はお出入り先の屋敷へ見舞に歩いていますが」  文吾兵衛の稼業は大名家が江戸出府、或いは帰国の際に必要とする人足の手配をすることであった。小文吾がお出入り先といったのは、それらの大名家のことである。 「なに、元締でなくていいんだ。小文吾は文三が庭師の弟子になっているのを知っていたか」 「へい」  と大きく頭を下げた。 「千駄木の彦右衛門さんに弟子入りをお願い申したのは、うちの親父でございます」 「そうだったのか」 「実は、若先生のお力で文三が兄さんと廻《めぐ》り会うことが出来ました年の暮に、文三が面倒をみていたお島が歿《なくな》りまして……」  文三というのは十四の年齢《とし》に出羽国|上《かみ》の山から、殿様の行列のお供に加えてもらい、荷物持ちをしながら、たった一人の兄を探して江戸へ出て来て以来、文吾兵衛の世話で夏は水売り、冬は天麩羅の屋台を出して働いていた。 「若先生も御承知のように、あいつが盛り場で物売りをしていたのは、町を歩き廻って兄さんを探すのに都合がよいと思ったからですが、その兄さんは古河《こが》の米問屋田島屋さんへ奉公していて、お嬢さんと夫婦になり若旦那に出世していなすった」  そうだった、と東吾もうなずいた。  文三の兄の文次郎は故郷へ弟と祖父母を残して江戸へ働きに出た。途中、所用で宇都宮へ出かけた帰途、急に発病して苦しんでいた古河の田島屋の主人、庄兵衛を介抱したのが縁で、江戸ではなく古河へ行って田島屋へ奉公することになった。  だが、それを弟に知らせてやるのと入れちがいに、祖父母をたて続けに病で失った文三は、兄を尋ねて江戸へ出た。 「あいつら、全く運がよかったよ。この広い江戸をどう探したって、滅多に廻り会えるものじゃあねえ。おまけに文次郎は古河にいたんだ」 「親父もよく申します。文三の兄さんを探そうっていう一念と、文次郎の弟を思う気持に神さん仏さんが力をお貸し下さったんだと」  田島屋の若旦那となった文次郎が商用で江戸へ来て、義理の父の常宿だった「かわせみ」に泊ったのがきっかけで、首尾よく兄弟は出会えた。 「あの折、兄さんが文三に古河へ来いといったのを、文三がついて行かなかったことの一つに、お島婆さんが一人ぼっちになっちまうという優しい気持があったと思うんですが、その婆さんも歿って、もう、文三には物売りをして歩く必要がなくなりましたんで、うちの親父が文三といろいろ話をしまして、庭師の修業をすることになったんです」 「するってえと、弟子になって、まだ二年足らずだろう」 「へえ、ですが、あいつはなにしろ一生懸命な男なんで、忽ち他の弟子を追い越したって聞いてます」  小文吾が我がことのように嬉しそうな顔をして、東吾は笑った。 「それで様子がわかった、実は八丁堀の屋敷に文三が来ていてね、ちょっと話が聞きたかったんだが、彦右衛門の爺さんがおっかない顔をしてるんで、元締に聞きに来たのさ」  小文吾が頭を下げた。 「申しわけございません。文三が一人前になったら、若先生へ御挨拶に連れて行くからと親父にいわれて居りましたんで……」 「元締なら、そう考えるだろう。とにかく、よかった、安心したよ」  小文吾に見送られて、東吾は機嫌よく「かわせみ」へ帰った。      二  その日、るいが駒込、上富士前町まで出かけたのは「かわせみ」に庭木を入れている|かと甚《ヽヽヽ》という植木屋に不幸があった故である。  かと甚というのは、るいがまだ八丁堀の組屋敷に住んでいる頃からのつき合いで、親方の甚兵衛というのを、るいの亡父が殊の外、気に入っていて、さまざまな庭木を取り寄せ、その手入れ一切を甚兵衛にまかせていた。  その縁で、るいが「かわせみ」を開業する際の庭作りも甚兵衛が手がけ、毎年、少しずつだが好みの植木を増やして来た。  先だっての大風の後も、早速、甚兵衛が悴の松吉を伴ってやって来て、庭の手入れをしてくれたのだが、その折、甚兵衛の女房が今年の春から体を悪くして寝たり起きたりだとは聞いていた。  で、二、三日中にも見舞に行こうとお吉に相談している矢先、急にいけなくなったと知らされた。  もっとも、甚兵衛は女房の死をどこへも知らせず、内輪で野辺送りをする気だったのだが、たまたま、大風で傷んだ藤棚の手入れに来る約束の日に女房の急変が起って、やむなく近所の百姓に「かわせみ」へ使に行ってもらったので、その百姓の口から明らかになった。  知らせの来たのが、昨日、野辺送りの当日のことだったので、それから出かけて行っても間に合わないから、一日遅れの今日、嘉助が供についての駒込行きとなったものだ。 「それなら舟で行くといい。昌平橋で上って、そこから駕籠にすれば、いくらか楽だろう」  大川端町からずっと駕籠で出かけると、嘉助は断じて乗らないので、歩く距離がかなりのものになる。無論、嘉助はそのつもりでいるし、足にも自信があるのだが、るいにしてみればなるべく無理はさせたくない。  そんな女房の気持を知って、東吾が智恵をつけた。  豊海橋の袂から猪牙《ちよき》で、川風はすっかり秋、暑くも寒くもない遠出|日和《びより》で、嘉助は舷《ふなばた》に出て船頭と世間話をしている。  大川から神田川に入り、昌平橋の近くで陸へ上って、嘉助がるいのために町駕籠を頼んだ。  駒込界隈は寺が多かった。  吉祥寺のあたりからは急に樹木が多くなる。  千駄木の地名は、一日に千駄の薪を出したからとも、また、栴檀《せんだん》の大木があったので、せんだんがなまってせんだぎとなったともいわれているが、駒込も似たようなもので、道の両側に少々の町屋があるものの、そのむこうは一面の林で通行人もまばらであった。  朝早くに出たこともあって甚兵衛の家へ着いたのが巳の刻(午前十時)を廻った時分で、 「こりゃあ、遠い所を……」  びっくり仰天して出迎えた甚兵衛父子に挨拶をし、仏壇に供え物をして焼香した。 「殆ど眠ったきりで安らかに逝きましたんで、坊さんから極楽往生疑いなしとの折り紙を頂きました」  という甚兵衛は流石《さすが》に憔悴していたが、松吉の嫁のお加代というのが、まめまめしく世話を焼いて、なにがなし幸せそうであった。  そのお加代には来春早々、子が生まれるとのことで、 「まあ、婆さんにも一目、孫の顔をみせてやりたかったとは思いますが……」  人の欲には限りがないと笑っている。  蕎麦でも打ちますのでという甚兵衛父子の勧めを断って、るいは長居をしないで暇《いとま》を告げた。  駕籠は上富士前町へ入ったところに待たせて来たので、みっしりと葉の茂っている木立の中を抜けて歩いて行くと、林のはずれに小さな寺があった。  御堂の広縁に小さな子供が集っていて尼さんが習字を教えている。 「尼寺というのは珍しゅうございますね」  嘉助がいい、るいも興味を持って境内に入り、本堂へ合掌した。  この寺もこの前の大風で垣根がこわれたかして、井戸のむこうで男が四つ目垣を組んでいる。若い女がお盆に土瓶と茶碗をのせて、男のほうへ運んで行き、男が立ち上って礼をいった。  それで嘉助が気づいた。 「ありゃあ、文三さんじゃあ……」  その声が聞えたとみえて、男と女がふりむいた。  男は文三であった。  るいと嘉助をみると急いで近づいて丁寧に挨拶をした。 「お久しぶりでございます。御恩を受けながら、あれっきり顔出しも致しませんで……」  相変らず痩せぎすに見える体つきだが、二年前からみると筋骨は一段と逞しくなっている。  るいが笑顔で相手をみつめた。 「うちの人から聞いていますよ。庭師の修業をなさっているとか」 「若先生には神林様のところでお目にかかりました。ろくな御挨拶もせず……」 「彦右衛門さんは仕事中に話しかけられるのが大嫌いなのに、俺としたことがうっかりして、文三にかわいそうなことをしてしまったと申していましたよ」  若い女がるいと嘉助にお辞儀をして本堂のほうへ戻って行った。 「ここのお寺さんの人かね」  と嘉助が訊いたのは、娘が髪を結い、粗末な木綿物ながら女物の着物に赤い帯を結んでいたからで、尼姿ばかりの寺の中では変ってみえた故である。 「お幸《ゆき》さんというんです。子供の時からこの寺で育ったとかで、いずれは尼さんになるそうですが、この寺の尼さんは年寄が多いので、下働きなんかをしているようです」  文三の視線を感じたのか、お幸という娘はちょっとふりむき、慌てたように庫裏《くり》へかけ込んで行った。 「ここの寺は近いので、師匠が何かと気を遣っています」  お幸へ向けられていたるいや嘉助の視線を逸らすように、文三がいい出した。 「その四つ目垣も師匠の仕事なんです」  四つ目垣はよく見ると大風で吹き倒されたのではなかった。隣家の大木が折れて、垣根の一部を押し潰したもので、大木はすでにどけられていたが、垣根の損傷はすさまじいものである。 「彦右衛門さんが、お前さんに修理をしろといいなすったのかい」  嘉助の問いに、文三は嬉しそうにうなずいた。 「師匠は自分で来る気だったんですが、なにしろ、大風の後は忙しくて……いつまでも垣根に穴があいてるんじゃ具合が悪かろうと……」 「彦右衛門さんの仕事がよくわかるだろう」 「そうなんです。あれだけの大風で倒れなかったんですから……」  垣根を眺める目に畏敬の念が溢れていた。 「いい修業をさせてもらっているんだね」  嘉助の言葉に大きくうなずいた。  文三と別れ、その先で待っていた駕籠に乗って、往きと同じ方法で「かわせみ」へ戻って来たのは八ツ(午後二時)に近く、 「番頭さんは、さぞかしお腹《なか》がすいたと思うから、すぐ御膳にしてあげて……」  とお吉に命じたが、るい自身は舟の中で田舎饅頭などをつまんで来たので、それほどでもない。 「途中でお蕎麦でもと思ったんだけど、番頭さんが家へ帰ってからにしましょうっていうものだから……」  るいの膳を運んで来たお吉にいうと、 「番頭さんは、御新造様とさしむかいじゃ、ものが咽喉《のど》を通らないんですよ」  お吉はくすくす笑っている。  箸を取り上げて、るいはそこに座っているお吉に尼寺で文三と会った話をした。 「あんな所に尼寺があるんですか」  例によってお吉は熱心な聞き手で、 「門のところの石碑に從容《しようよう》軒と刻《ほ》ってあったと思うけれど……」  と答えたるいに、 「なんだか、お寺らしくない名前ですね」  といいながら、 「尼さんばかりじゃ、文三さんも張り合いがありませんよね」  商家できれいな娘さんでもいれば、とすぐそっちへ気が廻る。で、るいが、 「尼さんはお年寄ばかりでしたけど、娘さんが文三さんにお茶を持って来ましたよ」  と悪戯《いたずら》っぽくいってやると俄然、目を光らせた。 「尼さんじゃないんですか」 「ええ、ごく普通の娘さん」 「なんで尼寺に普通の娘がいるんですか」 「お寺で育った人らしいけど」 「器量よしですか」 「ええ、とても可愛らしい人……でも、いずれは尼さんになるそうですよ」 「それじゃ、仕様がありませんね」  台所から女中が呼びに来て、お吉が立って行ってから、るいは箸を止めて考えた。  男と女がいれば、早速、気を廻すお吉を笑えないと思ったのは、尼寺を出てから、ずっとお幸のことが気になっていたからである。  なんといったらよいのか、あの娘と文三の間に独得の雰囲気があった。  文三はお幸のことを嘉助に訊かれた時、意識的にそっけない言い方をし、伏し目がちであったし、娘は恥かしげに見えた。  自分の気の廻し過ぎかと、るいは苦笑した。  尼寺で育ったというからには、お幸には尼になる宿命があるのだろうし、文三は庭師の修業を始めたばかりである。  簾戸《すど》を障子に替えたばかりの居間は、ほの暗く、庭の池で鯉のはねる音がした。      三  軍艦操練所の帰りに東吾が本所の麻生家へ寄ったのは千春の迎えのためであった。  千春はこのところ、麻生家の花世《はなよ》と小太郎《こたろう》と共に姉弟の祖父、源右衛門から仕舞を習いはじめている。 「義父上《ちちうえ》はよい楽しみをみつけられましたよ。子供達は稽古の後、わいわいさわぐのが目的のようですがね」  と宗太郎が笑うように、子供達は仕舞が終ると源右衛門と一緒になってかくれんぼだの五目並べだの、ひとしきり夢中になって遊んでいる。  とりわけ、人気のあるのが投扇興《とうせんきよう》で、台の上に塗りの箱をおき、その上に羽根のような形に鈴をつけた的《まと》をおいて、はなれた所から扇を投げて、的に当てる遊戯で、的の落ち方や扇の決り方で「刈穂《かりほ》の庵」とか「秋の野」などと名前のついた役があり、各々、何点と得点出来、勝負がきまる。  源右衛門の教え方が上手《うま》いのか、子供達は僅かの間に腕を上げ、そうなると時の経つのも忘れて興じているらしい。  今日も、東吾が玄関を入ると、書院のほうから扇の飛ぶ音や、的の落ちた鈴の音、それに子供達の喚声が賑やかに聞えている。  東吾は案内しようとする用人を制し、勝手に廊下を奥へ歩いて宗太郎の仕事場のほうへ行った。  幸い、患者は居らず、宗太郎は庭のすみにある薬草畑でなにかしている。  縁側から沓脱《くつぬぎ》石の上にあった下駄を履いて庭へ下りて行こうとして、東吾はそこに袖垣があるのに気がついた。神林家にあるのと瓜二つの鶯垣である。 「なにを子細らしく見ているんですか」  畑から戻って来た宗太郎に訊かれて、東吾は垣を指した。 「ここに鶯垣なんぞあったかな」 「それは古いそうですよ。畑のむこうの建仁寺垣は最近、彦右衛門が造ったものですがね」 「この家にも彦右衛門が仕事に来ているのか」 「知らなかったのですか。東吾さんの屋敷の鶯垣を義父上が大層、気に入られて彦右衛門に来てもらって以来といいますからね」  それより、東吾さんが袖垣なんぞを気にするわけのほうが知りたいですね、といわれて、東吾は苦笑した。 「いや、俺の知り合いの男が、彦右衛門の弟子になったのでね」 「文三なら、そこの建仁寺垣を造る時、彦右衛門が連れて来ましたよ。僅かの歳月の中《うち》にめきめき腕を上げたと、世話をした文吾兵衛が我がことのように自慢しています」 「あいつは二年前まで水売りをして兄さんを探していたんだ」 「その話も文吾兵衛から聞きましたよ。兄さんは古河の米問屋へ聟《むこ》入りしているそうですね」 「いい兄弟なんだ。兄思い、弟思いの兄弟でね」 「東吾さん、身につまされているんでしょう」 「何をいってやがる」  仕事場へ戻ったところに、七重がちらしずしを運んで来た。 「子供達のおしのぎですの。千春ちゃんもむこうで召し上っていますから……」 「あいつ、食いものにつられて稽古に来ているんだな」 「父上が、子供達はみんな筋がよいと……」 「そりゃあ、祖父《じじ》馬鹿ちゃんりんだよ」 「東吾さんは今頃、鶯垣に気がついたのだよ」  宗太郎がばらした。 「突然、垣根がそこに出来たように驚いている」 「それは、彦右衛門の仕事ですけれど、今度の建仁寺垣は文三と二人で仕上げましたの。随分、きびしく叱ってばかりいるので、私達、はらはらしていましたけれど、出来上ってから彦右衛門が父に申していました。文三というのは性根のある仕事をする。庭作りはどのように狭い場所であっても、そこに天然自然の気配を感じさせなければいけないのだが、文三には独得の勘があると……」  東吾がちらしずしの皿を取り上げながらいった。 「あいつは出羽の上の山生まれなんだ。山や森は自分の家の庭だろうが。勘がよくって当り前さ」 「垣根を作るのも上手だそうですよ」  せっせとちらしずしを平らげていた宗太郎が女房の味方をした。 「庭師というのは大変な仕事ですね。垣根を造り、岩石を配置し、植木をして、庭全体の調和をはかる。更にいえば、そこに庭師の思いがこもっていなければならないのですからね」 「要するに植木屋の親玉だろうが……」 「彦右衛門がいっていたそうですよ。随分と弟子を育てて来たが、自分の造った庭を托せると思えたのは、文三が始めてだと……」 「そんなに弟子を持ち上げたのか」  七重がたしなめるように東吾を睨んだ。 「見所があるから、文三にきびしいんだと気がつきましたの。そりゃあ並大抵の叱り方じゃありませんもの」 「彦右衛門もぼつぼつ年齢《とし》ですからね、二人の娘は各々、商家へ嫁入りして跡を継ぐ者はいない。文三にとっても悪いことではありません」  夫婦が気を揃えて文三を贔屓にし、東吾は忌々しい顔をした。 「彦右衛門がそれほど入れ込んでいるなら、間違いなく文三は立派な庭師になるだろう。ぼつぼつ、女房の世話でもしてやるといい」  七重が残念そうにいった。 「それがいけませんの」 「好きな奴がいるのか」 「彦右衛門さんは弟子に三十までは所帯を持つなっていっているんですって」 「ほう」 「女が出来て破門された弟子もあったそうですよ」  宗太郎がいった時、廊下に足音がして千春の声がした。 「お父様、お待たせして申しわけありません」  東吾が親馬鹿丸出しの声で応じた。 「なに、いいんだ。お父様もちらしずしを頂いているからね」  宗太郎と七重が顔を見合せて笑い出し、東吾はてれかくしにちらしずしをかき込んだ。      四  一日一日と秋が深くなって、「かわせみ」では冬仕度が始まっていた。  客布団は布団屋にまかせているが、家族や奉公人の冬用の布団は、夏の中に綿の打ち直しがすんで戻って来ているので、女中達は洗い張りの出来ている布団地を縫って綿を入れ、仕立上げるのが夜なべ仕事になった。  るいはもっぱら千春の着るものの仕立直しで、育ち盛りだから着丈も裄《ゆき》もどんどん短くなって来る。  若い娘が思いつめた顔で「かわせみ」を訪ねて来たのは、午下《ひるさが》りであった。  東吾は軍艦操練所からまだ帰って来て居らず、千春は琴の稽古に出かけていて、るいは居間で針仕事の最中であった。 「どうしたものでございましょう。いつぞやの、駒込の尼寺の……お幸さんと申す娘が御新造様にお目にかかりたいと……」  ためらいがちに嘉助が取り次いで来て、るいは帳場へ出て行ったが、一目見ただけでこれは上りかまちですむ話ではないとわかった。 「散らかしていますけれど、こちらに……」  改めて居間へ通し、座布団を勧めたが、お幸はそれを辞退し、小さくなってうつむいている。 「尼寺から娘さんが来たんですって……」  大声でいいながらやって来たお吉を、目まぜして遠ざけ、るいは自分で茶をいれた。  お幸は身じろぎもせず、口もきかない。 「私に何かお話があるのでは……」  うながしてみたが、黙りこくっている。 「ここは、文三さんにお聞きになったのでしょう」  娘の前で、大川端の「かわせみ」と名乗ったわけではなかった。 「お寺のほうには、ちゃんと断って出て来られたのですか」  それにも相手は無言の行であった。  少し考えて、るいはやりかけの針仕事をひき寄せた。自分が何かしているほうが、話しやすいのかも知れないと思ったからだが、お幸は唇を噛みしめ、急に立ち上って帰る素振《そぶり》を示した。 「お待ちなさい」  るいが強い声を出した。 「あなたは何か話があってここへ来たのでしょう。話すことがあるのならお話しなさい。話す気がなくなったのなら、お帰りなさい」  中腰になった娘へ、そっといった。 「文三さんのことではありませんか」  お幸の肩ががっくり落ちた。 「あなた、文三さんが好きなのでしょう」  よろよろとすわり込んだ娘の横顔がぞっとするほど悲痛であった。 「あたしは、もうすぐ尼になるんです」  低く、重い声で娘が呟いた。外見に似合わない老けた声である。 「庵主《あんじゆ》さんは捨て子のわたしにお幸と名をつけました。お幸の幸は、幸せという意味だと……」  絶句したるいを激しい目で見た。 「尼さんになるのが幸せなんですか。庵主さんのように、観音様にすがって一生を終えるのが幸せだと……」 「文三さんと夫婦になりたいと、庵主さんにお話しなさったのですか」 「無駄です」 「どうして……」 「文三さんは三十まで所帯が持てません」  るいの表情を見て、つけ加えた。 「あたし、もう三十です。待てるわけがない」  言葉に詰って、るいはお幸を眺めた。  細い手足をした小柄な娘は、どうみても三十とは思えない。  文三はたしか二十二だとるいは心中で考えた。八年待ったら、お幸は三十八になる。 「文三さんはなんといっているのですか。あちらの気持は……」 「知りません。聞いたこともありません」 「でも、それでは話になりませんでしょう」  お幸が立ち上った。 「もういいのです。さようなら」  るいが追って帳場まで来た時は、もう表の道をまっしぐらに走っている。  豊海橋の袂まで追って行って話をしていた嘉助がやがて戻って来た。 「これから文三と会うんだそうでして……」  苦い顔でるいに告げた。 「人に話を聞いてもらおうてえのに、口のきき方も知らねえようで……」  帳場へ出て来ていたお吉もいった。 「いったい、うちの御新造様をなんだって思っているんですか、人馬鹿にして……」  ということは、嘉助もお吉も廊下で居間の話を聞いていたものだ。 「あんな女じゃ、文三さんと不釣合ですよ」  いったい、どこでどうして知り合ったのだろうと息巻いている。 「知り合って、そう長いことじゃねえと思うよ」  というのが嘉助の意見で、 「從容軒っていう尼寺と、彦右衛門さんの家はすぐ近くだ。あの時の文三さんの話じゃあ、あの尼寺の境内は彦右衛門さんが面倒をみていなさるってことだし、文三さんを仕事で連れて行ったりもしているだろう。おそらくそうした時に知り合ったんだろうよ」  実際、るいと嘉助が從容軒を訪れた際、垣根の修理に来ていた文三に茶を運んで来たのがお幸であった。 「女のほうが文三さんにのぼせ上ったんですよ、文三さんは優しいから……」  八つも年上なのに厚かましいとお吉はいったが、るいはなんとなく文三の気持に合点していた。  自分の母親以上の年齢の、お島という老女に親切にしていた文三であった。ひょっとして、文三の気持は孤独な者に対する哀れみで色恋ではないのかも知れない。  そんな思いつきを、軍艦操練所から帰って来た東吾に話すと、 「そいつはどうかな」  と笑った。 「文三の奴、案外、年上好みということもあるだろう」 「八つも年上ですよ」 「お島婆さんの時は、もっと年上だろう」 「お島って人と男と女の仲だったとおっしゃいますの」  るいが眉をひそめ、東吾は、 「冗談だよ」  と手を振って否定した。 「るいのいう通り、文三のほうは女房にしようと思ってお幸って女とつき合っていたわけじゃねえのかも……」  大体、母親に早く別れた男は年上の女にひっかかりやすいんだと東吾はいい出した。 「文三の奴、たしか両親が早くに歿って、じいさん、ばあさんに育てられたって聞いている。そういう奴はえてして……」  夕餉の膳を運んで来たお吉が慌てて東吾に目くばせしたが、時すでに遅く、 「まあ、そういうことでございましたの。うちの旦那様も早くお母様をおなくし遊ばしたので、年上の悪い女にひっかかっておしまいになって、さぞかし後悔なすっていらっしゃいますことでしょう」  涙声と共に睨みつけられて、東吾は座布団からとびのいた。      五  お幸はともかく、文三のほうは色恋のつき合いではあるまいというのが、その夜の「かわせみ」一同の出した結論であったが、るいはなんとなく気がかりで、翌日、宿帳改めにやって来た定廻りの畝源三郎にその話をした。 「まあ、これから一流の庭師になろうという男が尼さん見習の女と夫婦約束をするとは思いませんが、女が熱くなると、なにかと剣呑《けんのん》かも知れません。どっちみち、町廻りのついでがありますので、永代の文吾兵衛に話をしておきましょう。文三を彦右衛門へ頼んだのも文吾兵衛とのことですから、場合によっては当人の気持を聞いてもらって、女のほうの片想いなら、それなりに配慮のしかたもあると思います」  源三郎が請け合って帰った。  文吾兵衛が「かわせみ」へ来たのは夕方で、 「御心配をおかけして申しわけのないことでございます」  文三に会って話をして来たという。  文吾兵衛のまわりに集った「かわせみ」一同がびっくりしたのは、よもやと思った文三が、お幸を女房にしたいと考えていたことで、 「從容軒さんへ植木の手入れなどに出かけて知り合ったのが、今年の春と申しますから、まだ一年とは経っちゃあ居りません。当人が申しますには、捨て子で親の顔も知らないと聞いてかわいそうだと思ったのが最初だそうですが、仕事の合い間に少しずつ話をするようになって、だんだん気持が通い合うようになったと申します。どうも甘ったれた言い草ですが、お幸さんと一緒にいると、子供の頃、婆ちゃんに子守歌を歌ってもらった時のような安らかな気分になると……」  髭もじゃもじゃの顔に苦笑を浮べた。 「それじゃ、本気で夫婦になるつもりなんですか」  金切り声を上げたのはお吉で、 「文三さんは修業中の身で、三十にならないと所帯を持っちゃいけないと、彦右衛門さんからいわれているんですよ」  悴の恋に反対する母親のような口調でいった。 「その通りなんで……文三は、この秋のはじめに、彦右衛門さんにお幸のことを打ちあけたそうでございます。所帯を持つのは八年先ということにして、夫婦約束だけしてもよいかと……」 「そんな無茶苦茶な。四十近い女を女房にもらってどうするんですよ。お幸さんだって待っててくれやしませんて」  逆上するお吉を文吾兵衛が手を上げて制し、早口に続けた。 「彦右衛門さんは許さなかったそうでございます。今は女のことより、庭作りの修業をしろと……」 「それで文三はどう考えているんだ」  と東吾。 「しょんぼりはして居りました。彦右衛門さんも心配して様子をみているとのことでしたが、わざと從容軒の仕事をさせても、今までと同じように熱心にやって居るし、お幸という女と、外で会っている様子もないそうでございます」  文吾兵衛に問いつめられて、文三は、 「時が過ぎるのを待っているというようなことを申しました」  まわりの者に聞いても、女のことで思い悩み、仕事がおろそかになっているとは思えないと文吾兵衛はいった。 「文三は彦右衛門さんの家に、他の弟子達と暮して居りますが、朝は早く、夜出かけることもないようでして……」  気がかりが消えたわけではないが、それ以上は文吾兵衛にしても、どうしようもない。  文吾兵衛が帰って、東吾が呟いた。 「大丈夫だろう。あいつだって馬鹿じゃあないんだ」  大名家に出入りするほどの庭師に目をかけられて、きびしく仕込まれている。当人にしてみれば、つらいこともあるだろうが、往来で水売りなどをしている根なし草の暮しからみれば、しっかりとした未来のある道を歩き出しているのであった。  それに、要領よくやろうと思えば、師匠に内緒でお幸と忍び会うのも出来ないことではない。  ずるずるとつき合っていれば、女のほうはやがて将来を考えて別れる気になるかも知れない。  時が過ぎるのを待つといった文三の言葉には、そういった含みがあるとも推量出来た。 「文三って奴、けっこう醒めたところがあったじゃないか」  東吾の言葉にうなずきながら、るいはそれでも胸の奥に小さなしこりを抱えていた。  從容軒の境内で、茶を受け取りながら、なんでもなく話していた文三とお幸の間に、口ではいい表わせない心の結びつきのようなものがあったのが、どうにも気になって仕方がなかった。  そして、月の終り、文三とお幸がかけおちをしたという知らせが「かわせみ」へ舞い込んだ。 「彦右衛門さんはがっかりして仕事にも出なくなっちまっているし、尼寺じゃ庵主さんが恩知らずの女に裏切られたと泣いていなさいました」  小文吾が報告して帰り、東吾はぼんのくぼに手をやった。 「あいつ、みかけによらず無鉄砲だな」  だが、るいは口には出せなかったが、よかったと思っていた。お幸のような女が思いつめると心中になりかねない。生きてさえいれば、人はそれなりの幸せを掴むことが出来る。  あの二人がどんな形にせよ、幸せを手にしてくれるとよいと願いながら、るいはやりかけの針仕事を膝にのせた。 [#改ページ]   小判商人《こばんしようにん》      一  その日、るいが深川長寿庵へ出かけたのは、長助の母親のおますの病気見舞のためであった。  日頃は八十を過ぎているとは到底、思えないほど元気な人で、医者や薬の御厄介にならないのが自慢だったが、今年の春に井戸端でころんで腰を痛めてから急に体力が衰えて来た。  それでも気丈に、日常生活では人手を借りず、孫達の相手をして楽しげに振舞っていたのが数日前から食が進まなくなり、布団から起き上れなくなってしまった。  長助からそれを聞いた神林東吾が、早速、本所へ行って麻生宗太郎を長寿庵へ伴って来たのだが、おますは断固として診察を拒《こば》んだ。 「この年まで丈夫に生きて、なにを今更、先生のお手を煩わすことがございましょう。うちの人が折角、あの世から迎えに来てくれたというのに、無駄足にさせるのは気の毒でございます。おかげさまで悴夫婦も孫達も畝の旦那や若先生、宗太郎先生と御立派な方々のお引立てを頂きまして、蕎麦屋風情が思いもよらない果報な毎日を暮させて頂いて居ります。なんの心残りもございません。どうぞ、神仏の思《おぼ》し召し通りにさせて下さいまし」  しっかりした声でいわれて、流石《さすが》の宗太郎が絶句した。それでも、 「武士も及ばぬ御覚悟です。しかし、医者には医者の役目があります。本当に亡きおつれあいがあの世から迎えに来られたのか、神仏が、おますよ、長々、御苦労であった、もう安らかにあの世へ旅立ってよいぞとおっしゃっているのか否か、そのあたりをしかと確かめるのも医者のつとめです。そこのところがはっきりわたしにわかるまでは、わたしのいう通りにして下さい。それでないと、わたしがあの世のおますさんの御亭主から怨まれるし、神仏から罰を与えられますのでね」  と説得すると、 「まあまあ、宗太郎先生は相変らずお口がお上手で……」  と笑い出し、あとは素直になった。  宗太郎は浴衣の上からおますの腹部を押して、少々の問診をし、おますが、 「わかりましたか」  と笑いながら訊ねたのに、 「どうも御亭主はここへ来る途中で、神仏と相談をしている最中のようですよ。まあ、むこうへ行くにせよ、先にのばすにせよ、おますさんがあまり苦しがったり、痛がったりすると、御亭主も心配するし、道中が難儀ですから、そういうことのないような薬を調合してあげましょう」  そっと布団を掛け直して部屋を出た。  不安そうに廊下で待っていた長助夫婦に、 「聞いた通りだから、あとで薬を取りに来てくれないか」  とだけいって外へ出た。  店で待っていた東吾が黙ってその後に続くと、 「実にたいしたおっ母さんですね」  感に堪えないといった口調で呟いた。 「人間誰しも命は惜しいものです。いつ死んでもよいと覚悟を決めている者でも、その時が来るとこの世に未練が湧いて来る。それが人間の人間たる所以《ゆえん》だと思いますが、おますさんはそこのところをさばさばと乗り越えた感じです」  東吾が沈痛に応じた。 「長助の女房が泣いていたよ。おっ母さんは腰を痛めてから、間もなく自分が寝たきりになると承知していて、不自由な体で家の者に厄介をかけたくないから、死に急ぎをしているのだと……」 「成程」 「おえいはいっている。たとい、寝たきりになろうとも、なんとか長生きしてもらいたい。せめて、一番、可愛がっている曾孫《ひまご》の長吉が嫁を取るまで……」 「それは無理ですよ」 「どこが悪いんだ」 「胃の腑がやられています」 「治らないのか」 「残念ですが……」 「本所の名医の腕をもってしてもか」 「そういわれるのが、つらいですがね。今のところ、この国の医者、いや、西洋の医者でも難しいと思います」 「おますは、つい、こないだまで普通に暮していたんだぞ。そんなに急に悪くなるものなのか」 「あの人は、辛抱強い。おそらく、随分前から、痛みを感じていた筈です」 「なんだって、そんなつまらねえ辛抱をしてたんだ」  東吾が歯ぎしりをし、宗太郎が直情径行なところのある友人を眺めた。 「長助夫婦には夏の疲れで胃が弱っているとだけいっておきます。おえいさんはみかけより気丈ですが、長助のほうは……男の子というものは母親の病気に関しては心がもろくなるようなので、下手をすると病人に気づかれます」 「そんなに悪いのか」 「うまく薬がきいてくれると、正月ぐらいまで保《も》たせられるかも知れませんが……」  暫く考え込んで、東吾が訊いた。 「るいに話してもいいだろうか。あいつ、明日にも見舞に行きたいといっていたんだ」 「重病だといっておいたほうがいいかも知れません。見舞はけっこうですが、病人を疲れさせない程度に……おるいさんのことだから、いわれなくともわかっていると思いますがね」  そういったやりとりがあって、東吾は「かわせみ」へ帰って、 「宗太郎先生、なんとおっしゃいましたの」  と、るいに訊かれた際に、 「胃が弱っているらしいんだがね、年が年だからと心配していたよ」  つとめて、さらりと返事をしておいた。  だが、るいは東吾の言葉がそっけない分、これはいけないと感じていた。大体、東吾は嘘をつくのが下手である。  翌日、るいは故意に気軽なふうを装った。  氷砂糖を小さな壺につめて、お吉には深川門前町へ買い物に行くついでに長寿庵へ見舞に寄るとだけいい、お供には女中のお晴を伴って行った。  門前仲町で買い物をすませ、それをお晴に持たせて長寿庵へ顔を出すと、昨日、しおれかえって「かわせみ」へやって来た長助がすっかり元気になってるいを迎えた。 「おかげさまで、宗太郎先生のお薬を頂いたら、お袋の奴、すっかり具合がよくなっちまって、今朝は蕎麦が食いてえなんていいましてね」  長助の悴の長太郎が作って持って行った蕎麦を旨い旨いと上機嫌で食べたという。 「それはようございました。うちの人も宗太郎先生にみて頂いてよかったと安心して帰って来たんですよ」  買い物のついでに寄ったので、あり合せのお見舞ですけれどと氷砂糖を渡し、勧められて、そっとおますの部屋をのぞいてみると、おますはよく眠っている。その寝顔を見ただけで、るいは自分の推量が当ったと思った。  毎日見ている家族は、それほどにも感じないのだろうが、久しぶりに対面したるいにはおますのやつれ具合がはっきり判る。 「お大事に……お元気になったら、また、お寄りします」  と挨拶をし、待たせておいたお晴とおますの隠居所を出た。  長寿庵は深川佐賀町の中では一番北寄りで仙台堀に架っている上《かみ》の橋の袂にあった。  店の表は佐賀町の表通りに向いているが、住居にしている部分は裏側で仙台堀に面している。おますが隠居所にしている部屋もそちら側で、隠居所のむこうは路地で、そこは垣根が結ってあるだけだから、路地を通行する人の姿は障子を開けておけば見える。  もっとも、その路地は袋小路であった。  おまけに路地に面しているのは、仙台堀側に入口のある米問屋の蔵が大きく立ちはだかっているのが目立つぐらいのものだが、るいが隠居所を出て、長寿庵の店を通り抜けるのを避け、垣根のすみの枝折戸から路地へ出て、なんとなく袋小路の奥を眺めると、そこに小さな店があって、初老の女が店の前に並べてあった菊の鉢を家の中へしまいこもうとしている。 「質屋さんなんですよ」  枝折戸のところまで送って来たおえいが、るいの視線に気づいて、ささやいた。 「知りませんでした。こんな近くに質屋さんが……」 「いざという時は、いつでも質草抱えてかけこめるから便利だなんて、うちの人はいいますけど……」  おえいがひかえめな笑顔を浮べ、るいに改めて見舞の礼をくり返した。      二  るいが、その質屋の話を耳にしたのは、長寿庵へ見舞に行ってから三日目のことで、暦の上ではもう冬だが、今年の江戸は晴天が続いて、気温も寒からず暑からずという具合で、 「いつまでも暖かいのは、なにかにつけて結構ですけど、急に寒くなると、いつもよりよけいに身にこたえるんじゃありませんかね」  と苦労性のお吉を不安がらせている。  長助が来たのは、例によっていい秋蕎麦粉が手に入ったのでというのが口上だったが、おますの容態がよくなって来て昨日も様子をみに立ち寄ってくれた麻生宗太郎がとても喜んでいたという報告と、もう一つ、近所の質屋に空巣が入ったが、首尾よく取り押えた自慢話が主であった。 「すぐに捕ってようございましたよ。目と鼻の先の質屋が盗っ人に入られたなんて、長助親分の沽券《こけん》にかかわるところでした」  お吉にいわれて、長助はぼんのくぼに手をやったが、 「実はお手柄はお袋でございましてね」  嬉しそうに話を続けた。 「ここんとこ陽気がいいもんで、お袋の奴、障子を開けっぱなしにさせて外を眺めていたんです」  寝たきりの状態が続いて退屈しのぎに横たわったまま、垣根のむこうを眺めていたところ、うさんくさい男が袋小路を入って行くのが目に入った。 「滅多に人が入って来る路地じゃございません。せいぜい野良猫の通り道ってところなんで、お袋も気になったのか首をもたげてみていると、そいつが銭箱のようなものを持って逃げるように戻って来たんで、泥棒とどなったんです」  ちょうど姑の様子をみに入って来たおえいが店へ声をかけ、釜場にいた長助と悴の長太郎が外へとび出して、男をとっつかまえた。 「まあ、それにしても質屋の空巣って、店には誰もいなかったんですか」  お吉が口をとがらせ、長助が苦笑いした。 「そいつが、店番の小僧はうたた寝をしてやがって、女中は耳の遠い婆さんで、台所で猫に餌をやっていたというんですが……」  お内儀さんは門前仲町へちょいとした買い物に出かけていた間の出来事らしい。 「なにしろ、少しばかり気の毒な家でして、旦那は長いこと体を悪くして向島の木母《もくぼ》寺の近くの別宅で養生をしていますんで、奉公人のほうも一人減り、二人減り、今のところ小僧と女中だけという有様で……」 「子供さんなんぞは、いないんですか」  と、るいが訊いたのは、この前、ちらとみかけたお内儀らしい女が、もう五十は出ている年頃に見えた故である。 「娘一人に悴が一人。娘さんは浅草の海苔問屋へ嫁入りしてまして、悴は嫁をもらって日本橋箱崎町に女房子と暮しています」  三十四になる悴の岩太郎というのが、毎日、深川まで通って来て店を手伝っているが、たまたま、昨日は女房が体を悪くして子供の世話をするために休んでいたという。 「なんだって、その悴さん、親と一緒に暮さないんですか。跡取り息子なんでしょうが……」  お吉が合点の行かない顔をしたのも道理で、この時代、総領が親とは別に所帯をかまえるというのは、まず珍しい。 「それがその、まあ、つまらねえ事なんですが……」  口ごもりながら長助が打ちあけたところによると、質屋、つまり屋号を松本屋というのだが総領に嫁を迎えるのに相当、苦労したという。 「余っ程、醜男とか、人柄が悪いとか」  容赦なくお吉が並べたて、 「いえ、器量も十人並、人柄も悪くはねえんですが……」  長助が手拭で汗を拭いた。 「この節は、しっかり者の姑のいる家には、娘も嫁に行きたがらねえ。親もやりたがらねえ風潮があるようでして……」 「しっかり者なんですか。松本屋のお内儀さん……」  菊の鉢を片付けていた女は、物静かで大人しい感じであったと、るいは思った。 「そりゃまあ、ご亭主が若い中《うち》から病気がちで別宅にひきこもっちまってるんですから、女手一つで子育てから店のきりもりもしなけりゃならねえんで、十年前に舅と姑がたて続けに歿《なくな》ってからは、お内儀さんがしっかりしてなけりゃ店は潰れてしまいますんで……」  娘のほうは早や早やと嫁入りさせたが、悴には縁談がない。たまに世話をしようという者が出て来ても、先方から断りが来てしまう。 「岩太郎って悴が三十を過ぎちまいまして、漸く、縁談《はなし》があったのが小網町三丁目で塩問屋を営む吉田屋源兵衛の末娘のおていって子でして、こっちは親が可愛がっていつまでも手放したがらねえでいる中に二十を過ぎちまって、下手をすると後妻の口しかなくなるってんで慌て出していまして、すんなりまとまったんですが……」  先方の親の出した条件というのが、祝言をあげて一、二年は箱崎町にある持ち家のほうで暮してもらいたいというものであった。 「表むきは、娘に琴や三味線の稽古はさせても、針仕事だの、飯の炊き方、行儀作法はなんにも教えていないので、一、二年はその修業をさせたいってことでしたが、まあ、怖い姑を敬遠しての口実と、こいつは誰でも合点が行きます」  それでも、松本屋のほうが折れたのは、岩太郎がどうしてもおていと夫婦になりたいと母親を説得したからで、その年の暮に無事祝言をあげた。 「それが四年前で、今は三つに二つに赤ん坊と、年子ばかりで三人の子持ちになって居ります」  近所のことでもあり、長助は松本屋の内情にくわしかった。 「一、二年の約束っていったって、もう四年にもなっているんじゃありませんか。お嫁さんは姑さんと同居する気なんぞ、最初からないんですよ」  長助が帰ってから、早速、お吉がまくし立てた。 「実家が小網町三丁目ってことは、箱崎町から橋を渡ればすぐじゃないですか。お嫁さんは実家にべったり、始終、子供連れで遊びに行っているに違いありませんよ。むこうの親にしたら、可愛い盛りの孫三人、とてもじゃありませんけど、松本屋のほうに渡すものですか」 「およしなさい。他人様《ひとさま》の家のことを……」  と、るいは一応たしなめたが、内心ではお吉のいう通りだろうと考えていた。  子供というのは、手塩にかけた分だけ愛《いと》しさが勝るもので、とりわけ、祖父母の孫に対する情愛は格別と誰しもが承知している。 「悴さんも情ないですねえ。いくら惚れた弱味か知りませんけど、お嫁さんのいいなりだなんて……」  女主人に叱られても、お吉の憤激はおさまらず、岩太郎に非難の矢を向けている。  だが、この時、長助はもう一つの大事な話を「かわせみ」で喋らなかった。畝源三郎からきびしく口止めされていたからである。      三  珍しく軍艦操練所から早く退出して来た東吾から、向島まで出かけないかと誘われて、るいはなんの気なしに承知した。  相変らずの上天気で、大川の上を渡る風も到底、冬とは思えない。  豊海橋の袂から舟で大川を上り、寺島村の渡船場まで、るいは両岸の景色をうっとり眺めていた。  夫婦二人きりで出かけるのも久しぶりなら、大川をここまで上って来るのも滅多にないことである。  東吾のほうも見かけはのんびりしていた。時折、思い出したように世間話なぞを始めるが長くは続かない。  向島の桜並木は葉が黄ばんで散りかけていた。堤の上の道も人通りが少く、そこから見渡せる須田村の畑はもう冬枯れていた。  東吾はと見ると墨堤を木母寺のほうへ歩いて行く。川沿いには水神の森が眺められ、そのあたりは形のよい松が数本、社殿を取り囲んでいる。 「どこへいらっしゃいますの」  小走りに追いつきながらるいが訊き、東吾が足を止めた。 「たしか、この辺りと聞いて来たんだがね」  東吾の視線のむこうに茶店が見えた。若い女が二人、店先においた茶釜に水を足している。 「どなたかのお住いなら、訊いて来ましょうか」  るいの問いに、東吾がうなずいた。 「深川佐賀町の質屋、松本屋の別宅が木母寺の近くにある筈なんだ。俺が訊くと、目立つだろうから……」 「わかりました。梅若塚《うめわかづか》のあたりで待っていて下さいまし」  東吾をそこへ残して、るいは茶店へ向った。  茶汲み女といっても、この近くの百姓の娘だろう、頬が赤く如何にも健康そうなのに声をかけると、松本屋の別宅はすぐにわかった。 「御主人のお加減が悪いと聞いて、ちょっとお寄りしてみようかと……」  お愛想に売り物の団子を包ませながら、聞き上手に訊ねてみると、若い女二人の口が容易にほぐれて思いがけない話が出て来る。  団子の他に黍《きび》餅の包も抱えて、るいが梅若塚まで戻って来ると、東吾は捨石に腰を下して子守っ子と話をしている。  るいの姿をみると、子守っ子に少々の銭を握らせて、さりげなく立って来た。  心得て、るいも一足先に木母寺の裏手の道へ出る。  そのまま畑の中の道を行くと、百姓家が点在していて、綾瀬川の岸辺寄りに風雅なたたずまいの一軒家が見えて来た。 「あれが、松本屋さんの別宅ですって」  東吾が追いついて来るのを待って教えた。 「なかなか、いい家だな」  近づいてみると、家を取り巻く敷地もかなり広く、裏庭には盆栽を並べた棚がある。  家の中からは三味線の音が聞えていた。清元の稽古でもしている様子である。 「のんきなものだな」  東吾が呟き、るいがいった。 「御主人が病気なんて、たいしたことはないみたいですよ。終始、釣りに出かけたり、お不動さんを信心しているとかで、成田山へ年に何度もお詣りに行くそうですから……」  茶店の女に聞いたというと、東吾が苦笑した。 「俺も子守っ子に聞いたよ。一緒に住んでいる女は元々は身の廻りの世話をする女中だったが今は夫婦者の奉公人をおいて女房気どりで暮しているとさ」 「お内儀さん、知らないんでしょうか」 「むかしむかしは何度もどなり込んで来たりして、一悶着も二悶着もあったらしいが、今はもうあきらめたかして、音沙汰なしだとさ」 「そんなことを、子守が知っていたんですか」 「いや、その話は木母寺の坊さんに聞いたんだ。内儀さんは頭に来て、仕送りを止めて兵糧攻めにしたが、松本屋には親代々の家作が浅草のほうに何軒もあって、その家賃を大家が直接、別宅へ運んで来る仕組みになっているんで懐具合は悪くない。流石に総領息子は会いにも来ないが、浅草へ嫁入りした娘のほうは子供をつれて終始、遊びに来ているらしい」  綾瀬川の岸から堀切村へ出て法泉寺の脇の道を戻りながら東吾が話し、るいが不思議そうに訊ねた。 「深川の松本屋さんに、何か御用の筋があるのですか」  東吾が道端の銀杏の大樹の梢を仰いだ。 「まあ、そんな所だ」 「あててみましょうか」  るいが悪戯っぽい表情になった。 「この前、松本屋へ入った空巣が盗んだものの中に、何か途方もないものがあった」  苦笑している東吾の横顔を見ながら続けた。 「でも、そのことでお上が松本屋をお調べになっているというのは内緒のことで、決して松本屋のほうに気づかれてはならない。それで畝様も長助親分を使って別宅のほうを調べさせるわけには行かないので、あなたが……」  東吾が長助の癖を真似たように、ぼんのくぼに手をやった。 「驚いたな。これだから、うちの内儀さんにはうっかりしたことは頼めねえ。するてえと、今日、俺が女房連れで向島へ行くといっただけで、嘉助もお吉もこいつは何かあると思っているんだろうな」 「あの人達は大丈夫です。あなたが何もおっしゃらない限り、よけいなことは口にしませんもの」 「そいつは判っているよ」  墨堤へ上って、川下へ向った。 「実は源さんが一番、気を使っているのは、松本屋のほうに気づかれないということもだが、今度の一件が麻太郎と源太郎の耳に入らないようにという点なんだ」  るいは、あの二人が鉄砲洲の高橋の上でひったくりに遭った男をみて、盗っ人を追いかけ取り戻した一件を憶えているかと東吾にいわれて、はっとした。 「ひょっとして、メキシコ・ドルラルとかいうお金の……」 「そうさ。洋銀だ」  取り返した金包の中は小判が七十両と一分銀が三つ、それにメキシコ銀貨が一枚であった。そのことから、どうやら横浜で暗躍する小判商人の一味ではないかと必死の探索が続いたが、結局、その金包を所持していた男が千駄ヶ谷で首つり死体で発見され、追跡の糸が切れた。 「それじゃ、松本屋から盗まれた銭箱の中に……」 「ああ、洋銀が一枚あったんだ。松本屋の内儀《ないぎ》、おかんというんだが、源さんの取調べに、ずっと以前、侍が持ち込んで来た手箱の中に入っていたのを、あとになって気づき、珍しいので取っておいたというんだが、侍の名が森芳之助、水戸藩士というだけでね、源さんが水戸様へ問い合せたところ、当藩には左様な姓名の者は居らぬで、おしまいさ」  侍が偽称したのか、水戸藩のほうが嘘をいったのか、町方としてはそれ以上の詮議は出来ない。 「大名家なんてものは厄介事になると知らぬ存ぜぬが当り前なんだが、源さんも俺も、松本屋の内儀の話は眉唾《まゆつば》じゃないかと考えている」 「質草の帳面はお改めになったのですね」 「勿論だ。たしかに昨年の秋、水戸藩士、森芳之助なる者が手箱で一両、借りて行ったことになっている」 「手箱で一両ですか」 「一尺四方、高さが八寸、おまけに裏に天鵞絨《びろうど》の布が張ってある革で出来た箱だった。俺は横浜で以前見たことがあったんだが、外国からの船が積んで来る大皿なんぞが入っている。宗太郎に見てもらうと、医者の使う道具なども入れるし、要するに高価なものを収納するのによく用いられるものだが、箱だけで一両はべら棒すぎるといっていた」  箱が質屋に残っていたのは質流れということであった。 「もし、本当に侍が持って来たのなら、最初から流すつもりに違いないが、長年、質屋をやっているしっかり者の内儀が、そんなもので一両も貸すと思うか」 「侍のお客に、脅されてということじゃありませんか」 「おかんもそう申し立てたそうだ」 「畝様も、あなたも納得なさいませんのね」 「あんな小さな質屋にとって、流されるとわかっている品物に一両は法外だろう。目と鼻の先には長寿庵がある。第一、あそこは袋小路だ。万一、さわぎになって人がかけつけて来たら逃げようがねえ。水戸藩士かどうかはともかくも、侍にしても取っつかまったらおしまいだ。そこらの所は質屋の内儀なら、すぐ頭が廻るもんじゃねえのかな」 「でも、あのお内儀さんが、お上に嘘をつきますかしら」  るいが見た質屋の内儀は五十すぎの、ごく当り前の商家の女であった。 「あなたは、あのお内儀さんが小判商人の一味だと思っていらっしゃるのですか」  日本が諸外国に開港して、横浜の港にも外国船が入るようになって久しい。  双方に貿易が行われるようになれば、まず取り決めなければならないのが両替の問題であった。  幕府とアメリカ総領事ハリスとの間の話し合いでは同種同量の原則に基づくとされ、日本銀貨である一分銀とアメリカ通貨のメキシコ・ドルラル、つまり洋銀との両替は天保一分銀は重量が二匁三分、洋銀は七匁二分であるから一分銀三枚で一ドルラルという交換の割合が決った。  ところが、あとから幕府側で調べてみるとハリス側の銀貨は同じメキシコ・ドルラルの中でも銀の含有量が少く、純銀量は六匁と十分と六で、つまり、一分銀一枚と同じだとわかった。  正しい同種同量の原則からすれば、一分銀一枚で洋銀一枚の交換でなければならない。  慌てた幕府は安政六年六月、洋銀との交換用に安政二朱銀を発行した。量目が三匁六分、品位は洋銀の八九・三よりも低い八四・七である。つまり、この二朱銀二枚で一分だから、二枚と洋銀一枚という交換率を持ち出したが、そうなるとこれまで洋銀一枚で一分銀三枚としていた外国商人にとってはとんでもない切り下げとなる。到底、承服しかねると談じ込まれて、再び幕府はこの二朱銀の鋳造を中止し、安政二朱銀は僅か二十二日間でその命を失った。 「要するに、今もって洋銀一枚は天保一分銀三枚だ。こっちは二枚分損をするんだな」  るいを相手に東吾はおおまかながらその不平等を説明した。  洋銀一枚を両替して一分銀三枚。要するに両替するたびに日本の銀が外国へ二枚分よけいに流れ出す。 「でも、外国のお金を無暗《むやみ》に両替するのは御法度ではございませんか」  幕府はみすみす両替で大損をする通貨の交換を統制している。 「表むきはそうなんだがね。べら棒な金もうけには大方、裏がある。この国が損をしているのは銀の両替だけじゃねえ。日本じゃ銀四枚で金一両の両替だが外国は銀十五枚で金一両の割合だ。洋銀を一分銀に替え、そいつを日本で金に両替しただけで、あっという間に大金持になる」  それをやっているのが、小判商人だと東吾はいった。 「べら棒な手数料を取って、内緒で洋銀を一分銀や小判に両替する連中がいるのさ」  外国商人にしてみれば、両替だけで大もうけが出来るのだから、手数料が少々、高かろうと歯牙にもかけない。 「実をいうと俺は勘定所の役人じゃないし、算用のことはよくわからない。今、話したのは、高山仙蔵という人から聞いたのの受け売りなんだがね。小判商人というのは一人や二人でやろうと思っても出来るものじゃあない。けっこう大きな組織があって、まるで蜘蛛手のように動いているんだ。下手に探索に入れば命取りになる」  るいが片手で胸のあたりを押えた。 「それで、麻太郎様や源太郎さんの耳に入らないようにと……」 「あいつらは偶然、洋銀を手にして小判商人の存在を知った。高山先生からもいろいろと教えられて、金儲けのためにこの国を滅しかねない輩《やから》を憎んでいる。早い話が洋銀と聞いただけであいつらの頭に血が上る」  るいが低いが強い声でいった。 「わかりました。今、うかがいましたこと、決して口外は致しません。でも、あなたもどうぞお気をつけ遊ばして……」  長命寺のところで茶店に寄り、一服してから東吾とるいは竹屋の渡しから浅草側へ出て、船宿で猪牙《ちよき》を頼んで大川端町へ帰った。      四  その日、神林麻太郎と畝源太郎が、金春《こんぱる》屋敷に近い出雲町にある高山仙蔵の家へ出かけて行ったのは、仙蔵と取り決めてある日であったからである。  月の中《うち》、五の日と拾の日が、高山仙蔵の家へ通うことになっている。二人の少年にとって、この家での学習は楽しみの一つであった。  いつものように玄関の格子戸の前で声をかけると、通いでこの家の掃除、洗濯、飯の仕度などをしているお杉という中婆さんが顔を出した。 「お出でなさいまし。先生はお友達の所へ用たしに行きなさいましたが、もう、お帰りになる時分だと思いますよ」  という。  約束の日に来ても、高山仙蔵が留守のことは、時折あるが、必ず二人が来る時刻には帰って来るので、麻太郎も源太郎も驚くことはない。勝手に家へ上って自習をするか、庭の畑の手入れをして仙蔵の帰りを待つのが普通であった。  で、今日も庭へ下りて畑の草むしりを始めると、お杉は、今の中《うち》に夕餉の買い物に行って来ると、そそくさと出て行った。それも毎度のことである。  小半刻もした時分、仙蔵は帰って来た。 「やあ、待たせてすまなかった」  出迎えた二人に詫びて、羽織を脱ぎながら居間へ入るのを見て、麻太郎と源太郎は井戸端へ手を洗いに行った。  戻って来ると、仙蔵は懐中から布袋を出し、その中から銀色に光る貨幣を掌に取った。  それには、二人共、見憶えがあった。 「先生、洋銀ですね」  なんとなくなつかしい気がして麻太郎がいい、仙蔵は、 「見た所、メキシコ・ドルラルのようだがね」  掌にのせた洋銀を二人の前へ突き出すようにした。 「違うのですか」  と源太郎が訊き、仙蔵の許しを得て、それを手に取った。見た所、表面に刻まれている鷲の模様は勿論、大きさも重さも、源太郎と麻太郎がかつて一度見た洋銀と変らないような感じである。 「先だって横浜へ行った時に、たまたま入手したのだが、どうも気になってな。勘定所の知り合いに頼んで調べてもらって来た」  偽金《にせがね》だ、と低く告げた。 「粗悪な銅で下地を作り、上にうすく銀を鍍金《めつき》したものだよ。偽金にしてはよく出来ている。おそらく香港あたりで造らせたのではないかと思うがね」  本物の洋銀の両替でも大損を承知でやむなくやっているというのに、その洋銀が偽金となったら、この国の受ける損害はすさまじいことになる。 「先生」  源太郎が一膝のり出した。 「手前が、父を呼んで参ります」 「まあ待て」  仙蔵が偽の洋銀を取り戻した。 「実は、念のために、横浜の知り合いにちょっとした調査を依頼して来た。その返事が来たら、わしが源太郎の父上をお訪ねして、こと細かに話をしよう。それまではこのことはこの三人だけの秘密ということにしてもらいたい」  何故ならば、自分の勘ではこの偽金には間違いなく小判商人が絡んでいると思う、と仙蔵は自信を持って話した。 「奴らは、なかなかにしたたかだ。この前の時も追いつめられる寸前に蜥蜴《とかげ》の尻尾切りのような真似をして、町方の追及から逃《の》がれている。こたびはその二の舞になってはならぬ故、慎重に事を運びたいのだ」  少年二人がうなずいた時、お杉が買い物から帰って来て、仙蔵は素早く、偽洋銀を布袋にしまい、本棚から一冊の洋書を取り出して開いた。  二人が驚いたことに、その本は内身がくり抜いてあって箱のようになっている。仙蔵はその中に偽洋銀を袋ごと収め、本を閉じて棚へ戻し、麻太郎と源太郎に、にやりと笑ってみせた。 「どうだ。うまいかくし場所だろう」  お杉が茶をいれて入って来ると、仙蔵は二人の少年に、横浜で買って来た新しい書物について大声で蘊蓄《うんちく》を垂れていた。  そして五日後、二人の少年が高山家へやって来ると、またしても仙蔵は留守であった。 「昨日の今頃、横浜から使の人が来て、先生は一緒にお出かけなすったんでございますが、夜になってもお帰りにならず、今朝来てみたら用意しておいた晩餉の膳にも手がついていなくて……」  もしかすると、横浜へ行ってしまったのではないかという。 「その中、お帰りになるかも知れないから、あなた方は勝手になすっていて下さい」  自分は家に用があるからと帰ってしまった。  二人になって、麻太郎と源太郎はなんとなく家の中を見廻した。  いつもと変ったところはない。  高山仙蔵の机の上には読みかけの本が開いたままになっているし、ぎっしりと書物の並んだ棚も、下に積み上げられた本も、雑然としているようで、仙蔵独得の整理がされている。 「横浜へお出かけになるなら、お杉さんにそういい残して行かれるのではないかな」  といったのは麻太郎で、 「先生は豪放|磊落《らいらく》にみえるけれども、本当は細かく気のつく御方だと思う。横浜へ行けば三、四日はかかる。少くとも、昨日行って今日帰って来るというわけには行かない。今日は我々が来ると決っているのに、お杉さんに何もいって行かれなかったというのは、少しおかしいと思わないか」  源太郎が考え込んだ。 「ここを出かける時には、横浜まで行くとは思っていらっしゃらなかった。外出先から急にその必要があって……」 「それなら、一度は家へお帰りになるだろう」  身仕度というほどではなくとも、 「先生は要心深いほうだから、所持金とか、ちょっとした薬などはお持ちになる筈だよ」 「家へ帰られる余裕がなかったとしたら……」 「どういう理由で……」 「それは、俺にもわからない」  二人が黙ると、床の間の時計が鳴った。  この春、仙蔵が横浜で買い求めたという自慢の品である。 「九ツ半(午後一時)か」  源太郎がふりむいて時計を見た。  二人が仙蔵の家へ来るのは、九ツ(正午)頃と決まっていた。それから夕方まで、仙蔵からさまざまの話を聞いたり、畑の作物の収穫をしたり、時には外国の料理を作って三人で食べたりなぞして過す。 「この節、なんでも外国のほうがえらそうにいうが、日本人のほうが秀れていることも沢山ある。たとえば、我々はものを食う時に箸を使うが、あちらさんはつい先頃まで手づかみで食っとった。今でこそ、小刀で肉を切り、串ざしにして食っとるがね」  などと話しながら、鶏の焼いたのを、西洋の小刀と串で器用に切り分けてみせたりする仙蔵は実に楽しげだし、麻太郎も源太郎も目を輝かして聞いている。 「先生がお帰りになるまで、この前の草むしりの続きをするか」  ぽつんと麻太郎がいった。 「先生がもし横浜へ出かけられたのなら、今日はお帰りにならない。そうではなくて、昨日、どこかへお泊りになっただけなら、間もなく帰ってみえるだろう」  源太郎がうなずいた。 「そうだな。それしか仕方がないな」  だが、二人が庭へ下りる前に、玄関で人の声がした。  二人が出てみると、初老の男が立っている。 「こちらは高山仙蔵先生のお屋敷でございますね。手前は品川で骨董店を営んで居ります者で左兵衛と申します。先生にはいつも御贔屓にして頂きまして」  丁重に挨拶されて、源太郎が答えた。 「先生は、只今、お留守だが……」 「はい、手前共にいらっしゃいます」  意外な返事に二人は顔を見合せた。 「昨日の夕方にお出でになりまして、何か調べたいものがおありだとか。結局、お泊りになりまして……」  麻太郎がいった。 「先生は、昨日、横浜から使の者が来て、お出かけになったのだが……」 「そのお方も御一緒でございます。お二人で手前共の店にある唐物をお調べになっていらっしゃいます」  唐物とは本来、中国からの渡来品だが、この節は外国の品々一切に使うというのは源太郎が承知していた。で、そのことを麻太郎に話していると、左兵衛が思いがけないことをいい出した。 「手前が参りましたのは、先生からのお頼みでございまして、なんでも先だって横浜からお持ちになった洋銀があるとか。至急、それが必要なので取って来るようにと……」  再び、二人は顔を見合せた。  横浜から仙蔵が持ち帰ったというのは、偽洋銀のことに違いない。 「先生が本当にそのようにおっしゃったのか」  源太郎は念を押し、左兵衛は当惑そうに苦笑した。 「手前は洋銀などとおっしゃられましても、よくわかりませんのでございますが、お二人は御存じで……」  ためらいながら、源太郎が返事をした。 「それは、先生からうかがっているが……」 「では、それをおあずかりして参りとう存じますが……」 「待て」  麻太郎が声をかけた。 「高山先生は今夜も、其方の家へお泊りになるようか」 「いえ、今日はなんとしてもお帰りになりたいとのことで……ただ、お調べの様子では夜になってしまうだろうとおっしゃってでございました」 「では、わたし達が洋銀を持って先生に直接お渡ししたいと思うが、それでもよいか」  左兵衛が満面に笑みを浮べた。 「有難いことでございます。そうして頂けますれば、なによりで……」 「源太郎、それでよいか」  麻太郎に訊かれて、源太郎が大きく合点した。 「そうしましょう。帰りは先生のお供をして来ればよいし……」  二人は居間へ取ってかえし、例の書物の中から偽洋銀の入った袋を出し、源太郎が懐中深くしまった。その間に麻太郎は隣家へ走ってお杉にいった。 「先生は品川の骨董屋にいらっしゃるそうです。今から源太郎君とそちらへ行って来ますので」  お杉が慌てて家の外へ出てみると、ちょうど二人の少年が初老の男と共に芝口の方角へ足早やに向って行くところであった。      五  神林麻太郎と畝源太郎は汐留橋から芝口の通りを南へ向っていた。  この道は源助町、露月町、柴井町、宇田川町、神明町、浜松町と町屋が続いて金杉橋へ至る。  二人の少年の前を歩いている左兵衛という初老の男はけっこう早足であったが、それでも時折、麻太郎と源太郎に追い抜かされそうになった。 「どうも、お二人は歩くのがお早くて……」  左兵衛が立ち止って汗を拭き、それをきっかけのように麻太郎が訊ねた。 「高山先生がお出でになっているという其方の店は品川のどのあたりか」  左兵衛が少しばかり腰をかがめるようにして答えた。 「遠くて申しわけございません。御殿山と申す所の近くでして……」 「御殿山か」  品川にある善福寺という時宗《じしゆう》の寺の裏が高台になっていて、その昔、太田道灌の館が築かれていた。  慶長年間に当時、大坂城にいた豊臣秀頼の母、淀殿が表むきは関東御見物と称し、その実は徳川家の人質として下向する話が決って、この地に御守殿を建てることになったが、作事に手間どっている中に、徳川家と豊臣家が、いわゆる御手切れとなって合戦が起ることになった。  そのため、工事は中止になったが、御守殿を建てる筈の場所というので、御殿山と呼ばれるようになったという来歴があるが、麻太郎の頭に浮んだのは、この山の麓で母が惨殺されたことであった。  麻太郎の実母は清水琴江といい、立花藩の重役、大村主馬の後妻となって麻太郎を産んだが、夫に死別し、その後、立花左近将監の息女に奉公し、姫君が京極家へ輿入れする際にお供をして多度津へ行った。  その京極家に相続争いが起り、たまたま、病気療養のためお暇を頂いて江戸へ戻る際、騒動に巻き込まれて、この御殿山で追手の者に殺害された。  その時、麻太郎は六歳であった。  追いつめられた母から密書を渡されて江戸へ向ったものの、途方に暮れて逃げ込んだのが、今、母と呼んでいる神林香苗の駕籠の中で、その日、香苗は御殿山の麓の滝川大蔵の家の茶会に招かれて来ていたものである。  あれから八年、麻太郎が御殿山へ来たのは母の野辺送りに、神林通之進夫婦と神林東吾に伴われて高源院へ行って以来のことであった。  母の顔を、麻太郎は憶えていると思っていた。  だが、目を閉じてその面影を思い浮べようとすると、どういうわけか、今の母、神林香苗の顔になってしまう。  今日も昼餉をすませ、源太郎が迎えに来て高山仙蔵の家へ出かける時も、冠木門《かぶきもん》のところまで送ってくれて、 「気をつけて行ってお出でなさい。あまり暗くならない中に帰るのですよ」  と、笑顔でいい、八丁堀の組屋敷の道をまがる所でふりむくと、まだ表に立っていて優しく片手を上げていた母の姿が瞼の中に残っている。  黙々と、源太郎に肩を並べて歩きながら、麻太郎はそっといった。 「暮れるまでに、家へ帰れるだろうか」  源太郎がちょっと考えた。  この季節、陽が落ちるのが早い。 「高山先生にお目にかかって、すぐ帰ることにすれば、なんとか間に合うでしょう」  源太郎も亦、香苗の言葉を思い出した。 「もし、むこうで高山先生が、まだ御用がおすみでなかったら、先に帰らせて頂くようにしましょう」 「そうだな」  金杉橋を越えると左手は海であった。  街道と砂浜との間には町屋があるが、それは、まばらで、浜辺へ通り抜ける道のむこうに海原の景色が覗ける。  更に行くと道は海辺沿いになった。 「このあたりは袖ヶ浦というそうです。わたしは二年前に母のお供で二十六夜待の月見に来たことがあります」  高輪海岸から品川にかけては月見の名所で、二十六夜待というのは、もともと信仰から来たものだが、この節は行楽のほうが主になっている。 「ここからだと、よく月が見えるのだろう」 「あいにく、曇り空で、夕方から大雨になりましたよ」 「それは残念だったな」 「わたしは茶屋で旨い飯をくって、月はどうでもよかったのですが……」  源太郎が明るく笑って、麻太郎はこの友人が自分に気遣っているのに心づいた。  麻太郎の実母が御殿山で死んだことを、源太郎は知っている。  友人の気持がわかると麻太郎も暗い顔は出来なくなった。  それでなくとも、目の前に広がる海の風景は麻太郎の屈託を吹きとばしてくれる。  薩摩屋敷をはじめとして大名家の下屋敷が続き、それが終ると品川宿へ入る。  品川宿は日本橋から二里、御殿山の西隣、万松山東海寺の南側を流れる品川がこの宿場を北と南に分けていて、宿場の名もその川からついた。  東海道の江戸へ入る玄関口に当る宿駅として多くの大名行列が通行するが、四月が外様大名、六月が譜代の大名、江戸に近い領国の大名は八月と決っているので、今の季節は比較的、のんびりしている。 「こりゃあ源太郎坊っちゃん、神林様の若様も御一緒で……」  二人が声をかけられたのは、善福寺の門前町で、相手は飯倉に住む岡っ引の仙五郎であった。 「今時分、どちらへお出かけで……」  と仙五郎が訊き、源太郎が前方で足を止めてふりむいている左兵衛を目で指して、 「あの者の店で高山先生がお待ちなので、ものをお届けしに行くところなのだ」  と答えた。 「左様でございましたか。あっしは東海寺のお隣の牛頭天王《ごずてんのう》社の世話人さんに頼まれましてね、今年六月の祭の時に、神輿《みこし》が大波をかぶって少々、傷んだものですから、その修理のための冥加《みようが》金を集めに廻っているんでございます」  牛頭天王社、俗に品川明神と呼ばれる神社の祭ではこの辺りの漁師が神輿をかついで海へ入り、背の立たなくなるぎりぎりのところまで行くのがしきたりで、神輿の海中|渡御《とぎよ》がないと不漁の年となるといわれているのだと仙五郎は二人に話した。 「ですが、海ん中まで入りますんで、どうしても神輿は傷みまさあ」  左兵衛が仙五郎の饒舌を遮るように咳ばらいをし、それで二人の少年は仙五郎に別れを告げたが、思いついて源太郎が早口にいった。 「すまないが、頼まれてくれないか」 「へえ、なんでござんしょう」 「わたしの屋敷に誰か使をやって、わたし達が高山先生の御用で品川まで行っている、家へ戻るのが少し、遅くなるかも知れないと母上に……」 「お安い御用で……」 「麻太郎君の母上にもお伝えするように」 「承知致しました。誰彼というより、あっしが参《めえ》ります、御心配なく……」 「すまないが、頼む」 「いえ、それよりお気をつけて……」  すでに歩き出している左兵衛を追って二人の少年が足を早めてから、仙五郎は暫くそこに立っていた。その仙五郎に近くの路地にかくれていた頬かむりの男が近づいた。深川の長寿庵の長助である。  二人の少年は左兵衛の後について、善福寺と法禅寺の間の道を御殿山へ向って折れて行くところであった。      六  その家の周囲は殆ど寺であった。  東南方に東海寺の別院があり、家の前方は牛頭天王社の境内で、脇に清徳寺、もう一方に坂稲荷があった。  坂稲荷の前の道は、御殿山に沿って坂道を下って来るようになっていて、家はその坂の中途あたりにあった。  外から眺めた感じでは、小さな骨董屋であった。  店先には大きな壺が並び、出窓に赤絵の大皿がおいてある。  左兵衛が入口の格子を開けると、その音で奥から女が出て来た。  黒黄八丈の着物に唐桟《とうざん》の半纏をひっかけている。年齢は麻太郎も源太郎も見当がつかなかった。ちょっと見には四十そこそこだが、受ける感じは、もう少し上のような気もする。二人の少年は知らなかったが、これが深川の質屋松本屋の女房のおかんであった。  左兵衛の後から店へ入って来た二人をみて、眉をひそめた。 「誰だね、その二人……」 「高山先生のお弟子さんなんだよ。例のものを、じかに渡したいってんで、ついて来ちまったんだがね」  左兵衛が弁解するようにいい、源太郎がそれにかぶせて、女に訊いた。 「高山先生は、どこにおいでですか。畝源太郎と神林麻太郎が参ったとお伝え下さい」  女の表情が微妙に変った。  が、次には急に物腰が丁寧になり、愛想笑いを浮べながら、二人に会釈をした。 「高山先生は土蔵のほうで調べものをしていらっしゃいます。御案内しますから、こちらへどうぞ」  源太郎が下駄を脱ぎ、麻太郎は少しためらったが、結局、源太郎の後に続いた。  店から廊下へ抜け、奥へ入ると庭がみえた。  女が沓脱石の上へ庭下駄を二足揃え、自分は脇に脱いであった草履を突っかけた。 「あの蔵なんですよ」  女の指した所に土蔵が建っている。あまり大きくはないが、最近、外壁を塗り直したらしく漆喰《しつくい》に西陽が当って白く輝いていた。  二人よりも先に走って行った女が、土蔵の前にいた若い男に何かをいい、蔵の入口に立つと、男の体で女の姿がみえなくなる。  麻太郎と源太郎が走って蔵へたどりつくと、ぴんと小さな音がして、がらがらと蔵の戸が開いた。 「さあ、どうぞ」  と女がふりむき、蔵の中へ向って、 「高山先生、お弟子さんがみえましたよ」  と声をかけた。つられて、源太郎が戸口へふみ込み、それに続きながら、麻太郎は今、耳にした小さな音は錠前を開けたものではなかったかと思った。なかに高山仙蔵がいるのに、蔵の錠前を閉めておくのはおかしいと立ち止った瞬間、背中から凄い力で突きとばされて源太郎にぶつかり、二人はひとかたまりになって蔵の中へころげ込んだ。  慌てて起き上ろうとする目の前で、蔵の戸が音を立てて閉まり、錠を下すのが聞えた。 「何をする、開けろ」  源太郎が戸にとびついて叫んだが、無論、返事はなく、扉はびくともしない。 「開けろ、開けないか」  源太郎が戸を叩き、麻太郎は戸の周囲を手探りで押してみたが、びしっと閉っていて僅かのすきまもない。 「おい」  暗い中から呼ばれた。 「源太郎に、麻太郎か」 「先生」  と応じたが、あかり取りの窓もない蔵の中は闇に近く、二人が目をこらしても何も見えない。  しゅっと小さな音がして指の先ほどの炎が浮んだ。続いて蝋燭に火が点《とも》る。  ぼんやりと高山仙蔵の姿が二人の少年の目に映り、 「そこに石段が五段ほどある。足許に気をつけて、こっちへ来なさい」  仙蔵が灯をさしのばすようにした。で、麻太郎と源太郎がいわれたように足探りで石段を下り、仙蔵の傍へ行くと、 「もの惜しみをするようだが、さきざき何があるかわからんので、蝋燭を消しておく。今の中に、そこの長持に腰を下しなさい」  といわれた。見廻すと、たしかに長持がいくつかあって、仙蔵もその一つに腰を下しているらしい。  二人が並んで落着くのをみて、仙蔵が火を吹き消した。 「先生、この臭いは何ですか」  蝋燭のとは違う、異臭に鼻をぴくぴくさせて源太郎が訊き、 「硫黄の臭いさ。異人は|まっち《ヽヽヽ》と呼んでいる。擦《す》るだけで火がつく簡便な火付棒で、何かと具合がよいので横浜へ行く都度、知り合いから入手して来るのだが、袂に入れておいて助かったよ。まさか、いきなり、こうまっ暗な所へ放り込まれるとはとんだ計算違いだったがね」  仙蔵が低く笑い、 「それにしても、お前達がここへ来るとは思わなかったな」  首筋をごしごし掻いているのが気配でわかる。 「いったい、どういうことなのでしょうか。奴等は何者で、先生は何故、こんな所に押しこめられているのです」  麻太郎の問いに、仙蔵がまた笑った。 「そう一度に訊かれても困るがね。とにかく、壁に耳あり、障子に目あり、蔵の中とて油断はならぬ。二人共、こっちへ耳をよこしなさい」  そもそも発端は、二人がかかわり合った小判商人の事件だと、仙蔵は話し出した。 「以前鉄砲洲の高橋の上で、男がひったくりに包を盗《と》られて、お前達が追いかけ、取り返したことがあったろう。ところが、戻って来てみると盗られた男がどこかへ行ってしまって姿がみえない。しかも、その男は五日後、千駄ヶ谷村で首つりをして死んでいた」 「先生」  と源太郎が口をはさんだ。 「あれは自死したようにみせた殺しだと父が申して居りました」 「その通りだろう。奴は小判商人の手先、といっても、少々、頭の弱いのを悪党に利用されて、いいように働かされていただけの、ほんの雑魚《ざこ》さ」  仙蔵の言葉にうなずきながら、二人の少年は各々に思い出していた。  ひったくりから取り返した包の中にあったのは小判が七十両に一分銀三枚、それにメキシコ銀貨一枚で、そのメキシコ銀貨がきっかけで高山仙蔵と知り合い、師弟の礼を取るまでになった。 「あの折、お前達は小判商人というものの存在を知ったわけだな」  嘉永六年、アメリカの使節ペリーが来航して、以来、幕府との間にすったもんだの末、翌年、日本とアメリカの最初の条約が結ばれた。この際、通貨の交換率を洋銀一ドルについて一分銀一枚と決めたが、これは「条約附録」に公式に書き込まれなかった。  安政三年に来日したアメリカの総領事ハリスは通貨の同種同量の交換を主張し、幕府はやむなく、それを許容することになった。  つまり、金貨は金貨同士、銀貨は銀貨で重さを基準にして交換するという、貨幣の品位を全く無視したもので、その結果、メキシコ銀貨はまぜものが多く、純銀度は日本の一分銀一枚とほぼ同じだというのに、重さは七・二匁、従って、一分銀の重量二・三匁の三倍強となるので、メキシコ銀貨一枚に対し一分銀三枚の交換が行われることになってしまった。  その結果、メキシコ銀貨を一分銀に交換し、それを小判に両替することで、おびただしい金が日本から流出することになった。  幕府はそれに対して外国人が洋銀を持ち込んで一分銀、更には小判に両替するのを禁じたが、その禁令を破って、ひそかに外国人から洋銀をあずかり、高額の手数料をとって小判に替える闇の両替人が現われた。  これが「小判商人」で、その実態は幕府のきびしい調査によっても、なかなか掴めないでいる。  実際、この前の事件でも、仙蔵のいう通り、雑魚だけが始末されて、主犯は全く探索の網にかからなかった。 「しかし、奉行所も手をつかねているばかりではない。小判商人の探索は水面下で黙々と続けられて居る。わしも及ばずながら助力したいと、横浜に居る旧知の者達に頼んで手がかりを求めて来たのだが、ここにおいて、味を占めた小判商人どもは、実に精巧な偽洋銀を作り出して来た。考えてみるまでもない。本物の洋銀と交換しても三倍も損をしているというのに、偽物を使われたひには、盗っ人を蔵へ入れて好きなだけ持って行けというようなものではないか。すでに外国では日本から持ち出した金でゴールドラッシュという奴が起っていると聞いた。一方、我が国の金蔵の金はごっそり減っている。とんだことになるとお前達でもわかるだろう」  息を呑んで聞いていた麻太郎と源太郎が思わず叫んだ。 「許せません」 「一刻も早く小判商人を捕えねば……」 「そうさ。そこでわしは行動を起した。虎穴に入らずんば、虎子を得ず。しかし、お前達に片棒かつがせるわけには行かん」  ふっと仙蔵が口をつぐんだのは、蔵の入口に物音がして、錠前のはずれるのが聞えた故である。      七  神林東吾は海上にいた。  浦賀で建造された小型のスクーナー型西洋式帆船の試乗を命ぜられて、軍艦操練所の同僚、田原浅五郎と共に浦賀から船子を指揮してまず江戸湾を南下し三崎から館山沖へ出て房総半島沿いに北上した。  幸い、天気はよく、順風で小型の帆船は気持のよい走り方をみせている。 「江戸湾を出入りする度に思うことですが、江戸湾の玄関口、浦賀と佐貫のあたりは思った以上に近いのに驚きますな」  東吾と並んで甲板から前方を眺めていた田原浅五郎が呟いたように、このあたりは房総半島と三浦半島が揃って海へ岬を突き出して居て両者の間がまことに狭い。  もし、外国の大型船がここに並んでしまったら、江戸湾は完全に封鎖されてしまう。  かつてペリー艦隊が蒸気船四隻を率いて浦賀沖に投錨した時、幕府の要人が周章狼狽したのもそのためであった。  不安が全く解消されたわけではないが、横浜が開港された今、外国船は悠々と浦賀沖を通って江戸湾へ入って行く。  そうかと思うと、金沢八景の近く、六浦《むつうら》の港から出て木更津へ向う荷船が江戸湾を横切って行く。 「田原さんは六浦の港へ上陸したことがありますか」  海の中に小島が散らばっているような六浦の方角を眺めて、東吾が訊ね、田原浅五郎はかぶりを振った。 「残念ながら、まだ機会に恵まれません。あのあたりは風光明媚で知られています。東鑑《あずまかがみ》によると源家《げんけ》の将軍がしばしば六浦に遊覧したと記されています」 「成程、山を越えれば鎌倉ですな」 「諸国の物産が六浦の港へ集まり、鎌倉へ運ばれていたのでしょう。鎌倉幕府の重鎮に房州の豪族が名を連ねているのも、海から眺めるとよくわかります」  史書を読むのが好きだという浅五郎が感慨深げにいい、東吾は感心して聞いていた。  木更津沖を廻って横浜の港へ入ったのは夕刻で、待ちかまえていた軍艦操練所の上官に船を渡し、航海の報告などをすませて下船した時は、もう、夜になっていた。  横浜泊りにするか、或いは夜旅をかけて江戸へ戻るか、いずれにしても腹ごしらえをしておこうと、桟橋の近くにあって、よく軍艦操練所の仲間が行く鰻屋へ入り、一人なので酒は飲まず、大串を焼いてもらってひたすら飯を食っていると、田原浅五郎が店をのぞいた。彼もここで晩飯にするのかと手を上げると、近づいて来て上官が東吾を探しているという。 「おそらくここではないかと見に来たのです」  と聞いて、東吾は大急ぎで飯を片付け、桟橋へ戻った。  上官は沢村満之助という旗本だが、東吾をみるとほっとしたような顔で傍にいる初老の男をひき合せた。  村崎彦次郎といい、沿岸警固の番船の組頭をつとめている。 「村崎どのがいわれるには、このところ、夜陰に乗じて胡乱《うろん》な船が徘徊しているという報らせがあって、毎夜、警戒の番船を出しているそうだが、病人、怪我人があいついで人手が足りず、我々に応援を求められたのじゃ。わしと部下の者は夜明けと共に、この船を浦賀へ回送せねばならぬ。田原に声をかけたが、なにやら差支えがあると申して、其方を探しに行ったのだが……」  助っ人に行ってやれるかと訊かれて、東吾は承知した。  村崎彦次郎の疲れ切り、途方に暮れている顔をみては断る気にはなれない。  で、改めて上官に挨拶をして出かけようとすると、 「念のためだ。これを持って行け」  渡されたのが、ずしりと重い短銃であった。 「貴公は神道無念流の遣《つか》い手《て》と聞いて居るが、この節、海のむこうからやって来る怪しげな連中は、みな飛び道具を所持しているそうだ。要心に越したことはあるまい」  といわれて、東吾はやむなく受け取った。  短銃を弾の包と一緒に懐中し、待っている村崎彦次郎と桟橋を下りた。  番船は弁天堂のあるほうの浜に繋留されているらしい。 「まことに御厄介なことをお頼み申し、恐縮でござります」  白髪まじりの頭を丁重に下げられて、東吾は腰を低くした。 「神林東吾と申す若輩者です。何分よろしく」 「助かりました」  吐息と共に本音が出た。 「なにしろ、先月末から毎夜のように巡回の要請がござって、それでなくとも諸方に人手を取られ、腕のたつ者が居りませぬ。船頭に水夫《かこ》ばかりでは、万一、抜荷をみつけたところで、どうする方法《すべ》もなく……」 「抜荷ですか」  正直に東吾が面白そうな表情をみせ、村崎彦次郎のほうは顔をくしゃくしゃにした。 「御承知のように、お上の御禁制品は横浜の港に荷揚げは出来ません」  積荷はすべて係の役人によって取締られ、その中に禁制品があれば、その船は二度と日本へ寄港出来なくなるし、積荷は没収され、関係者は処罰を受ける。  しかし、船をどこか目立たぬ所に投錨し、ひそかに積荷を荷揚げ出来れば、莫大な儲けになる。  東吾が眉を寄せた。 「それは、いささか面倒ですな」  江戸湾の中には港が多かった。  外国船の寄港を認めているのは横浜だけだが、諸国の物資を江戸へ運ぶ船はみな江戸湾へ入って来るので、千石船が入津出来る港もあるし、その他の小さな漁村の浜辺まで考えると、もし、抜荷を沖の親船から小舟を使って陸へ荷揚げしていると、その場所を特定するのは難しい、と東吾がいい、彦次郎がうなずいた。 「仰せの通りで、我々も手を焼いて居ったのですが、本日、かようなものが奉行所に投げ込まれまして……」  懐中から折りたたんだ紙を取り出しながら彦次郎がいった奉行所とは神奈川奉行所のことで、名称は神奈川だが、実際は横浜におかれている。  奉行の下に支配組頭四名、調役五名、その下に与力と同心がいるが、人数は一定ではなかった。  村崎彦次郎が属しているのも、神奈川奉行所の内であった。  東吾が紙をひろげてみると、筆で、    さむらいの月見、    六ツから八ツの間  と二行に書かれて居り、続いて、    抜荷船の件、お知らせ申します    御手配の程、願上奉ります   神奈川御奉行様  と書き添えてあった。差出人の名はない。 「さむらいの月見、六ツから八ツの間、ですか」 「左様、それは写しでござるが、本物はなかなか手馴れた文字にて、しかし、なんのことやら一向に……」  悪戯かも知れないが、抜荷の文字がある以上、捨ててもおけず、とりあえず横浜港の近くを見廻りに出るのだという。  番船にはすでに船頭、漕ぎ手などの水夫が勢揃いしていた。  村崎彦次郎が命令を下し、すぐに舟を出す。  弁天社の常夜燈の灯がみるみる遠くなり、東吾は空を眺めた。海上に満月が上っている。 「さむらいの月見……」  と呟いて、気がついた。 「村崎どの、これは十一月十五日のことではありませんか」  さむらいは侍とも士とも書く。 「士は十一、月見は十五日、つまり今月今夜を指しているのでは……」  彦次郎が膝を叩いた。 「仰せの如く。すると六ツと八ツの間と申すのは七ツのことでございますな」 「さて、そこだが……」  六ツ(六時頃)は明け六ツと暮六ツがあるが、前者は夜明け、後者は夕方であった。  八ツ(二時頃)は昼ならば正午から一刻の後あたりだし、夜ならば夜半より一刻を過ぎた時刻であった。 「まさか、午下りに抜荷の陸揚げをするとは思えませんから、これは、夜七ツですか」  と彦次郎が自信ありげにいったが、東吾は今一つ、合点出来なかった。 「それにしても、場所がわかりませんでは……どうも、頼りない訴えで……」  月日と時刻を教えても、肝腎の場所が不明ではどうにもならないといいながら、村崎は海上を眺めている。  満月のおかげで、江戸湾は鏡のようだが、沖へ出ているのは少々の釣舟ばかり、横浜の港へ入津しているような大船の姿はない。  船頭の仁助というのが指示を受けに来て、東吾は村崎に断ってから、舟を横浜港の西側の岸辺沿いに向けてくれるよう頼んだ。  横浜港の東側は子安、川崎沖から品川で、あまり入り組んだところがない。月夜に抜荷船が近づくにはふさわしくないと判断したからである。 「このような月光の明るい夜に抜荷の積み下しなどやりますかね。見馴れぬ大船が停って居れば海からも陸からもお見通しではありませんか」  彦次郎はしきりに首をひねっていたが、東吾は別のことを考えていた。  これまで軍艦操練所の仕事で何度となく船に乗っているが、瀬戸内などの小島の散らばっているところでは、どんなに月が明るく照らしている夜でも、島陰に船が入ってしまうと、すぐ近くまで行かないと見えないものだし、逆にそういった小島の多い入江などは岩礁が多いために、闇夜に船を乗り入れるのは危険極まりない。  もし、抜荷船がそのあたりを考えて、江戸湾のどこか、そういった地形の場所をえらんで船を寄せてくるとしたら、満月の夜であっても不思議ではない。  番船は本牧《ほんもく》の岬に沿って南へ下《お》りていた。  本牧十二天社の海に向って絶壁となっているところは巨巌がそそり立ち、松の木が天へ大きく枝を広げているのが、月光を浴びている。そのまま下って行けば梅園で名高い杉田村の岸伝いに、やがて金沢八景。  東吾の瞼に山と海が渾然と一つになったような景勝の地が浮んでいた。  小さな山が海へ張り出してその間に入江を作り出し、海上には波間波間に島嶼《しまじま》が浮んでいて、その形や、大きさは潮の満干によって微妙に変化している。  小高い所へ上れば沖行く舟の真帆片帆の雲に入るが如き眺望が見渡せる一方、複雑な干潟の脇の岩場を廻って入江へ船を乗り込ませれば、そこは絶好の波除けの海で、少々の嵐が来ても驚くことはない。  自然が造り出した絶妙な地形は金沢八景から六浦の港まで、陸からも海からも旅人の目を楽しませて余りある。 「六ツ、八ツは時刻ではない。いや、時刻も示しているかも知れないが、場所は金沢八景と六浦港の間ということだ」  東吾の言葉に彦次郎が仰天した。直ちに船頭に指示を下す。幸い、船頭は六浦の漁師であった。 「ここらの海のことなら、まかせておいておくんなさい」  一つ間違うと暗礁に乗り上げ、岩場に舟をぶつけるから要心の上にも要心しろと漕ぎ手達に注意をしている。  東吾達がその舟を見たのは、杉田村の岸辺沿いに進んでいる時であった。  こちらの番船よりも一廻りも大きな舟で奇妙な形の帆をあげている。  船頭に命じて番船を島陰に寄せてむこうを窺うと、その舟はまっしぐらに六浦の方角へ急いで行く。 「あれは清国の帆船の帆に似ているな。少くとも、洋式の帆船ではないよ」  見る所、かなり大きな櫓床がついていて、帆は蓆《むしろ》で出来ているようだと、東吾は海上に目をこらした。 「そんな舟は、この辺りで見るか」  船頭は首を振った。 「あんな、まっ黒けな舟をみるのは、初めてでござんす」 「むこうに気づかれぬように追跡することが出来るか」 「やってみましょう。この先は小島が多いんで、なんとかやれるんじゃねえかと思います」 「頼む」  月は中天にかかっていたが、西の方角から薄い雲が出ていた。  尾《つ》ける立場からいうと曇ってくれたほうが有難いが、下手をすると岩場にぶつかるし、第一、相手の舟を見失う危険がある。  けれども、船頭は自信ありげであった。 「御存じかと思いますが、この舟は押送船《おしおくりぶね》といいまして七丁櫓でして、三本の帆柱はみな根元の太さが五寸角、長さは二十四尺、三十四尺、三十八尺五寸、各々に長さ十八尺の帆桁《ほげた》がついて、六反の木綿帆が広げられるんです。帆のほうは風次第ですが、櫓だけでもかなりの速さが出る。もともと漁師が釣りたての生魚を積んで、いきのいいまんまに江戸へ運ぶために作られた舟で、速いのが身上なんでございます。ですから少々、むこうの舟と離れても、その気になりゃあ、すぐ追いつきますんで……」  東吾が大きく合点した。 「聞いたことがあるよ。ペリーが久里浜へ上陸した時、案内役の浦賀奉行所の舟の速力が早くて、むこうの連中がどうやっても追いつけなかったというのは、この舟か」 「へえ、この節は浦賀の奉行所だけでなく神奈川の奉行所でも番船にお使いなすって居ります」 「わかった、まかせるよ」  複雑に島と入江が組み合わさっている海を、番船はゆっくり進み、やがて前方に深く陸地に切り込んだ湾がみえて来た。  東吾達が追って行く舟はその内側へ向っている。 「あれは……」  村崎彦次郎が小さな叫びを上げ、東吾もそれに注目した。外海からは全く見えない岬のかげに帆船が一隻、投錨している。  蒸気船よりかなり小型だが、洋式の船であった。帆を下し、目立たないように月光を避けた位置にあって、成程、これでは海からは勿論、入江の奥の漁村からでもわからない。  前方の舟がするすると近づいて行き、東吾は船頭に声をかけた。 「もう、ばれてもかまわねえ。やってくれ」  彦次郎が腰の大刀に手をかけ、配下の者達も戦闘準備に入る。  番船は波を切って、すみやかに湾に入る。  近づいてみると洋式帆船の甲板に出ている男が下の舟の者と大声で話しているのが聞えて来た。どちらも日本語である。  そして東吾は下の舟の艫《とも》の所に月光を浴びて立っている三人を発見した。  一人は高山仙蔵、その両側にいるのは、 「あれは……麻太郎と源太郎……」  船上からの声に応じて、高山仙蔵がどなるのが聞えた。 「撃つなら、わたし一人を撃て。この子供らはかかわり合いがない」  無意識に東吾は懐中していた短銃を取り出していた。船頭が東吾の様子をみて漕ぎ手を制する。  甲板から太い声が響いた。 「かまわぬ。三人共、撃ち殺せ」  仙蔵が二人の少年を強引に自分の背後へ廻し、自分は一歩前へ出た。  同じ舟の船尾に男が銃をかまえている。  瞬間、東吾の銃から轟音が起った。  軍艦操練所の鉄砲の稽古で、 「流石《さすが》、神林、剣をよくする者は、銃の技も見事なるかな」  と教官から賛辞を受けた東吾の腕であった。  仙蔵にねらいをつけていた男がもんどり打って海中に落ち、村崎彦次郎が号令した。 「舟を寄せろ」  わあっと漕ぎ手が声を上げて、番船はむこうの小舟の横っ腹へ舳先《へさき》を突っこんで行く。  東吾は跳んで、むこうの舟へ移った。  立ちはだかった男を銃でなぐりつけ、もう一人は海へ突きとばした。 「神林さん」  仙蔵が呼び、その脇から、 「叔父上」 「先生……」  二人の少年の声が上った時には、東吾はもう三人を背にかばって立っていた。  目の前で村崎彦次郎が横なぐりに一人を斬り、その後では彼の配下が東吾になぐられて戦意を失っている男に縄をかけていた。 「叔父上、あれは……」  麻太郎の声で帆船の甲板をみると、いつの間に現われたのか、御用の高張提灯を艫にかかげた番船が帆船を囲み、その何艘かからは、役人が斬り込んでいる。  帆船の甲板はすでに修羅場になっている。 「叔父上」  再び、麻太郎が叫んだ。 「高山先生が怪我をされています」  ふりむくと、仙蔵は右手で左肩を押えていた。血がそのあたりを染めているのが月光でもわかる。 「なあに、たいしたことはない。逸《そ》れ弾《だま》がかすめただけだ。心配は要らん」  舟の上を男が走って来た。 「東吾さん……」  声だけで、相手が知れた。 「源さんなのか」 「やっぱり、番船に乗って行ったというのは東吾さんでしたか」  東吾の背後の三人を見た。 「やれやれ、無事でしたか」  手拭で甲斐甲斐しく仙蔵の肩を結んでいる源太郎をみて、東吾にいった。 「高山先生と二人の子を番船へ移してもらえますか」 「そりゃあいいが……」 「話はあとです」 「俺が助っ人に行かなくていいのか」 「上は大方、片がついたようです。それより、雑魚がかくれていたりしますから、御要心を……」 「承知した」  高山仙蔵と二人の少年を横浜から乗って来た番船に移すと船頭がいった。 「村崎の旦那からいわれています。怪我人を横浜へ運ぶようにと……」 「そうか」 「帰り道に何があるかわからねえから、旦那には用心棒でついて行ってもらうように」 「わかった」  船頭は安心して漕ぎ手に声をかけ、東吾は帆船を眺めた。畝源三郎がいったように甲板の修羅場はもう終っている。 「そういうことか」  気がついて独り言をいった。  捕物が思いの外に派手になって、公式に報告をする際、軍艦操練所の人間が助っ人に乗っていたというのは、やはり、まずいに違いない。  それにしても、麻太郎と源太郎が、なんであんな舟に乗っていたのか訊いてみたいと思ったものの、帆柱を背にすわり込んでいる仙蔵の左右に並んで、凝然と遠ざかって行く洋式帆船を眺めている二人の少年の疲れ切った姿をみると、源三郎がいったように、話はあとでもよかろうと思い直した。  番船は岬を廻り、海上は俄かに風が出て来た。      八  横浜港で番船を下り、高山仙蔵の知り合いという外科医の許へ行って仙蔵の傷の治療を受けてから、東吾は二人の少年と共に、これも仙蔵の定宿だという湊屋という旅籠へ行った。  すでに夜は明けていて、湊屋のある本町通りの商家は大戸を開け、奉公人が店の前の掃除をはじめている。  湊屋の主人と仙蔵とは旧知の仲だということで、仙蔵が何もいわなくとも、すみやかに朝餉の膳が運ばれ、それが終ると、 「まず少し、おやすみ下さい」  と麻太郎と源太郎を布団の敷いてある部屋へ案内した。 「叔父上、手前は母上が御心配になっていらっしゃると思いますので……」  すぐ江戸へ戻りたいと麻太郎が訴えたところへ、仙蔵から使をもらったといい、畝源三郎がやって来た。  今しがた番船で横浜へ戻ったばかりだという。 「実は昨日、飯倉の仙五郎が神林様のお屋敷へ参り、麻太郎どののことはお知らせ申してあります。また、先程、早馬をもって御無事な旨、報告が参って居ります故、まず、一休みしてお発ち下さい」  と源三郎にいわれて、麻太郎はまだ不安そうだったが、東吾に、 「では、一刻ばかり休息しなさい。江戸までは七里余、あまりくたびれた顔をおみせすると、かえって母上が案じられるぞ」  といわれて、神妙になった。  で、東吾は源三郎と別間へ移り、朝飯はまだだという源三郎のために膳の用意を頼んだ。 「何からお話ししてよいか……あの二人が高山先生のお宅へ行き、品川の骨董屋へ偽洋銀を持って行ったのは聞いていますね」  熱い茶を飲みながら、源三郎がいい、東吾がうなずいた。 「それは、横浜港へ戻る途中、高山先生からうかがった」 「品川の骨董屋の主人、左兵衛というのが、長助の店の裏の質屋、松本屋の女房の兄だというのは……」 「なんだと……」  店に空巣が入り銭箱を持ち出そうとしたのが長助一家にみつかって取り押えられたのだが、長助が調べたところ、銭箱の中に洋銀一枚がまじっているのが発見された。  松本屋の女房、おかんの申し立てでは、水戸家の侍が質流しにした革の箱に入っていたというのだったが、畝源三郎が納得せず、ひそかに探索しているのは東吾も承知していた。 「もう一つ、左兵衛の弟の左七というのが、横浜で外国人相手の小さな唐物屋をやっているのがわかりました。更にいえば、この左七は江戸に女を囲っていまして、始終、横浜と江戸を行き来している。こいつは少々、おかしいと思いませんか」  妾を囲うなら横浜でいい筈で、なにも七里以上も離れているところを往復する必要はない。 「妾宅が、どこだと思いますか。芝の増上寺のすぐ裏手なのです」 「この前の事件と重なったな」  鉄砲洲で麻太郎と源太郎がみかけた大男は掏摸に包を奪われた後、姿を消し、長助達の探索によって、大体の足取りが明らかになった。  それによると、大男は夕六ツの頃、芝口橋の上で水売りに目撃され、次は芝神明前で増上寺の学寮脇の道を歩いて行く姿を火消が見ていた。そして、事件が起って五日後、千駄ヶ谷村の雑木林で首をくくられて死体となっていた。  つまり、この大男は小判商人の手下で、奪われた包の中の七十余両は洋銀を違法に小判に両替したものと推定され、以来、町奉行所でも水面下で小判商人の探索が始まった。 「大男の行った先は、横浜の唐物屋が妾宅と称している家ということか」 「まず、間違いないでしょう。そこで殺されて、夜、川伝いに死体を舟で運んで千駄ヶ谷村の木につるしたのは、お上の目をごま化すためです」  源三郎の配下が神明前の左七の妾宅と品川の左兵衛の骨董屋へ張りついた。 「仙五郎と長助が中心になりまして、根気よく張りついている中に、思いがけない人物がこの二軒に出入りしているのがわかりまして、その人物はとても我々、町方役人の手には負えない。たまたま、高山先生が伝手《つて》があるといわれまして……」  高山仙蔵には最初の洋銀事件の時から折々、教えを受けて小判商人の実態を探っていたと源三郎がいい、それまで黙っていた仙蔵が話をひき取った。  ちょうど源三郎のための朝飯が運ばれて来たところで、早速、源三郎は話を仙蔵にまかせて箸を取った。 「伝手というのは、わしの親玉のことでね」  品川の骨董屋の蔵に閉じこめられてから今朝までろくに睡眠を取っていない上に、肩に鉄砲玉をくらっているにもかかわらず、仙蔵はたいして弱った顔もしていない。 「わしが以前、御奉公申し上げていた殿様は或る時期、勘定奉行の要職につかれていた。もし今、この御方が現職にあれば、この国もこれほど白蟻どもに食い荒らされずにすんだと思うが、まあ、それはいうても詮ないこと。が、この度はその御方に御奉公していた折の伝手がものをいって、なんとかその元凶に近づくことが出来ていろいろと情報が手に入って来たのだが、敵もさる者、薄々、こちらを疑い出した。で、罠を仕かけて来たのに、わしとしたことが、つい、うかとひっかかってしもうた」  その人物は故意に偽洋銀を見せ、この出所は品川の骨董屋、左兵衛の店へ横浜へ居住する外国人が持ち込んだもので、左兵衛に訊ねれば相手の素性や姓名もわかるのではないかといわれて、仙蔵はいささか危いと感じながらも、結局、品川の店へ行った。 「茶に睡り薬を一服盛られて、目がさめた時は蔵の中でね。奴らはわしが行方知れずになって、家中が調べられたりすると偽洋銀が発見されるかも知れない、そいつはまずいと左兵衛自身が出かけて行った。盗っ人の真似をして家探しする気だったところ、二人のちびが自分達が持って行って、わしにじかに手渡しするという。左兵衛の奴は少々、困ったがやむなく二人を品川の店まで連れて来て蔵へ閉じこめた。全く、二人にとって災難、親御どのにはあいすまぬことをしてしまった」  箸を休めて、源三郎がいった。 「麻太郎どのは、品川へ入った所で仙五郎に会っているのですよ」  骨董屋に張り込んでいた仙五郎と連絡に行った長助の二人が源太郎と麻太郎の姿をみて、仙五郎が二人の少年に声をかけた。 「その折、八丁堀の御屋敷への伝言を頼まれましてね」  なにしろ二人と一緒にいたのが左兵衛で、仙五郎と長助は胸がさわいだが、下手なことをいって左兵衛に気づかれてはまずいと、そのまま、やりすごし、二人が左兵衛の店へ入るのを尾けてから、仙五郎はまっしぐらに奉行所へ走った。  奉行所では、すでに左兵衛、左七の兄弟が小判商人の一味との証拠を掴んでいたし、黒幕である元凶の証拠がためも八分通り進んでいたので、この際、神明前と品川と二軒の家並びに横浜の左七の店へ手入れを決めて、捕方が繰り出した。 「ところが、手前が品川の店へかけつけてみると、店はもぬけのから、蔵も同様です」  これはお上の動きを察知して逃亡したものと思ったのだが、事実は少々、違っていた。 「小判商人と抜荷の一味にかかわり合いがあったとは驚きでしたが、まだ、その時はすべてがわかっていたのではありません」 「それじゃあ、なんで源さんが横浜へ来たんだ」 「高山先生が、文を残して行かれたからですよ。東吾さん、先生はどこに大事な文をおいて行かれたと思いますか」  源三郎の声が僅かながら揺れていた。 「先生は源太郎の守袋の中に文を入れて、それを蔵の入口に落して行かれたのです」  親ならば、我が子の守袋を見落す筈がない。  実際、蔵の戸を開けてふみ込んだ源三郎の目に、最初にとび込んだのは、我が子の小さな守袋であった。 「その文には、横浜に居住する高山先生の諜者《ちようじや》、つまり、この家の主人ですが、そちらからの報告とその意味が書かれていました」  諜者からの知らせは、   さむらいの月見、   六ツから八ツの間  であり、仙蔵はそれを十一月十五日の夜、六浦港と金沢八景の間の入江に密輸船が入港し、一味の者が陸揚げをする。おそらくは小判商人はその仲間なり、と文で教えた。 「諜者は大袈裟だよ。ここの主人は長崎からの知り合いでね。その昔のわしのちょっとした尽力を恩に着て、わしの頼みならなんでも聞いてくれる。もっとも、彼が使っている連中はあんた方からみるといささか危険な輩だが、今度の一件では思いの外、役に立ってくれたよ」  仙蔵が苦笑し、東吾が訊いた。 「すると、神奈川奉行所に投げ文をしたのは先生の諜者ですか」 「十五日の昼までに、わしからなんの連絡もなかったら、神奈川奉行所へ知らせろといっておいたのでね」 「どうせなら、謎ときをした文にしておいて下さったほうが、奉行所の方々は助かったと思いますがね」 「そりゃあ無理だよ。わしがあの知らせを受け取ったのは左兵衛の店へ出かける直前でね。謎ときは蔵の中でやったことだ。まあ、ちょっと考えれば誰でも分る。神奈川奉行所はよくよくの人材不足ということかな」  なんにせよ、源三郎は直ちに馬で横浜へ駆けつけた。  神奈川奉行所には、江戸町奉行所から出向している外国掛の与力、同心がいた。 「与力の木村安左衛門どのは、神林通之進どのと御|昵懇《じつこん》で、手前もお目にかかったことが何度もあります。小判商人のことも御存じで……すみやかに神奈川奉行所のほうに話をつけて下さいました」 「それで、御番船が八隻も御出役となったのか」 「御番船に乗ってから、巡視のために出て行った御番船に軍艦操練所の方が一人、助っ人で乗って行ったらしいという話を耳にしたのですが、まさか、東吾さんとは思いませんでした。いや、ひょっとするとという気もしないではなかったのですがね」  みすみす危険が待っているかも知れない夜の巡視船に、頼まれて乗って行くようなお人よしは軍艦操練所にも、そう何人もいるとは思いませんからね、と源三郎が笑い、東吾はそっちの話には聞えないふりをして仙蔵に訊ねた。 「それにしても、先生は左兵衛の店に源さんが乗り込んで来ると確信されていたのですか」  左兵衛の店へ町方がふみ込むとしても、源三郎が指揮を取るとは限らない。実際、町方は芝神明前と品川と、二手に分れていた。 「一つの理由は源太郎君が仙五郎というお手先に会って家へ伝言を頼んだということを話したからでね。仙五郎に手札を与えているのは畝さんだと、源太郎がいう。畝さんが配下に品川と神明前の二つの店を見張らせて、人の出入りを探っているのは承知していたから、仙五郎もその一人に違いない。とすれば麻太郎と源太郎の二人が左兵衛の店に連れ込まれるのを見届けて、まっしぐらに畝さんに知らせるに違いない。さすれば、今日の中に町方も動くだろうし、畝さんがあの店へ来る可能性は高いとふんだんだが……まあ、一つの賭かね」  仙蔵が鼻をうごめかし、源三郎がつけ足した。 「長助も苦労したのですよ」  仙五郎が奉行所へ走ったあと、品川の店を見張っていた長助は、夕靄にまぎれるように、左兵衛一味が店を出て品川の浜から舟に乗るのを見届けた。 「長持のようなものを三つ、大八車に積んで行ったのを、まさか人間が入っているとは思わず、今の中に左兵衛の店へ忍び込んで、二人を探し出そうと戻って来て、我々と出会いました」  店にも蔵にも誰もいないとわかって、さっきの長持はと歯ぎしりしたが、その長助が品川の漁師町をかけずり廻って、先刻出て行った舟の漕ぎ手の中の三人は、法外な賃金を受け取って漁師が駆り出されて行ったのだとつきとめ、その仲間の口から、舟の行き先は六浦の港と聞き出して来た。 「高山先生の残して下さった手がかりから考えて、これは、抜荷の一件がらみと推量が出来て、あとはもうまっしぐらでした」  幸い、抜荷の現場も押えたし、三人を無事に救出も出来たと、源三郎は肩の荷を下したような表情をみせた。  まだ、後始末があるので横浜に残るという源三郎と、当分こっちで傷の手当をしてもらってから江戸へ帰るという高山仙蔵をおいて、東吾が麻太郎と源太郎を連れて江戸へ戻って来たのは夕刻に近く、二人の少年を各々の母親の許へ送り届けて、「かわせみ」へ帰って来ると、こちらは何も知らず、東吾が軍艦操練所の任務で船に乗っていたとばかり思っている。  で、東吾もよけいなことはいわなかった。  小判商人の実態が明らかにされるまでは他言無用と考えた故でもある。  そして五日、東吾は兄から使をもらって八丁堀の屋敷へ行った。  麻太郎は香苗と一緒に本所の麻生家へ出かけているとのことで、通之進はくつろいだ様子であったが、東吾をみると、 「蔵へ参ろう」  と先に立って行った。  重い扉を開けて、東吾が兄を内へ入れ、自分も続いて入ると、 「高山先生の口真似ではないが壁に耳あり、障子に目ありと申すからな」  燭台に灯をともしながらいう。 「実は一件落着と申すわけには行かぬが、この度の一件だけは片がついたので知らせておこうと思ってな」  銀座の役人の一人、それも身分のある者が小判商人の背後にいたと苦々しくいった。 「名は倉持京大夫と申して、銀座ではなかなかの実力者じゃ」  そうした事情もあって、事件は公けにせず、但し、内々で厳しく取調べた結果、極秘の中に処分をしたという。 「驚きましたね。こともあろうに銀座の役人が小判商人の片棒をかつぐとは……」  東吾が眉をしかめ、通之進が沈痛にうなずいた。 「吟味に当られた方々から、世も末という声が上ったと申すよ」  それは別として、今度の一件で神奈川奉行所のほうから処分をまかせられたのは左兵衛、左七の兄弟と、その妹に当る松本屋の女房おかんと、兄弟の下で悪事に与《くみ》していた者共五人で、兄弟は死罪、おかんは八丈島へ流罪、他の五人は伊豆大島へ流されたと通之進はいった。  つまり、小判商人に関する部分は江戸で、抜荷にかかわったものの処分は神奈川奉行所で裁いたものだ。 「いずれ、畝源三郎が話すであろうが、抜荷の中には禁制の鉄砲などの銃器が大量にあった上、壺につめた偽洋銀が続々と出て来たそうじゃ」  その偽洋銀が小判商人の手に渡って小判に両替されれば、幕府の御金蔵に火がついたも同然の結果になったと通之進が弟に告げ、東吾が忌々しい顔をした。 「それでなくとも、我が国の金が公然と外国へ持ち出されて、むこうさんは大景気に浮かれていると高山先生がいわれましたよ」 「かわせみで話すなよ、今申したのは、其方にだけ知らせたのじゃ。どうでもよいことは、畝源三郎が話しに参るであろう」 「心得ました」  通之進がいった通り、翌日、源三郎が長助を伴って「かわせみ」へやって来て、まず松本屋の女房と左兵衛、左七の兄弟が不正に洋銀を小判に両替していた件を話した。 「横浜では洋銀の両替は大変にきびしく取締られています。それで舞台を江戸へ移したのですが、普通の両替屋へ洋銀を持ち込んでは断られるのがおちです。で、両替屋の代りをしたのが質屋、松本屋です」  横浜から洋銀を持って使の者が松本屋へ来る。そこで、おかんが小判と交換をする。そして洋銀を神明前の左七の妾宅か、或いは品川の左兵衛の店へ届けると、彼らが洋銀の処分をするという段取りだと、源三郎は説明した。 「何故、松本屋を通したかといえば、品川にせよ、神明前の左七の家にせよ、いわば、この二軒が小判商人の本拠に当るわけで、洋銀を持ち込む相手にも本拠は知られたくない。また、どちらの家もあまりさまざまの人間が出入りすると近所の住人から目をつけられる。そこへ行くと路地奥の小さな質屋へどんな人間が出入りしても、あまり不思議に思われはしない。仮にお上から疑いをもたれて店を調べられた場合、品川も神明前も具合の悪い品物がけっこうあるが、松本屋にはなんにもおいていない。松本屋を利用したのは、まあ、そんな所です。なにしろ、奉公人は小僧が一人、悴は通いで夕方になれば帰ってしまう。亭主は別居して向島住い、夜はおかん一人といってもよい状態ですからね。こんな都合のよい質屋はありませんよ」  じっと聞いていたるいが訊ねた。 「そうしますと、松本屋の御主人も悴さんも、おかんって人が怖しい小判商人の一味だってこと、まるで知らなかったのでしょうか」 「その通りです。亭主の市兵衛も悴の岩太郎も奉行所で取調べを受けたのですが、何がなんだかわからず、腰が抜け、口がきけなくなるような有様でしてね。御吟味はかなりきびしくて、責め問いのようなことまでされたようですが、やはり、おかん一人の犯行と決りました」  おかん自身も、すべては自分一人が兄二人の命ずるままに、両替をし、金の受け渡しをしていたと申し立てている。 「なんだってまあ、そんな怖しいことを……いくら大枚の両替料が欲しかったにせよ、食うに困るわけでもない質屋のお内儀さんが……」  お吉が悲鳴に近い声を上げ、源三郎がぼそりといった。 「おかんが申したそうですよ、この世で信じられるのは金だけだと……」  亭主は体が弱いというのを口実に店を出て向島に隠居暮しをして、身の廻りの世話をする女を結局、妾にしてしまった。暮しは親からゆずられたもので充分、まかなえるし、嫁入りした娘は母親よりも父親と合い性がよく、父の許には子供連れで遊びに来ても、母が店を守る深川には近づかない。跡継ぎの悴は母親との同居を嫌う嫁のいいなりになって別に所帯をかまえ、店には通いでやって来るものの、母親とは晩餉を一緒にすることもない。  一日一日、さびれて行くような店の中で、おかんという初老の女が何を考えながら生きて来たことか。  けれども、おかんが犯罪人として流刑になった今、おかんの気持を思いやる人は、家族の中にもいないらしい。  源三郎と長助が帰って、東吾はるいと庭へ出た。  紅葉は今が盛りで赤く色づいた葉に夕陽が当って、なんとも美しい。 「おい、何を考えているんだ」  ぼんやりと海の方角を眺めているるいに声をかけると、くるりとふりむいて目を怒らせた。 「あなたって方は、外で何があっても知らん顔、怖しい事件ばかりに首を突っ込んで……少しは千春のことも考えて下さいまし」  きりりと眉が上って、東吾は慌てて逃げ出した。裏庭で千春が歌いながら手まりを突いている声がしている。そこまで逃げ切ればと踏み石をとんだとたんに庭下駄がすべって、 「旦那様……」  るいの叫び声を背にして、東吾は見事につんのめった。 [#改ページ]   初卯《はつう》まいりの日《ひ》      一  江戸の元旦。  千代田城では徳川一門と譜代の大名が卯の刻(午前七時)に登城して、将軍に慶賀の挨拶を述べるしきたりだから、大手門から大名屋敷へかけての往来は、まことに賑やかであった。  それにひきかえ、町屋のほうは大晦日、除夜の鐘が鳴り止むまで商売を続けている関係で、元日は大方が朝寝坊をし、ゆっくりと雑煮を祝って正月を迎える。  大川端の旅籠「かわせみ」でも、神林東吾が勤務している軍艦操練所の年始が二日と決っているので、早朝に東吾が井戸端へ行って若水を汲み、それをるいが受け取って台所へ運ぶと、待ちかまえていたお吉が釜へ注いで焚き口に火をつける。  井戸にも、手桶にも暮の中《うち》に注連縄《しめなわ》が張られ、輪飾りがしてあって、正月に新しくおろしたばかりの手桶は木の香が匂うようで、お吉の言葉を借りれば、 「ああ、今年もお正月の神様がお出で下さった」  と有難い気分になるので、やがて豆殻を焚いて沸かした湯に甲州梅と大豆、それに山椒を二、三粒入れて、一煮立ちさせたのを、まず東吾とるい、千春が飲み、続いて、嘉助とお吉、奉公人のすべてが頂いて、これが新年の幕開けになる。  大晦日から正月にかけて、宿屋で年越しをする客というのも全くないわけではないが、今年は三十日に発った客が最後で、新年は二日に毎年、江戸へ年始に出て来る川崎からの客と、同じく木更津からの客が決っているだけで、日頃、休みのない宿屋商売の者としては、ほっと一息つける元日になった。  とはいえ、午を過ぎると日頃、昵懇《じつこん》にしている江戸在住の人々が入れかわり立ちかわり年賀にやって来る。  一家の主人である東吾は雑煮がすむと、八丁堀の兄の屋敷へ行き、兄と一緒に年礼に廻るので、「かわせみ」のほうはもっぱら、るいが主人役をつとめ、客をもてなすのだが、どうやら、客もそのほうがよいらしく、薄化粧に、年齢よりも地味な装いながら初春《はる》姿もあでやかなるいに屠蘇《とそ》の酌をしてもらって、 「ほんに、おるい様はお変りになりませぬなあ。このような大きなお子がおありとは見えません。手前ばかりが年をとっているようで……」  なぞと、満更、世辞ばかりではなくいいながら、母の傍で丁寧に挨拶をしている千春に年玉を渡して帰って行くのを、嘉助と一緒に表まで送って来たお吉が、 「まあまあ、あちらさんはすっかり老けられて、お頭《つむ》の毛の薄くなったこと、あの調子では薬缶《やかん》になるのも遠くはございませんですよ」  などと口走って、 「お正月早々、なんということを……」  と、るいに睨まれたりしている。  日本橋馬喰町の旅籠、藤屋の若夫婦が年始に来たのは、八《や》ツ下り(午後二時すぎ)で、るいにとっては先代からのつきあいだから、つい、話がはずんで、 「元日早々から、つい長居を致しました。もはやお暇申します」  と立ちかけてから夫婦がはっと気がついて、 「年始にうかがいまして、かようなお頼み事を申しましては、まことに不躾とは存じますが、明日、岩槻《いわつき》から出ておいでになるお客様のお宿をこちらへお願いするわけには参りますまいか」  といい出した。 「実は本石町の井筒屋さんからお頼まれしてのことでございますが、井筒屋さんは岩槻藩のお出入りで、手前共とは日頃から昵懇にさせて頂いて居りますが、あいにく、手前共ではこの初春早々に回向院《えこういん》で催されます御開帳のために大和の寺から御宝を運んで来られた世話人の方々が滞在なすってお出ででございまして、何かと慌しゅうございます。それで井筒屋さんにこちら様のことをお話し申しましたところ、願ってもないと喜ばれまして……」  岩槻から出府するのは、御城下で指折りの人形問屋の御内儀とその息子夫婦であるという。 「なんでも、御家督を悴さんにゆずられたので、江戸の人形店へその挨拶をかね、商売のお話があってのことと、聞いて居ります」 「左様なことなら、喜んでお宿をさせて頂きます」  るいが嘉助を呼び、「かわせみ」では次の間つきの上等の部屋を隣合せで二つ用意すると決めて、藤屋の若夫婦は安心して帰って行った。 「岩槻と申せば、たしか大岡様二万石の御城下で、大層、雛作りが盛んだと聞いたことがございます」  おそらく、江戸の人形屋と取引もあり、二月の人形市を前にして多くの雛人形が運ばれて来る。その露払いのようなものではないかと嘉助はいう。 「お正月が来ると、あっという間に雛祭でございますね」  お吉が気の早いことをいい、るいは帳場から居間へ戻った。  千春の初節句に、神林家から贈られた雛人形が、確か岩槻の雛匠のものだったような気がするので、それを確かめに納戸へ入ろうと思ったからだったが、その暇もなく、新しい年始の客が来たとお吉が呼びに来る。 「かわせみ」元日の最後の客は深川長寿庵の長助であった。それも、東吾の後から暖簾を入って来る。 「兄上を屋敷へ送ってね、帰りに源さんの所をのぞいたら、長助が留守番に来ていたんだ」  畝源三郎の家では、主人の源三郎が上役の年礼廻りに出かけ、女房のお千絵は御蔵前片町の実家江原屋のほうへ年始に来る客の答礼のために行ってしまったので、八丁堀の屋敷では長男の源太郎とその妹のお千代が年始客の挨拶を受けていた。  で、年始に行った長助としては、なにかと心配であったのだろう、律義に兄妹と一緒に留守番役をつとめていたということらしい。 「薬くさい屠蘇なんぞ飲ませねえから、まあ上《あが》れよ」  東吾に袖をひっぱられて、長助は恐縮しながらも嬉しそうに居間のすみに膝を揃えた。  すぐに、るいが鉄瓶の中に徳利を入れ、お吉がお祝膳を運んで来る。 「それで、畝様の所はまだお二人ともお戻りではありませんの」  なんなら巻き鮨でも作って届けさせようかとるいがいい、東吾が手を振った。 「なに、俺が寄った時、ちょうど源さんも奥方も大慌てで帰って来たところだったから、その気遣いは要らないよ」  手早く着替えをすませて、長助に盃を持たせ、自分も一つ取り上げる。るいのお酌で、 「あけまして、おめでとう。今年もよろしく」  と挨拶すると、長助は押し頂いて盃を干した。 「嘉助も呼べよ、いくらなんでも、もう客は来ないだろう」  年始廻りは肩が凝ったと、東吾がすっかりくつろいで、やがてやって来た嘉助と三人、さしつさされつして酒が廻る。  肴はもっぱら長火鉢の上の土鍋で煮えているおでんで、るいに千春、それにいつの間にかお吉も加わって水入らずの正月の夜となった。 「そうそう、これを千春嬢さまにさし上げようと持って来たのに、うっかり忘れるところでございました」  すっかり酔の廻った長助が手拭を取り出そうとして、その間にはさんで来た小さな絵馬に気がついた。愛らしい招き猫が描かれていて、千春は歓声を上げて手に取った。 「まあ、よく出来て居りますね、こんな愛敬のある招き猫は、はじめて見ました」  るいが感心したように、その絵馬の招き猫は独得の表情があって、並みの招き猫とは一味《ひとあじ》も二味《ふたあじ》も違う。 「定めて、名のある絵師が描いたんでしょうね」  お吉にいわれて、長助は少々、得意顔で答えた。 「年はまだ若《わけ》えんですが、大層、腕のいい職人と評判でして、実は深川の卯年生れの者が集って、初卯の日に、亀戸天神に大絵馬を奉納することになってるんですが、それがこの職人の仕事なんです。暮に出来上って来て、そりゃもう、なんとも見事でござんして、みんな初卯の日を楽しみにして居りますんで……」 「今年の初卯は四日でございますよ」  お吉が鼻をうごめかした。 「千春嬢さまに、是非、お見せしなけりゃ」  新年になって最初の卯の日を初卯といい、江戸では亀戸天満宮の境内にある妙義社に参詣する習慣があった。  この日、授《さずか》る御神符は雷除けに効くというので、参詣人はみな串にはさんだのを髪に挿して帰る。 「かわせみ」では、るいが大の雷嫌いなので初卯まいりは毎年欠かしたことがない。 「千春嬢さま、四日までに、この絵馬の裏にお願いごとをお書きなさいまし。お詣りに行った時、天神様にお供えして参りましょう」  浮き浮きとお吉がいい、千春は少し困った顔で招き猫の絵馬を眺めた。      二  二日の夕方、まだ暮れない中に岩槻からの客が、藤屋の若内儀に案内されて「かわせみ」へ着いた。 「こちらが京玉屋のお内儀さんと若旦那御夫婦でございます」  と紹介されて、 「このたびはお世話をおかけ致します。京玉屋の家内の梅と申します。悴は玉之助、嫁はおきみでございます。何分、よろしゅうお頼み申します」  丁寧に頭を下げた母子三人連れは、流石《さすが》、岩槻で一、二を争う雛匠の家の者らしく、上品で腰が低かった。  早速、用意しておいた部屋の一つに案内し、宿帳を持って挨拶に行ったるいが、 「手前共では一つ一つの部屋があまり広くはございません。正月のことで、他にお客様もそれほど多くはお見えになって居りませんので、よろしければ、お隣の部屋もお使い下さいまし」  というと、母親も悴夫婦も各々にほっとした表情をみせた。 「お心遣い、ありがとう存じます。お言葉に甘えて、そのようにさせて頂きます」  お梅が頭を下げ、るいは嘉助を残して先に居間へ戻った。  間もなく、お吉がやって来て、 「まあまあ、初々しい御夫婦と思ったのも道理、御祝言をあげて、まだ一カ月にもならないそうで、若旦那は二十三、お嫁さんは十八になったばかり、お部屋を別にしておいてよかったと思いましたよ」  したり顔で、 「なにしろ、晩の御膳も別々の部屋でとおっしゃるんですから……」  という。 「御膳も別にって……それはどちらが……」 「お袋様のお指図ですよ。嫁は嫁いで来て一日も気の休まる暇はなかったと思いますので、せめて旅の間だけでも、夫婦水入らずでゆっくりさせてやりたいと……」 「そう」  よく気のつく姑と、るいも思った。だが、姑が気のつく分だけ、嫁は神経の休まる暇がないともいえる。 「何事もおっしゃるようにして、お風呂の順なぞも気をつけてさし上げて下さいね」  お吉に念を押して、るいはぼつぼつ帰って来る東吾のための着替えの用意にかかったのだったが、その東吾が帰って来て千春と親子三人、晩餉の膳に向ったところで、お吉がやって来た。 「岩槻の京玉屋さんの御一行ですけど、まあ、なんともはや、ひとさわぎでございました」  晩の膳を、いわれた通り、各々の部屋へ運んだところ、若主人の玉之助が母親を叱りつけたという。 「どうして、こんなことをするのか、まるで自分達が母親をのけものにしているようではないかといいましてね。お袋様が貴方はともかく、疲れているおきみさんによけいな気を使わせたくないからと……結局、すったもんだしましてね」  女中達はお膳を持ったまま、立ち往生したと口をとがらせた。 「で、どうなったの」  るいが眉を寄せ、 「若旦那さんがお嫁さんに相談に行き、別々ってことになりました」  どうも、おくつろぎの所をすみませんとお辞儀をしてお吉が逃げて行き、東吾が笑った。 「いつ、祝言をしたのか知らないが、聟《むこ》さんはもう嫁さんの尻に敷かれているらしいな」 「悴さんにしてみたら、母親が一人で御膳を頂くのがおいやだったんでしょうね。お嫁さんがそのあたりを察しておあげになるとよろしいのに……」  嫁のほうから、お姑様も御一緒にと申し出るのが当り前とるいは考えている。 「岩槻から来たとなると九里少々、女の足では一息にとは行くまいから、途中、どこかへ泊って来たのだろう」 「嘉助の話ですと、昨日、岩槻をお発ちになったのが午すぎとかで、昨夜は川口宿泊りでしたとか」 「おそらく、一つ部屋に親子三人だろう。かわせみみたいに部屋が空いているから、おっ母様はお隣になんて優雅なことは言いやしねえ。嫁さんは気疲れてへとへとさ。飯もそこそこに横になりてえ。姑さんの心遣いに素直に従ってってことじゃないのか」  るいがうなずいた。 「お姑さんにしても、御同様だったかも……」  けれども、翌朝、東吾が出仕してから、るいがお吉に訊いてみると、 「お袋様のほうは御膳がすむと、すぐおやすみになったようですが、若夫婦は御酒を召し上ったりして、けっこう遅くまではしゃいでいましたよ。やっぱり若い分だけ元気なんですかね」  いささか憮然とした返事であった。  もっとも、今朝は五ツ前(午前八時)には朝餉をすませ、三人揃って得意先へ出かけて行ったという。 「朝の御膳は別にしましたよ。なにしろ、若い人は寝坊だから……」  ずけずけとお吉がいったところをみると、どうも若夫婦の印象が悪いらしい。 「出かけた後の部屋の散らかり方ったら、ありゃしませんでしたよ。いくら、お嫁さんが十八だといっても祝言をすませれば一人前のお内儀さんなんですから、もう少し気をつけたほうがいいと思いますよ。うっかり若い女中に掃除をさせないでよかったと思ったくらいなんですから……」  おやおやと思いながら、るいは帳場へ出て行って年始客のための用意をしながら嘉助にそれとなく訊いてみると、京玉屋の嫁のおきみの実家はやはり岩槻の老舗の呉服問屋とのことであった。 「兄《あに》さんがいらっしゃるが一人娘さんで、親御さんはもう一、二年手許におきたかったのを無理にもらったと、昨日、若旦那がおっしゃっていましたが、まあ甘やかされてお育ちなんでしょう、今朝も髪がうまく結えないとかでお姑さんが手伝っていなさいました。おっとりした可愛いお嫁さんで、御当人もこれから何でもお姑さんに仕込んで頂くのだといってなさいましたから、それはそれで悪いことではないように思いましたが……」  ついでだが、京玉屋では三年前に主人の彦兵衛が歿《なくな》って、以来、三年間は後家になったお梅がきりもりをし、昨年、玉之助が妻帯したのを機に、跡取りの披露をすませたところだといった。 「初春早々、江戸へ出ておいでなのも、得意先へその挨拶のためだとか、なにしろ、岩槻では暮から正月にかけて雛人形を江戸の人形屋へ運び込むそうですが、京玉屋さんの職人の作った雛人形はなかなか評判がよく、毎年よく売れるとか。それだけに、京玉屋さんにしてみれば、評判を落さぬためにいうにいわれぬ苦労があるらしゅうございますよ」  もともと岩槻の雛は、元禄の頃、日光東照宮の修築にやって来た京の匠が、帰途、岩槻に滞在し、この地が良質の桐を産し、箪笥や下駄などが生産されているのを見て、その工程で出る桐の粉を生|麩糊《ふのり》と地下水で練って人形の頭を作り出したのが最初とされている。 「昨夜、酒を運んで行きまして、若旦那からうかがったことでございますが、あの土地は秩父の山々から流れ出す地下水が湧くとやらで、それを用いますと、どういうわけか紅が美しく冴え、顔などに胡粉《ごふん》を塗りましても白く輝くような肌合になって、決して色が変らないとか。人形作りにはこの上もない土地と申せましょうか」  思いがけない耳学問をしたと、嘉助は笑っている。 「随分、遅くまで御酒を召し上っていたみたいだけれど、そんなにお強いの」 「かわせみ」では夜五ツ(午後八時)すぎに客から呼ばれた場合は、お吉か嘉助が用事をつとめることにしていた。若い女中をやって、万一、酒の上での間違いなぞがあってはという配慮からだが、従って、昨夜、嘉助が酒を運んだというのは、かなり夜が更けていたことになる。 「若旦那のほうは、もう飯になすってお出ででしたが、若いお内儀さんはなかなかいけるようで……ですが、手前がお持ちしたのが最後でしたから……」  正月三日の最初の年始客がやって来て、嘉助の話はそこでおしまいになった。  京玉屋の若夫婦は八ツ下りに帰って来て、 「母は少々、知り合いを訪ねに参りましたので、戻るのは遅くなろうかと存じます」  と断って、自分達だけで晩餉をすませた。  お梅が帰って来たのは暮六ツ(午後六時)の鐘を聞いてからで、お吉が茶を運んで行くと、部屋のすみの文机の上に掌の上にのるほどの小さな土人形をのせていた。招き猫である。 「珍しゅうございますね。それは今戸焼の人形でございましょう」  お吉の言葉に嬉しそうにうなずいた。 「御存じでございましたか」 「昔は今戸焼の店でいろいろと並べていましたが、近頃はとんとみかけなくなって……」 「そのようでございますね。瓦屋さんや火鉢や火消し壺なぞを商うところは何軒もありましたが、一文人形を焼く店はほんの一、二軒とか」 「そうそう、一文人形と申しましたよ。一つが一文で……」 「でも、可愛いものでございます。子供が喜んで遊びに用いて居りました」  朱と群青《ぐんじよう》が主な色付けで招き猫の他に河童や狐、狸、猿などの人形は、うっかり割ってしまっても、安価なので叱られることがない。  子供にとっては誰でも買ってもらえるし、安心な玩具であった。  風呂はあとにするといわれて、お吉が晩餉の膳を持って行くと、お梅はまだ招き猫の人形を眺めている。 「昔むかし、ほんの僅かでしたが、今戸に住んだことがございまして……」  膳の前へすわり直しながら、恥かしそうにいった。  それで今戸に知り合いがいるのかとお吉は納得して部屋を出た。  隣は女中達が夜具を敷いていた。若夫婦は湯に入っているという。  正月三日、「かわせみ」の夜は静かに更けて行った。      三  四日は初卯であった。  三ガ日、雨こそ降らなかったが、すっきりした晴天とまでは行かず、とかく雲が多かったが卯の日はまずまずの上天気であった。  だが、軍艦操練所へ出かける前に、縁側から空を眺めていた東吾が、 「今日は卯の日まいりに行くのだろう」  とるいに声をかけ、 「ひょっとすると、俄か雨があるかも知れない。気をつけて行っておいで……」  と注意をした。軍艦に乗って航海に出るようになってから、外国の教官や漁師達の話で、雲の動きや風むき、大気のしめり具合などから、おおよその天気の移り変りを察知することをおぼえて、時折、女達を驚かせる東吾なので、るいは半信半疑ながら傘の用意をしたものの、今のところ陽はさしていて雨になるとは思えない。 「かわせみ」を出たのは東吾の出仕を見送ってからで、千春を伴ったるいにお供はお吉、豊海橋の袂から舟で深川へ入った。  卯の日まいりは、初卯の他に二の卯、三の卯と続くが、なんといっても初卯の日が一番人が出る。  小名木《おなぎ》川を万年橋、高橋、新高橋とくぐって行くと、やがて左岸は猿江町、五本松のあたりから亀戸天満宮へ向うらしい参詣客の姿が増えて、舟は左折して横十間川へ入った。  舟の左岸には猿江の御材木蔵が川べりに沿って広がり、右岸は洲崎の百姓地になる。 「まあ、江戸もこのあたりまで来ると閑静で……」  お吉が毎度、同じ感想を述べかけて、途中でやめてしまったのは、川沿いの道も、川の上も、初卯まいりの人や舟でいよいよ混雑して来たからで、 「正月早々、寒空だってのに、よくもぞろぞろと出て来るもんですね」  自分達を棚上げにして、ぼやいた。  天神橋の袂で舟から上《あが》り、船頭に祝儀を渡して亀戸天満宮の前から出来ている行列の中に入れてもらった。 「早くに出かけて来てようございましたよ。午近くにもなると、この行列が南は両国、北は浅草大川橋から柳島の土手通りまで続くんですから、昨年はえらい往生しましたよ」  などと大声で話す人がいて、るいとお吉は顔を見合せて苦笑した。  三千坪近くもある境内地は人で埋まって居り、るいは千春の手を握りしめ、お吉がその背後に寄り添って、まず天満宮に参詣し、その右手にある妙義大権現の社へ向った。  鳥居の前には亀形の井桁《いげた》があって、亀の甲から水が湧き出ている。亀戸の名はここから起ったといわれ、参詣人の多くがのぞいて見たり、合掌したりしている。  妙義社におまいりをして、例年のように社務所で御神符を授った。大方の人は御神符を串にはさんで髪へさして帰るが、るいはなんとなくきまりが悪くて、しっかり懐中した。  その他に、繭玉《まゆだま》も売っているし、天保の頃からは、宮中でこの日、卯杖《うづえ》を献上するという風習を真似て、卯杖、卯槌《うづち》などというものも縁起物としておいてあるが、けっこう、諸人に人気がある。  天満宮の境内は中央に池があり、その周囲は茶店が並んでいるが、今日はどこも一杯であった。 「長助親分御自慢の大絵馬を見なけりゃいけませんね」  お吉がいそいそと先に立って絵馬堂へ行ってみると、そこも大層な人だかりで、今朝、掲げられたばかりの大絵馬を眺めている。  仰ぎ見て、るいは、はっとした。  右手上方に妙義社が雲取りした中に描かれていて、それを左手下方から母と幼子が見上げている。母親は合掌し、その袂に幼子がつかまっていた。母と子の寄り添った形がなんとも情感があって、みつめていると胸の底が温かくなって来るようであった。 「母様、あの子、招き猫のお人形を持っています」  千春が指し、るいもそれに気づいていた。  幼子はもう一方の手に小さな招き猫の土人形をしっかり握りしめていた。 「なんですか、見ていると涙が出てくるような絵馬でございますね」  そういったお吉は、実際、涙声で、お吉の他にも鼻をすすり上げたり、手拭を目に当てている人々が少くない。  人ごみをかき分けて、長助が近づいて来た。 「お出で下さいましたんで……」  嬉しそうに挨拶した。 「いい絵馬でございますね。なんですか、心を打つものがあって……」  続々と見物人が入って来るので、るいは長助について絵馬堂を出た。 「これはこれは、千春嬢さまは絵馬をお持ちでしたか。なんなら、御一緒にお供えしに参りましょう」  と長助がいったのは、千春の懐から小さな絵馬がのぞいていたからで、それは、元日に長助が持って来た招き猫の絵馬であった。  昨日、千春はその裏に願い事を書いた。   みんな 幸せでありますように  と素直な文字で書いてあるのを東吾が見て、 「みんなって誰のことだ」  と訊くと、 「お父様、お母様、嘉助とお吉、板前の勘太と孝次、お晴におきく」  と女中達の名を並べ、 「神林の伯父上様、伯母上様、麻太郎兄様、麻生の宗太郎小父様、七重小母様、花世姉様、小太郎さん、畝の小父様、小母様、源太郎さん、お千代さん……」  と果しなく続くので、遂にみんなが笑い出し、 「こりゃあ大変だ。天神様も大忙しだぞ」 「千春は随分と欲ばったお願い事をしたものですね」  それにしても自分のことは何一つ願わず、人の幸せを祈るのは、如何にも千春らしいと賞められた。  その絵馬を長助が手伝って、社殿の脇にある絵馬掛にかけて来て、 「こちらならあいていますから……」  と、るいとお吉を案内した。  天満宮は横十間川に面した所に大鳥居があり、その参道の茶店はどこも人でぎっしり詰っているが、もう一つの南側、亀戸町に囲まれた道にある大鳥居の周辺の茶店は比較的すいていた。  もっとも、そこへ入って来る道の両側は酒楼が軒をつらね、若い女に化粧をさせて給仕に出すというので、夕暮時からは大層、賑やかになる。逆に昼は川沿いの道から遠いこともあり、女子供だけでは入りにくいような気配もあって、穴場であった。  そのあたりを心得ている長助が知り合いの茶店に声をかけ、奥の小座敷をあけさせて、漸く、るいもお吉も一息ついた。  長助がまめまめしく、茶や団子、甘酒などを運ばせ、自分も神妙に湯呑を取り上げる。 「あの絵馬を描いた職人さんですけれど、さだめし名のあるお人なのでしょうね」  まだ瞼の中に残っている絵柄を思い浮べながら、るいが訊ね、長助は待っていたとばかりに一膝乗り出した。 「まだ若い職人でございまして、名前は久太郎、祖母《ばあ》さんと二人暮し、父親はだいぶ前に歿っていまして……」 「親の代から、絵馬を描く職人さんだったのですか」 「いえ、親は今戸焼の店の主人でして……ですが道楽者で結局、身代を潰しちまったと聞いています」 「では、おっ母さんは……」 「なんでも、久太郎が赤ん坊の頃に離縁になったってえ話でして」  そっと、るいの袂をお吉がひいた。ふりむくと目顔で千春を指す。  珍しいことに、千春が泣いていた。声を立てず、ただ小さな頬に涙をこぼしている。 「どうしました」  るいが訊き、答えない千春に代ってお吉が遠慮がちにいった。 「あの……千春嬢さまは、絵馬をお供えしたくなかったんじゃあ……」  それは、るいも気がついていた。  願い事を書いた絵馬は神前にお供えして来るものだと教えられて持って来たものの、気に入っていた招き猫の絵馬を手放すのが嫌だったらしく、最初に天満宮におまいりした時も、絵馬掛のほうを見ないで、ずんずん行ってしまった千春の様子で、どうしたものかと内心、考えていた。  そうとは知らない長助が気をきかせた心算《つもり》で、千春を連れて行き、結局、千春は絵馬を供えた。それが今頃になって悲しくてたまらなくなったものに違いない。 「はっきり、おいいなさい。絵馬は願い事をして神様にお供えするものですよ、いったん、お供えしたものを、返して頂くわけには行かないのです」  千春が小さな声でいった。 「もう一つ、招き猫の絵馬を買って下さいませんか」 「まあ、千春ったら……」  つい、るいが笑い出し、長助が慌てて立ち上った。 「よろしゅうございますとも。すぐに行って頂いて参《めえ》りますから、ちょっと、お待ちなすって……」 「すみません。いつもはこんなことを申しませんのに……」 「なんの、お正月でございますよ、招き猫の一つや二つ、すぐ持って参ります」  長助が茶店をとび出して行き、千春は手を突いた。 「ごめんなさい、お母様」  るいが何をいう暇もなく、お吉がかばった。 「招き猫があんまり可愛かったからでございますよ、あんな愛らしい招き猫は見たことがありません。千春嬢さまがお泣きになるのがごもっともで……それを長助親分が……」  るいが制した。 「何度もいいましたでしょう、絵馬はお願い事を書いて納めるのが決りなのですよ」 「ごめんなさい、本当にごめんなさい」  だが、言葉とは別に、るいもあの招き猫の絵馬が「かわせみ」の神棚に飾ってあったらと思っていた。あれは、千春のいうように、本当に可愛らしい招き猫であった。 「長助親分が新しいのを持って来たら、もうお願い事はお書きにならなけりゃよろしゅうございます。それなら、千春嬢さまのお部屋に飾っても、天神様から苦情は出ませんので……」  もっともらしくお吉がいい、千春は今、泣いた鴉がもう笑った。  だが、息を切らせて戻って来た長助は絵馬を持っていなかった。 「あいすみません。招き猫の絵馬は売り切れちまって……別に、久太郎の描いた今年の干支《えと》の絵馬もあったんですが、そっちも三ガ日の中に売れちまって……ですが、世話人さんが久太郎の家には、一つ二つ、出来上っているのがあるんじゃねえかといいましたんで、これから行って来ます」  今にも走り出しそうな長助を、るいが止めた。 「もう、よろしゅうございます。また、梅の咲く時分にお詣りに来て、その時、社務所へ寄ってみますから……」  だが、長助はきかなかった。 「大丈夫でございます。久太郎の家は天神橋を渡った柳島町で、ほんの目と鼻の先ですんで、なんとか一つ……」  言葉半分で、もう外へ出ている。やむなく、るいは支払いもそこそこに茶店を出た。長助はすでに亀戸町の間の道を走っているし、その後を千春の手をひいてお吉が追っかけている。  天神橋を渡ると片側は大名の下屋敷が続き、その反対側が柳島町であった。  町といっても人家が少い。  長助が入って行ったのは長徳院という小さな寺の裏にある一軒家で、表の戸を開けた所の土間が久太郎の仕事場のようである。  長助が土間に一足ふみ込んだ時、家の奥から激しい女の声が聞えた。 「なにを今更、寝とぼけたことをいって来るんだ。久太郎に会わせろ、どの面《つら》下げてそんなせりふが出て来るのさ。あの子を育てて一人前にしたのはこのあたしさ。お前さん、あの子にいったい何をしてやった。母親として何をしてくれたっていうんだよ。よくも今頃、ぬけぬけと……出て行きな。あたしの目の黒い中は、殺されたって、あの子に会わしてなるものか。この人でなし……」  何かを叩きつける音が聞えて、目の前の障子が開き、女がとび出して来た。あっけにとられている長助や、外にいたるい達に目もくれず、まっしぐらに裏の百姓地へ走って行き、その姿は忽ち見えなくなった。      四 「かわせみ」の一行が大川端町へ帰って来て間もなく雨が降り出した。  一天俄かにかき曇ってといった感じの俄か雨で、みるみる大川は白い靄がたちこめた。 「一足違いでございましたね。途中で降り出されなくてようございました」  出迎えた嘉助がいい、一足先に帰っていた東吾が居間から出て来て、 「おい、俺がいった通りだったろう」  と自慢したが、るいも千春も、お吉までもが、どこかしょんぼりして、力のない返事しかしない。 「どうした。何があった」  と東吾に訊かれて、るいはやむなく招き猫の絵馬の一件を話した。  折角、久太郎の家まで行ったのに、肝腎の久太郎は留守で、どなりまくっていた久太郎の祖母のおまつは逆上していてとりつく島もなかった。 「長助親分が、なんとか久太郎さんをみつけて、招き猫の絵馬をもらって来るといってくれて、私達は舟で帰って来たのですけれど……」  その招き猫の絵馬よりも、るいが途惑っていたのは、 「久太郎さんの家から走り出して来た人が、岩槻からお出でになっている京玉屋さんのお内儀さんだったんです」  むこうは気がつかずに行ってしまったが、るいには、その人がはっきり見えた。 「人違いじゃないのか」 「お吉も、間違いないっていいましたもの」  帰って来て嘉助に訊いてみると、京玉屋の一行は、母親のお梅も悴夫婦もまだ出かけたままだという。  だが、暮六ツ前に玉之助とおきみの夫婦は駕籠で帰って来た。  雨は上っていて、夜は冷えている。  母親がまだ戻っていないと聞いて、玉之助は首をかしげた。  今日は三人揃って本石町の井筒屋へ挨拶に行き、その後、室町で土産物などを買ったという。 「それから浅草へ出まして鰻屋で昼飯をすませまして一緒に観音様へ参詣致しました。手前共は江戸へ出て参るのが始めてでございまして、帰りは両国の広小路を見物しようと吾妻橋から舟を頼みまして、両国橋の袂で上りましたが、お袋はこのまま宿へ帰ると申しまして……」  お梅は前にも一度、亡夫について江戸へ出て来て居り、船頭も心得ていて大川端町へ帰るなら、永代橋ぎわまでお送り申しますといってくれたので、安心して別れたのだと訴えた。  雨は夫婦が広小路の見世物小屋をのぞいている中に降り出して、 「ちょうど、回向院で大和の寺の御開帳をして居りましたので雨宿り旁《かたがた》、拝観をして小降りになったところで駕籠を頼んで帰って参りましたので……」  母親はいったい、どこへ行ってしまったのだろうと困惑している。 「吾妻橋で舟をお頼みなすった船宿の名はおわかりでございますか」  嘉助が訊き、玉之助は、 「たしか、よし村とか申したように思いますが……」  不安そうに答えた。 「では、手前が浅草まで行って参りましょう。船頭に訊ねれば、お内儀さんをどこで下したかがわかりますから……」  手早く嘉助が仕度を始めたところに、「かわせみ」の外に駕籠が着いた。  若い男がおそるおそるといった恰好で暖簾をくぐって、 「大川端町のかわせみという旅籠はこちらでござんしょうか」  丁寧に腰をかがめた。その背後から駕籠を下りた女がよろよろと入って来て、 「おっ母さん」  玉之助が土間へとび下り、しっかりと抱き止めた。 「やっぱり、こちらへお泊りでしたか」  若い男が表情をゆるめた。 「実はこちらさんが亀戸天神の絵馬堂で雨宿りをなすってお出ででして……申し遅れました。手前は柳島町に住む絵馬職人で……。どうやら降りこめられてお困りとみえたんで、どちらまでお帰りかとお訊ね申したところ、こちら様へお泊りと知れました。それで駕籠を頼みまして、念のため、お供をして参りましたが、間違いなく、こちらのお客と知れましたんで、手前はこれでお暇申します」  もう一度、丁寧にお辞儀をしてとっとと出て行った。 「お待ちなさい。ちょっと……」  るいが叫び、慌ててお吉が表へ出たが、若い男の足は早くて、もう、豊海橋の近くまで行っている。 「おっ母さん、いったい、どうしたんです」  母親の汚れた足袋を脱がせてやりながら玉之助が訊ね、お梅は、 「堪忍しておくれ。ちょいと寄り道をしたばかりに道に迷ってしまって……」  疲れ果てた表情で詫びをいった。 「親切なお人に出会ってようございました。まあ、お部屋のほうへお出で下さいまし。お湯加減が出来次第、お知らせに参ります」  お吉が気をきかせて、お梅は悴夫婦に支えられて自分達の部屋へ向った。  るいが居間へ戻ってみると、東吾は炬燵で千春の相手をしている。 「京玉屋のお袋さんは迷子になったらしいな」 「そのようですね」  と応じたが、どちらもそうは思っていない。 「迷子ってことにして、るいの考えをいってみないか」  千春のために、半紙に招き猫の絵を描いてやりながら東吾がいい、るいは長火鉢に炭を足しながら返事をした。 「両国橋で悴さん夫婦が舟を下りてから、おっ母さんのほうは本所へ向ったのでしょうね」  大川を少し下って本所の竪川《たてかわ》へ入る。 「舟を上ったのは天神橋か、もしかすると、手前の旅所橋だったかも知れません」 「おっ母さんは、どうして悴が柳島町に住んでいると知ったんだ」 「昨日、今戸で訊いて来たんじゃありませんか」  久太郎はもともと、今戸の焼物屋の悴であった。父親が死に、店が潰れて、祖母と二人、柳島町へ移った。 「お梅さん、昨日、今戸焼の招き猫の土人形を買ってお出でだったそうですよ」  今戸へ行って昔の店か、或いはその近所で訊ねれば、今の久太郎の消息を知っている者も居たに違いない。 「折角、訪ねて行ってみれば、我が子は留守で、姑の婆さんに剣突《けんつく》をくらって叩き出された。しかし、天神様の絵馬堂に久太郎の描いた絵馬があるのはどうして知ったと思う」  るいが首をかしげた。 「誰かに聞いたのか、それとも天神様へおまいりに寄って雨が来て、絵馬堂へかけ込んだら、あの絵馬があった……」 「神仏のお導きって奴かも知れねえな」  茶化そうとして、東吾は中止した。るいがうっすらと涙ぐんでいるのに気がついたからである。 「そんなに、いい絵馬だったのか」  るいが強くうなずいた。 「おっ母さんの袂に、小さな男の子がしっかりつかまっているんです。もう一つの手に招き猫の人形を握りしめて……」  東吾が描き上った招き猫の絵を千春に渡し、千春はそれを持って台所へ見せに行った。 「久太郎は、自分が送って来た女が実の母親だとわかっていたのかな」 「知らないと思います。知っていたら、ああ、さっぱりと帰れたか」 「母親は名乗らなかったか」 「姑さんに会わせないと拒まれているんです。それでも親子だと名乗れるような女《ひと》ではないと思うのですよ」 「まあ、明日、出直すという手もあるな」  と東吾はいったが、その翌朝、 「すっかりお世話になりました。江戸での用事もすみましたので……」  最初の予定よりも一日早く、京玉屋の親子三人は「かわせみ」を発って行った。  そして、その午すぎ、久太郎が小さな招き猫の絵馬を持って「かわせみ」へやって来た。 「長助親分から、こちらのお嬢さんが、手前の絵馬を欲しいとおっしゃって下すったとか。こんなのでお気に入りますかどうか……」  手拭にくるんだのを差し出されて、嘉助が早速、千春を呼びに行き、とんで来た千春は、 「わあっ」  ととび上った。 「嬉しい。どうも、ありがとう」  大喜びではね廻っている千春を女中のお晴にまかせて、るいは遠慮する久太郎を無理に居間へ招じ入れた。 「実は、私、あなたの家をお訪ねして、偶然、あなたのお祖母《ばあ》さんと、あなたのお母さんの話を聞いてしまいましたの」  ざっくばらんに、るいが切り出して、久太郎は、あっという顔をしたが、大きく合点して話し出した。 「どうか、祖母さんのことを悪く思わないで下さい」  たしかに、自分の母親は姑と折り合いが悪かったようだと、久太郎は少し悲しそうにいった。 「お袋が実家からの迎えが来て連れて行かれた時、俺は三つで、なにも憶えちゃ居りません」  ただ大きくなってから近所の人から、母親が嫁いびりされたあげく、家の中が面白くないと父親が岡場所の女に入れあげて、それをまた、祖母は嫁がいたらぬからだと責め続け、せっぱつまった母親が幼い自分を抱いて大川の岸辺で一日中、水をみつめて泣いていたなぞという話を聞いたといった。 「そういうことが仲人から母親の実家に知らされて……お袋の実家は川口の大きな金物問屋で、その時分はお袋の父親も元気だったから、大事な娘になんて扱いをするのだと立腹して取り戻しに来たんだそうです。お袋は俺を連れて行くといい、親父や祖母さんは男の子は男親につくものだと、すったもんだしたものの、結局、渡さなかったと、これは祖母ちゃんから聞いています」  その中に母親の実家が火事に遭って、結局、生まれ故郷の岩槻へ移って、母子の縁が切れてしまった。 「親父が死んでからは、柳島町へ移って、祖母ちゃんが天神様の前の料理屋へ下働きに通ってそれで暮しをたてていました」  子供の時のたった一つの玩具といえば、今戸の家から持って来た招き猫の土人形で、七、八歳の時には近所の走り使いや雑用なんぞで銭稼ぎをしていた。 「近所に、千住の絵馬屋の仕事をしていた職人がいて、よく遊びに行きました。見様見真似で地べたに絵を描いて、職人が使い残りの絵馬の板をくれて、それに描いたのが絵馬屋の旦那の目に止って、職人の見習をさせてもらって……」  なんとか一人立ちが出来るようになったのは五年前からだと嬉しそうにいった。 「天神様の絵馬堂の大絵馬、本当にお見事でしたよ。みていて涙が湧いて来ました」  るいにいわれて、子供のような笑顔になった。 「あの絵馬の中の女の人は、俺が夢に見るおっ母さんなんです。夢の中で俺はいつもおっ母さんの袂をつかんでいて……」 「昨日、あちらがおっ母さんだってわかりましたの」  久太郎がうつむいた。 「俺が家へ帰った時、祖母さんの様子が少し、おかしかったんです。湯屋へ行こうと出かけたら、近くの人がさっき女の人が来て、祖母さんがえらい剣幕で追っ払ったって……おっ母さんじゃないかと思いました。でも、どうしようもない。なんとなく絵馬堂へ行ったのは、あそこで俺の絵馬を見れば気持が落着くと考えたからなんです」  誰もいなくなった絵馬堂に、一人の女が居た。 「俺の絵馬を仰いで泣いていたんです。俺が入って行ったのも気づかないで、ただ、じっと、あの絵馬を見つめていて……ですが、なんと声をかけていいかわからない。そこへお宮の人が絵馬堂の見廻りに来たので、思い切って、どこから来なすったと訊きました」 「大川端町のかわせみ」と答えたきり、女は動かなくなった。 「おっ母さん、腰が抜けたようになっちまったんです。俺はお袋を背負って竪川沿いの道を歩きました」  雨上りの白い靄の流れている道を、重いとも思わず一ツ目の橋まで来て、 「そこで知り合いの駕籠屋に会って、大川端町まで乗せて行ってやるといわれて……」  両手で自分の膝をつかんだ。 「おっ母さん、何もおっしゃらなかったんですか」 「ええ、ですが、口に出さなくてもわかるものですから……」  母親と悴夫婦が今朝、岩槻へ帰ったことに対しても、素直にうなずいた。 「それでいいんだと俺も思います。これっきり、会えないわけじゃない。今の俺には祖母さんがいますし、おっ母さんの傍には悴さんがいる。今は、これでいいんだと思っています」  帰って行く久太郎に、るいは手早く二分銀を包んだ。 「おっ母さんに代って、お年玉ですよ」  久太郎はあっけにとられ、それから、にこりと笑って頭を下げた。 「俺にとって、生まれて始めてみてえな、いい正月になりました」  表まで出て、手を振っている千春とるいに何度もふり返って頭を下げ、若い絵馬職人は威勢よく永代橋を渡って行った。  初 出 「オール讀物」平成16年5月号〜平成17年1月号(12月号を除く)  単行本 平成17年4月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成二十年四月十日刊